あてのない逃走劇を繰り広げる女子陣。なおも信玄や丙良からの連絡は一切なく、戦力は分散され、絶体絶命の状況にあった。
「――不味いですね。礼安さんもいない、丙良さんもいない、信玄さんもいない……現状を鑑みるに、英雄側が大分不利な状況にあります。今こちらが叩かれたら……敵戦力次第で壊滅もあり得ます」
院と透の二人で辺り一帯を索敵しながら、森の中を進んでいる中。エヴァたちの目の前に現れたのは、予想外の人物であった。特に、エヴァにとって。
「貴女は……あの場にいた……!!」
「――エヴァ・クリストフ、時間的にはそこまで空いてはいませんが……お久しぶりですね。私は待田さんのバディである
しかし、当事者ではない全員が抱いている疑問があった。それは、『明確な敵意』を一切感じないのだ。まるで、その当人に戦力が無いか、あるいは。
「……いったい何の用ですか?」
「そこまで敵意をむき出しにされても困ります……『武器の匠』さん」
河本が手にしているのは、英雄学園で支給されたデバイスそのもの。偽造や外部での製造は不可能であるため、河本が元々どちら側の人間であるか、というのが明確になった瞬間であった。
極み付けは、そのデバイスの一画面。ある程度操作をし、皆に見せた画面には、『武器科』三年二組と書かれていた。嘘偽りない学園長のデジタル署名まである、正真正銘現在在籍中の生徒であったのだ。
「私は……『教会』側に潜り込んだスパイです。ある程度の情報を手にしてきたので……現時点を以って貴女がたと合流したく思います」
エヴァたち女子陣が向かった先は、敵襲に遭った大田区であった。その場の全員の疑問としては、『敵が残っている可能性』であった。しかし、河本は皆で森の中を高速で移動している中、その疑問を払拭したのだ。
「茨城支部は、各県に置かれている支部の中でも、最も新しい支部なんです。故に、一つの場に常駐できる対抗戦力は、実際そこまで多くありません。この合同演習会のシステムだからこそ、そして数多くの欲に駆られた英雄側の裏切り行為によって、戦力が多く見えているだけなんです」
それに、裏切った面子にこれと言った戦力持ちは存在しない。数名を除いて。しかしそれらの『粒』は、大田区に向かった、あるいは大田区に常駐しているなどという報告は存在しない。
「待田さんがそこで襲撃の要となった結果、現状裏切った英雄たちが点在こそすれど、待田さんと瀧本さんの戦いに巻き込まれたくないと、大田区外の人員は遠く離れていたんです。戦闘発生時からそこまで時間の経っていない今、待田さんは裏切りの面子を引き連れて一旦拠点に戻っていることでしょう」
実際問題、茨城支部の幹部はこれまでと比べ少ない。戦力は粒ぞろいではあるが、皆どこかの支部から臨時で出向してきた。それに、支部長たる信之にも、精神面に難があった。
「――あちら側の戦力で、最も強い存在は待田さんです。あの人は自分のことをとにかく卑下する癖があるので、あの人の自分を語る言葉は信用できないんです」
「一体どういうことですの……?」
「他でもありません、茨城支部に出向する前、あの人は元々別支部の『支部長』でした」
そうなった理由は、上からの指示。それと、本人が面白がった結果。日本各地に点在する支部長の中でも、待田は指折りの実力者。少なくとも、現状の英雄側で勝負になる存在はほぼいないのにも拘らず、それを了承した。『教会』側は、英雄側を全力で潰しにかかっていたのだ。
「んな……小動物を狩るのに、度を越えた力使う馬鹿みてェじゃあねえか」
「それほどに、上は危険視しているんですよ、貴女がた英雄科一年次生徒をそれほどの価値がある、度を越えた力を扱う馬鹿になれるほどの覚悟があるんです」
最強格が一堂に会するこのタイミングこそ、皆を叩くチャンスであった。襲撃に乗じて、待田の圧倒的なスペックにより皆殺しにする。それこそが『教会』側の計画。どれほど茨城支部自体にパワーがなくとも、ワンマンプレイでどうにかできる、それほどの確証を持てる、博打を打てる存在であるのだ。
「――正直、私に天辺の考えは分かりません。貴女がた一年次が、どれほどの化け方をするのか、未知の領域です。でも……一説によると、『教会』教祖は、未来を見通す力があるとされています。そのサーチに引っかかった危険因子……そう考えるのが、妥当なんでしょうね」
大田区に向かい走る院と透、そして今この場にいない礼安。その三人が、『教会』にとっての危険因子。そう考えられるほどに、他の英雄と比べ才覚ある存在であったのだ。
「『教会』の信者の多くは、人生の道に迷った存在です。その中でも、この英雄学園をドロップアウトした存在もまた、『教会』に多く入信する傾向があります。他よりもなまじ優れた存在だからこそ、その優れた存在の中でもより上位の存在を嫉妬深く思う。誰かよりも自分が劣っていると自覚して、それを受け入れることは容易ではないのです」
「故に、丙良くんが目をかけた礼安さんたちが狙われる、と……」
「特に、瀧本さんですね。学園長の実の娘でもあり、近年稀にみる因子と武器、そして天運に愛された存在ですから」
