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第三十話

 礼安の今までを手短にまとめると、『生き地獄』であった。

 生まれて少し経った後から、保育園に預けられた。専業主婦であった母親と英雄の父親、それぞれ共働きでかなり忙しかった為であった。年少のころから、大好きな母親に「いつだって人を助けられるような、優しい人に育ちなさい」と言われ、その言葉を胸に生き続けた。

 ある日、別クラスの女子が多少太った容姿を理由にいじめられていた。礼安はそれを許すことが出来ず、間に入り食って掛かった。その日のうちに、女子に対して教師や親を巻き込んだ面談も行われ、問題は沈静化したように思えた。

 しかし次の日。代わりに礼安がいじめられるようになったのだ。しかし深いことは考えず、『他人や友達が傷つかないならそれでいい』と、楽観していたのだ。

 結局、卒園まで陰湿ないじめは続き、暴力や嫌がらせは何度も受けた。頬や腕に残った打撲痕は『自分がやったこと』と、母親に嘘をつきとおした。

 小学校に入っても、一切変わることは無い。何なら、いじめっ子の神経を逆なでするように人助けを続けたために、いじめっ子の兄や姉まで巻き込んだ、大規模なものにまで発展した。それでも、礼安は誰に対しても笑顔であり続けた。

 しかし遂に、事は起こった。

 いつも通りいじめられていることを悟られないよう、ごまかす理由を探しながら家に帰ると、母親がいなかったのだ。

 スーパーでのパートだろう、そう思いテレビをつけたその瞬間、彼女の中で時間が止まった。

 母親が、交通事故によって亡くなったというニュースが速報として入ったのだ。しかも、その犯人は現在逃走中。

 初めて、秘めていた感情が暴発するように、大粒の涙が溢れた。まるで容量いっぱいのコップに水を注ぎ続けるかのように、とめどなく溢れたのだ。声を上げることなく、その場にへたり込んで。

 声が出ない。何もかも真っ白になった。その瞬間、今までいじめによって生じた古傷が悲鳴を上げる。しかし、そんな大の大人がのたうち回るほどの痛みすら感じないほど、喪失感が全てを支配したのだ。

 そこから葬式などの事を終えた数日後、ショックにより涙の痕がくっきりと残り、生気を失った顔で登校した。それでもお構いなしに、むしろ以前より酷くいじめは続いた。

 人間は、いつだって周りと異なる異分子を排除したがる節がある。周りの恵まれている小学生と対比し、正義感の塊であり、並々ならぬ正義感から生まれた底知れぬ薄気味悪さを持ち、母親が不慮の事故で亡くなった礼安は、格好の的サンドバッグであったのだ。

 無気力に、相手のストレス発散になればと、いじめのターゲットであり続けた。いくら教師にバレようとも、嘘を貫き通したのだ。

 結果、心身はすり減って小学校卒業と同時に中学校に進学することを、無意識に拒んだのだ。そして礼安の父親は、礼安が負い続けたストレスを見抜けなかったことと礼安の意思を尊重し、一人今まで住んでいた場所からはるか遠くに住居を構え、一人暮らしをさせることを決意した。

 何かをしたい、何かをやりたいといった彼女のささやかな願いを全て叶えるために、贅沢をうんとできるほどの大金を毎月振り込んでいた。しかし、最終的には本人の父親に対する申し訳なさから、使わずに貯金ばかりしていた。

 心のリミッターが掛かった結果と、過度なストレスによって見舞われた、自身の激しい不調にまつわるものとの両方によって、仙台の地に住むこととなったのだ。

 そんなある日、礼安の家に何者かがやってきた。人に対する恐怖心が超過していたため、目を合わせることすら叶わなかったが、訪問客は院であった。

 礼安を見て、そして部屋を眺めて一言。

「……貴女、あの時から相当に嫌な目に遭ったのね。あの方から聞きましたわ。私が……この真来院が、あの方と一緒に手取り足取りサポートするから、感謝なさい」

 その時の院の微笑は、礼安にとっての一筋の光であった。まるで大好きな母親を思わせるような、太陽のような温かい微笑み。礼安にとっては何よりもの救いであった。

「それが、あの時いじめられていた私を救ってくださった、貴女への永遠に続く恩返しであり、貴女に対しての罪滅ぼしですわ」


「――私は、もう亡くなっちゃったママとの約束をずっと守り続ける。でも、その結果どれだけ裏切られて傷ついても……どん底にいた院ちゃんを救えた、って証しは残り続けると思うんだ」

 盲目的でありながら、確固たる楔が心の中に打たれていた。外野の人間が、とやかく言ったところで一切折れ曲がることは無い。

 呆れと諦めが合わさった深いため息を一つつくフォルニカ。

「……変なことをどれだけやろうが、一度弱みを見られちまったら最後まで救いたがる、か……俺とお前はとりわけ相性が悪いんだな、ッたく」

「もう少し前に出会えていれば、きっと貴方も歪まなかっただろうから、余計に悔しいよ」

「クソお人よしがよ」

 そう吐き捨てて、そっぽを向いた。もう確定的に勝てないと悟った瞬間であった。何度世界を巡ろうと、こちらがどれだけ強かろうと、一生この聖人には敵わない。

「さ、帰ろうか。貴方はあっちで罪を償わなきゃあいけない。そればっかりは、私なんかじゃあどうしようもないから」

「だろうよ、一学生のお前に結構大事なこれからを左右されてたまるかってんだ」

 礼安は肩を貸し、ふらふらの体を支える。普通なら、警察に出頭するうえで足取りはかなり重く感じられるはずであろうが、礼安に支えられながらゆっくりと歩を進める今、ほんの少しばかり楽に感じられた。あくまで思い込み程度、の話だろうが。

「うーん……やっぱり動き辛そうだね、こういう時に使えるライセンスがししょーから渡されたはずなんだけど……あった!」

 そうやって手に取ったライセンスを一瞥し、それを下げさせる。

「……あくまで勘だが、それ使うのやめとけ。約一名にある意味盛大な負荷がかかる、ライセンスのシリーズの中でもかなりの問題児だ。俺は歩けるから……約一名の負担回避の為にもやめとけ」

 その忠告とほぼ同タイミングで、どこか遠くの場所で奇妙奇天烈な叫び声が聞こえた。礼安は首を傾げるも、フォルニカはやっぱりな、と言った呆れた表情をしていた。

「……最後に言っとく。この声を、誰のだか分からん素っ頓狂な声を、どこか分からん場所から上げさせたければそれ使え。嫌なら止めとけ」

 礼安は何かを悟った様子で、無言で首を縦に何度も振った。流石に無自覚なサディスト、というわけではないらしい。

 最終戦、『色欲の指導者』フォルニカVS『究極のお人よし英雄の卵』瀧本礼安。ある程度の傷こそ負ったものの、自身よりも格上であった存在のフォルニカを下し、見事勝利する。

 そしてこれにより、英雄VS教会神奈川支部の代表戦は、誰に致命的な被害が出るわけでもない、英雄側の完勝となった。


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