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第百二十話

 何となく男二人のぼせつつ、風呂から何とか上がった。

 自分の服に着替えた後、まるで温泉に浸かった後のように二人して、備え付けられた学園長からのプレゼントである、冷蔵庫内のコーヒー牛乳を一本ずつ飲み干す。長風呂によって失われた水分が、三百五十ミリリットルの最高の冷却水によって補給される。未成年、成年問わず人間に許された素晴らしき特権である。

「――さっきの、女子の方から聞こえた声……あれ聞かなかったことにしようね」

「……アレ『聞こえてた』とか言った瞬間に……俺っちたちの信頼がゼロになっちまうから絶対言わんよ」

 リビングの椅子にどっかりと座り込みながら、ハンドタオルで髪をまとめ、手首には持参してきた、ファンからのプレゼントである女性用ヘッドバンドを携える丙良と、そんなものお構いなしに、鬱陶しい水滴くらいは拭き、後はタオルを肩にかけるワイルドなスタイルの信玄。対照的である。

 小さな丸サングラスをかけなおしながら、二本目に手をかける丙良に、ぽつりと呟く。

「……そいやさ、慎ちゃん。微妙に距離、置かれている気がするのは……気のせいかい?」

「――どういうことだい?」

 思えば、信玄から丙良に対しては、他とは異なる愛称で呼んでいるのにも拘らず、丙良から信玄に対してはただの呼び捨て。風呂に入る前、明らかに不服そうにしていたのは、そのことについてだった。

「……なんか、俺っちが悪ィことしたかい?」

「いや、そういう訳じゃあないよ……少し、期間の『間』が開いちゃっただけだよ」

 実際、共に行動する機会は大分減った。特に二年次になってからは、お互い仮免許を保有し、共に英雄活動を行う機会は減った。

 その理由は、何より過剰戦力なため。二年次最強格である二人が出張る、なんて事態はそれこそ今のような『教会』支部が総出で出張るほどのことが無い限り、あり得ない。一方に戦力リソースを割いてしまうと、その分他にしわ寄せが行く。

 丙良達が一年次の時に、二人達が出張って事件を解決した際も、それ以外の現二年次たちは、それなりの被害を抱えた。リスク分散はいついかなる時でも重要なのだ。

「――俺っちは、慎ちゃんに勝ちたいがために猛特訓した。どんなにキッツいトレーニングも耐え抜いてきた。んでもって……慎ちゃんとまたタッグ組んで、大暴れしたかった」

「信玄……」

 信玄は、普段の傍若無人な立ち居振る舞いで、友人と呼べる存在は丙良とエヴァくらいしか存在しない。自分のせいだというのは大いに理解しているつもりではあるが、それでも互いの波長が真に合うと考えるのは、同年代では丙良だけであると認識しているのだ。

「……また、昔のように『ノッブ』って呼んでくれよ。んで……『ダブル・シン』として暴れようぜ。今回はその時だろ? 『教会』の襲撃もあるしよ」

「……」

 ダブル・シン。それは丙良『慎』介と、森『信』玄からとられた、二年次最強のタッグ。同世代が誰も敵わないことから、そう名付けられた。

 しかし、丙良には迷いがあった。かつて自分の身勝手で見殺しにしてしまった、入学前の後輩について。その過去には決着をつけたはずであったが、結局のところ心に影を落としているままである。ヘリオとの決着はつけたが、結局は死なせた事実は変わらないのだ。

「――僕には、今守るべき存在がいる。あの礼安ちゃんたちは……是が非でも守らなきゃいけないんだ」

「…………慎ちゃん」

 既に強いはず。そう言いたかったが、信玄は何となく分かってしまった。

 それは、何を隠そう自分で目の当たりにしてしまった、一年次最強の存在、瀧本礼安。最も強く、助けは要らないだろうが最も危うい存在である。

 浮世離れした強さは確かにある。二年次を軽く超えるほどの素質もある。粗削りな部分はありつつも、それを以って余りあるほどの身体能力。英雄の力にも愛されており、将来性は抜群。