強い存在であるからこそ、多くの恨みを買う。そんな礼安を打倒しようと、多くの人員が動く。そんな人の負の側面を一挙に背負い、自分たちの手で世を混沌に陥れる存在こそ、『教会』であるのだ。
そうこうしているうちに、大田区へ戻ってきた一行。逃げていた距離はそれほどでもないため、少し話し込んでいるうちに辿り着いていた。
「……まだ、口で話しているだけで証明が出来ていませんよね。私が味方だという証明が」
河本は自身のデバイスを入り口に置かれた端末へかざし、無事認証される。五分の猶予時間の内に、加賀美は気になることを河本にぶつけた。
「では……あの制御端末にあった開放記録は……一体誰のものだったんでしょうか」
「他でもありません、待田さんと私です」
三件の開放記録。それは待田が端末自体をいじくり、さらに加賀美の認識を誤認させた一回に、案内をするため合法的に入り込み、その後すぐに大田区から離脱した河本の二回分。
それこそが、信玄の一回を除いた、あの不審な三回の内訳であった。
「実は……武器科の生徒で一人。完全に待田さんの圧力に圧倒され、『教会』側に寝返った女子生徒がいるのですが……待田さんや私と別れてから、一切の連絡がつかないのです。チーティングドライバーを渡しこそしましたが、手元にあるのは通常のヒーローライセンスではなく、完全に劣るインスタントライセンスのみ。悪だくみしていなければいいのですが」
「そこが現状の懸念点でしょうか」とだけ言い残すと、扉は完全に開かれた。大田区に入り込んだ面子全員、目を疑ったのだ。
そこには、人の営みの息吹すら感じ取れない、荒廃した大地が広がるのみであったのだ。超常的な力を持つとはいえ、人がこれほどの破壊行為を行えるものか、と。
森は焼かれ、建物群は派手に倒壊し。地面は穿たれ、そこら中で血肉の臭い。目も鼻も覆いたくなる、脳が認識することを拒み、酷く蹂躙されるほどの惨劇が、まさにそこにあったのだ。
「――一体、ここで何があったというの」
「待田さん、そこまでの出力をぶつけたって言うんですか――!?」
礼安を探しながら、河本はこの現状のからくりを明かしだした。
「――待田さんは、元来そこまで力を発露したがらないんです。ある程度最小限で、いつだって全力なんて出さない……この状況も全力では無いんですが……ここ一年の間で最も力を出したと言っても過言じゃあありません! 一年次が受け切れるとは到底思えない……百トン以上の圧を辺り一帯にかけ続けたんですよ!」
「百トン以上、って……この世界で作用し続ける重力の比じゃあねえぞ!? 馬鹿デカい重機数台が直接のしかかってるようなもんだ!!」
待田は、それでなお全力ではない。だからこそ、待田の異常性をより理解した上に、茨城支部最強戦力ともいえるその人物の恐ろしさ、そしてその恐ろしさに潰されたであろう礼安の生存を、半ば全員諦めていたのだ。
しかし、礼安は確かにそこにいた。骨や肉、装甲こそ砕けていたが、蒲田中央に倒れ伏していた。出血は多量、しかしその礼安の頭上には、不自然な小瓶が一本置かれていたのだ。
その小瓶を手に取った河本は、その側面に達筆で書かれた置手紙を目にする。
「――ッ」
そこに書かれていたのは、礼安との再戦を望む旨と、その場にいなかった河本への憐憫の情。怒りなどは一切込められておらず、ただひたすらに河本を案じるものであった。
(――元より、お前さんがスパイだってのは最初から分かっていた。『あン時』にそれはしかと許した。しかしそんな中で、俺を毒殺しようともしなかった、その心意義。結果的に敵とはいえ、その心意義に敬意を表するぜ。チャンスは、いくらでもあっただろうによ)
たった一年。待田の側近として、そして英雄学園からのスパイとして居ただけ。それなのに、確かな信頼を置いて傍に置いた。毒殺や暗殺される可能性すら、考えていたのにも拘らず。河本は、確かにそういった曲がったことが嫌いだったため、その可能性を最初から考えていなかった。考慮の余地に入ってすらいなかったのだ。
(本来の古巣に帰るんなら……容赦はしねえが、達者でやれよ。お前さんのいつも作ってくれたつまみのメンマ……美味かったぜ)
待田自体、悪人ではあるが、それは根っからのものではない。故に、礼儀は忘れない。だからこそ残した言葉は、河本への別れの挨拶であり、最大限の手向けであった。
その小瓶の中身は、待田がよく使っていた秘薬。日本では使用も持ち込みもできない、そんな外来植物をふんだんに扱ったものであったが。それは礼安への礼の表れなのかもしれない。
どれほどのことが行われたかは、当事者でないため理解できなかったが、それでもこの薬を残すということは、それほどまでに礼安を認めた証であったのだ。
河本の周囲には、エヴァたちが全員集まっていた。その秘薬の秘密など知らないまま、礼安が復活する瞬間を今か今かと待ち望んでいたのだ。
「――では、飲ませましょう。待田さんからの……贈り物です」
そこから、礼安が息を吹き返すまでに、一分もいらなかった。