風呂場は、実に広い。しかも、これが男湯女湯と、二つに増設されているのが末恐ろしい。ただ、急造した結果なのか、壁が些か薄め。ある程度割り切るとして、それ以上に誇れる部分が存在する。いくら男二人が使うとはいえ、圧倒的に余分なスペースが生まれるほどに広い。噴射する水の形がいくつも変わるシャワー四つ、人が四人入ったとしても余裕が生まれるほどの浴槽、清潔感溢れる白一色の風呂場であった。裏を返せば、生活感ゼロである。
「――お、慎ちゃん……久々に全身見たけど結構筋肉鍛えた? 大分ごつくなったな」
「まあね、最近鍛えざるを得ない状況が立て続いててね……信玄も相変わらずだね」
なぜかその丙良の発言にムッとしつつも、二人仲良く一糸まとわぬ全裸になった。その後二人して腰にタオルをずり落ちないよう巻く。お互いメディア露出もしている身なため、この立ち居振る舞いがスタンダードとなっていた。
あらかじめ浴槽には湯を貯めておいたため、準備は万全。しかし二人とも選んだのは、汗をかいた体をしっかり労わることであった。
椅子を横に並べ、シャワーを流しながらシャンプーを頭で乱暴に泡立てる。
「――そいやさ。さっき言ってたけど……礼安っちって本当にエスパーかなんか? 感情一つでそのために動けるとか……俺っちもある程度表情から読めはするけど……あそこまでじゃあねぇよ?」
「……まあ、これに関しては彼女の過去に起因するんだ」
頭が疑似的なアフロ状態になったすぐあと、全てシャワーで洗い流し、二人ともリンスに手をかける。シャワーを止めたため、水滴が落ちる音と二人の息遣い、それに楽しそうに着替える女子陣の声以外聞こえていない。
「――んなプライベートなこと、俺っちに喋っちゃっていいの?」
「礼安ちゃんには『信頼できる人にだけ話していい』とは言われているから……でも他言無用で頼むよ」
丙良の口から語られるのは、礼安がかつて壮絶なレベルでいじめられていた時のこと。それに母親を早くに亡くしていること。未だ痛々しい傷跡が残る中で、それでも尚一般人の平和を守るために、『最高の
「――だからこそ、あの子は人の心の内が読み取れる。第六感のようなもので、ぼんやりと感情が色で読み取れるようなものだけどね」
一通り聞き終わった信玄の表情は、怒りに満ちていた。目が座り、自分のことでもないのに歯を食いしばっていた。健気な礼安に対してもそうだが、礼安が一度壊れてもなお石を投げ続けたいじめの主犯格らにも、明確な怒りを滲ませていたのだ。
信玄自身、『いじめ』という行為を過去のとある経験から酷く憎んでいる。世の中がマイルドに『いじめ』と表現すること自体に苛立ちを感じさせるほどに、その概念に対しての憎しみは強い。
言うならば、ただの傷害罪。少年院に入ったって一切の文句は許されないような行いをしてもなお、礼安は当人らを責めることはせずに、相手はのうのうと今を生きている。
そんな残酷な世の中が嫌いになりそうなほどに、信玄の心は揺らいでいたのだ。
「何で、そこまでして……クズのために命を張るなんて選択ができるんだよ。人として出来過ぎて逆に薄気味悪いぜ、全くよ」
丙良は、嘆息しながらも世の現状を憂いていた。
丙良自身がいじめの被害者になったことは無い。しかし、礼安のような被害者を見たことは何度もあった。その度に見て見ぬ振りが出来ずに自分のみを犠牲にして立ちはだかってきたのだが、結局根絶には至らず。
実に心の底から醜く、欲深な人間の習性であることは十分に理解している。しかし、それ以上にそれによって心が壊れてしまっただの、人生がねじ曲がってしまっただの、そう言った身勝手で全てが変わる行為を許せはしなかった。
どこまで技術が進歩しようが、人間の根底は変わらない。逆に、大いなる技術を手に入れたことによって、より悪辣に、より辛辣に、より醜悪にやることの形態を変えるのみ。