 しかし、それ以上に自分を顧みない、『自分の命の価値が羽毛よりも軽く、なんとも思っていない』部分。それが何よりもの不安要素。

 他人のために極限まで命を張っている、究極の自己犠牲の形。

「――確かに、あの子は……俺っちからしてみても、学園長の娘だとしても……イカレすぎてる」

「……せめて、あの子たちの健全な成長を見届けてから、だね。そうじゃあないと……トラウマが増える結果になる」

 しかし、信玄は丙良の胸倉を掴んで壁に叩きつける。

「――――何度、逃げてきた。俺っちと組むことがそんなに嫌か?」

 その表情は、礼安への嫉妬、丙良への悲しみに支配されていた。

 丙良の事情は、大いに理解している。トラウマを掘り起こす真似は信玄こそしたくはない。しかし、信玄の願いは非常に些細なもの。ともに、あの時のように共闘したいだけ。

 敏感になりすぎるあまり、『そうなってしまう』可能性を脳内で排除しきれなかった結果、人を遠ざけていたのは丙良。これ以上傷つきたくない、その防衛反応によるもの。信玄に落ち度はない。しかし丙良もこれと言って悪いわけではない。簡単に思えて、非常に難しい問いであるのだ。

「……嫌じゃあないんだ。全て……その気になり切れない僕が……悪い」

「……んだよ、そんなしおらしい態度。これじゃあ俺っちが……悪いみたいじゃあねえか」

 二人とも、大切な親友であることに変わりない。

 しかし、明確な差別点として、丙良は『現状維持』を望み、信玄は『現状打破』を望み。

 ただそれだけ。答えのない問いなのだ。

「……このことは、一旦忘れろ。俺っち……頭を冷やしてくる」

 上着と念銃を手に、休息地を出た信玄。リビングに残された丙良は、ただ申し訳ない気持ちで、無言のまま項垂れるだけであった。追うことはしない、追ったらまた異なる未来が訪れるだろうが、その未来を辿る自信は無かった。

 沈黙が立ち込め、重くなり始めたリビングが軽快になったのは、ほんの数秒後。着替えを済ませ、パステルカラーかつふわふわの部屋着に包まれた女子陣であった。皆一様に肌が艶々しているように思えた。何故かは『不思議と』知らない。というより男性陣は気を利かせ忘れてしまった。

「ごめんね丙良くん、だいぶ長風呂で」

「――大丈夫さ、その間誰かが侵入したなんてことはないから、安心してくれ」

 丙良の元気のない表情を見て、礼安はすぐさま駆け寄って、丙良の頬を両手でもみくちゃにする。丙良の顔近くに、礼安の見目麗しい顔が鼻先すれすれまで迫る。礼安が使ったと思われる、洗顔料のフローラルな香りが鼻孔を擽る。

「大丈夫丙良ししょー!? 何か重たい表情だし、元気注入する!?」

「や、あいいょううあああえ大丈夫だからね?」

 普段だったら諫めるはずのツッコミ役……否、お目付け役である院も透も、なぜか惚けていた。のぼせた、にしてはどうも不可解であったが、深く首を突っ込むことはしなかった。何故なら『忘れて』いるから。流石に異性の性事情に、容赦なく首を突っ込む異性の先輩、というのはただの変態である。

 礼安の手を優しく離し、森が外に出たことをエヴァに報告する。無論、詳しいことは語らず、「コンビニに行った」と優しい嘘をついて。

「――そっか……ありがとう丙良くん。今はこの緊急事態だから……ある程度誰がどこにいるかってのは、逐一把握しておきたかったんだ」

「……まあ、そこまで時間はかからないだろうし……僕たちは一旦寝に入ろうか。女子陣が寝てから数時間後まで、僕が見張っているし」

 礼安だけ、どこか異を唱えたげな難しい顔をしていたが、それに対し丙良は、ただ口の前で人差し指を立てるだけで何も語らず、黙ってエヴァの元へ送り出す。

(――君相手に嘘がつけないのは百も承知だ。ただ……嘘にも種類があることを分かってほしいんだ)

 丙良のその心の声は聞こえていないだろうが、礼安は去り際に微笑んで「おやすみ!」とだけ残し、女子の部屋に消えていった。結局、皆一緒の部屋で寝ることになったらしい。何をするのかは知らないが、意外と壁が薄いことを分かってくれ、と心の中でだけ叫んで、丙良は一人きり、見張りのためリビングに残ったのだった。


 しかし、いくら待てど暮らせど。信玄が仮拠点に帰ってくることは無かった。

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