学習能力があるようでない、人間の愚かさを、心で理解してしまったのだ。
しかし、礼安は別物。まるで忠犬ハチ公のような、純朴な少女そのもの。それの周りに存在する人間たちが、自然と浄化されていくような。
丙良は、彼女自体年下ではあるが、非常にリスペクトしていた。ここまでの高尚な精神は、そうそう持ち合わせるもの自体存在しないだろうから。
「……彼女の心の芯にあるのは、大好きなお母さんからの教えを忠実に守る『義の心』が備わっているんだ。亡くなったお母さんの教え、そして当時は英雄として活動していたお父さん……不破学園長の後姿を見て来たからこそだろうね」
勇敢な父と、誠実な母。両親の教えを無駄にしないための、自分を顧みない行動の数々である。丙良自身、礼安の母は知らないが、父は今まさに柔和な笑みを浮かべ学生たちを見守っている。さらに事あるごとに、自ら騒動に出張って事態を解決している。
その偉大さは、学生からしても、実の娘二人からしても……世に名を轟かせる勇敢な存在であることに変わりはないだろう。
「――それに。入学前から関わっている僕だからわかるけど……あの子、誰かの笑顔が心の底から好きなんだろうね。プライスレスなものに心惹かれるのか、欲の根源にまつわる、詳しいことはよく分からないけどね」
「だからこその、エヴァっちへのあの対応か――」
暗い表情を見せた彼女への、精一杯の優しさ。なるべく多くの人が笑っていられる、そんな世界こそが、彼女の望みなのかもしれない。
故の、遠くの方で聞こえる声が、彼女が現在進行形で楽しませている証なのかもしれない。
(わぁ、すっごいおっぱい大きいねエヴァちゃん! 私も結構あるって言われているっぽいけど、負けちゃうよ! すっごいえっちだよ!)
(ああ礼安さん!! 駄目ですそのどたぷんダイナマイトバディは!! まさにボンキュッボンを人間で表すならまさにこれですよ!! 不肖エヴァ・クリストフ十六歳、同性の一糸まとわぬ美しすぎる裸で鼻血出ます!!)
(ここで鼻血出さないでくださいましエヴァ先輩!! 礼安の体に虜にならず私の体で我慢してくださいまし!! 礼安とは違い胸はあまり無いですが!! 礼安の体のお世話は私の役目ですの!!)
(ああいけません院さん!! 院さんも礼安さんに引けを取らないほどの、均整の取れたナイスバディ!! 皆して私を興奮させて『ナニ』させるつもりですか!? 貧血になりますよ私!?)
(――俺、自信あるの筋肉くらいか……?)
(んなわけありませんよ透さん!! 海外モデルのような、無駄のない体脂肪率低めのスレンダーボディ、最高じゃあないですか!! 私筋肉女子に目覚めてしまいそうですハイ今目覚めました!!)
実に模範的破廉恥シチュエーション。よくアニメやゲームなどで聞こえてくるような、女風呂から聞こえてくる声。先ほどまで、真剣な話をしていたのにも拘らず、二人して悶々とした空気に。
こういった状況のことを、
「――よお、慎ちゃん。俺っち……体洗うって工程が残っているわけだが……その後数分くらい椅子から立ち上がれなさそうなんだけど」
「――奇遇だね、こんな模範的なシチュエーションに、僕が実際に立ち会うことになるとは思えなくて……何だか向こうから聞こえる声が、結構艶っぽい雰囲気になってきたってのも相まって……僕も十分くらい立ち上がれなさそうだよ、仲良しだね」
丙良の言う通り、先ほどまで修学旅行の女風呂のような楽しそうな声しか聞こえなかったのにも拘らず、今聞こえてくるのは先ほどよりも、多種多様な『色』に満ちた声ばかり。思ったよりも、風呂同士の壁が薄いことを認識した瞬間であった。
((――後で一人きりになれる場所に行くか……))
静かに体を洗いながら、入学時からの仲である二人の思考が、完全一致した瞬間であった。