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第百三十七話

 信玄と信之は、ほんの一年の年の差しかない、兄弟と言えどフランクな関係性であった。英雄の因子が信玄に見つかったのも、小学五年生頃と平均より少しばかり遅め。

 因子が発覚するまでの間、二人の兄弟はそれぞれをリスペクトし合っていた。

「兄ちゃんは、何でもそつなくこなせて凄ェや。多くの運動クラブの助っ人もできる、頭も良い。んでもって見た目も良い、自慢の兄ちゃんだよ」

「信之は、努力を重ねられる『努力の天才』だよ。俺っち、正直飽き性だから……継続できるその忍耐力、兄として誇りに思う。自慢の弟だよ」

 互いに互いを褒め合えるほどに、出来た関係性。元々水泳を習っていたこともあり、二人で互いに高め合う、実に良好な関係性であった。

 しかし、その均衡が崩れ去ったのは、信玄が小学五年生後半のとき。信玄の身体能力が、他の生徒を軽く追い抜くほどにまで、急激に成長したのだ。最初、信玄は水泳の才能が開花したのか、そう考えていたが――その説明では足らないほどの、身体や能力の成長であった。

 両親は、信玄をすぐさま医療・研究機関へ連れて行った。その結果本人に、英雄『織田信長』の因子が覚醒したことを告げられた。

 因子が覚醒すること自体、非常にレアリティが高い。その中でも著名な英雄であった場合、さらにレアリティが高い。それ故に、信玄の両親は当人を神格視したのだ。努力すること以外に無才能であった、信之を見捨てるようになったのは、ここからであった。

 最初、信之は自分の兄が『因子持ち』であることを誇りに思っていたが、周りの人間から比較されることに、次第にうんざりするようになっていた。自分自身で何とか納得しようとしていたが、明確に皆から差別されだした瞬間から、信之は信玄を疎ましく思い始めたのだ。

 肝心の信玄は、信之と関わることすら許されることはなく、兄弟でありながら心の距離が開き始めていたことを自覚した。

(――だけど、そんなのは嫌だ。信之と俺っちは……二人で兄弟なんだ)

 信玄は、仲間外れ扱いをされていた信之を仲間の輪に入れるよう、何度も動いた。その結果、信玄をはじめとした『優等生』のコミュニティに出入りする人間の一人となったが、信玄以外がそれを良しとはしなかったのだ。

「――何で、因子も目覚めていない人がここにいるの?」

「お兄ちゃんが恵まれたが故に……そのしわ寄せが本人にやってきたんでしょうね」

「出来た兄に、大したことのない弟。現実って、無情ね」

 その周りの声は、決して信玄の聞こえないところで囁かれた。しかも、信之にのみ聞こえるように。何とか心を病まないように聞こえないふりを貫いていたが、言葉と態度の暴力は信之を徹底して追い詰める。

 無才能であることは本人が望んだことではないのにも拘らず、そしてただ運がよく選ばれただけの存在であるのにも拘らず。信玄の与り知らないところで、信之は徹底的に暴力を振るわれたのだ。家族などの身内や、信玄のコミュニティ内の人間に。

 理不尽な暴力は、信之の心を蝕んでいった。選民思想蔓延る、人間の闇に触れた信之は、信玄含め多くの『因子持ち』を憎むようになっていたのだ。

 しかし、信玄がそれに気づかないはずが無かったのだ。大切な家族である信之を、少しでも恵まれた道へ連れ出そうとしていたのだ。そして、自分は大したことのない道へ向かうように、進路を適当に決めたのだ。

 その代わり、信之には勉強や部活動の指導を全力で行った。英雄や武器以外の、優れた人間への道を辿らせるよう、信玄は必死でサポートしたのだ。

「……兄ちゃん。何で俺なんかに構うんだよ。兄ちゃんは色々と忙しいんだろ?」

「――俺っち、入学予定の中学を卒業したらさ……そのまま就職するんだ。だから――」

 せっかくの恵まれた境遇を、自分のために捨てようとする信玄。そんな兄が、余裕を示しているように見えたのだ。無論、兄が弟を気にかけているだけだったのだが、結局嫉妬心はその時点の信之の心を深く蝕んでいた。修復不可能なほどに。

 思い切り、信玄の頬を殴り飛ばす信之。積み重ねられた苛立ちが、ついに爆発した瞬間だったのだ。

「――見せつけかよ。自分が少し恵まれているからって、俺への余裕の表れかよ!! 何で足並みを揃えようとすんだよ、さっさと先の世界に行けよ!!」

 信玄は、信之を置いていくことなどできやしなかった。今まで一心同体のように動いてきた兄弟が、離れ離れになることを考えられなかったのだ。

 どれほど迫害されようと、信之は自分の弟。無才能だろうと、自分の傍でその恩恵を受けさせてあげたい。裕福な暮らしをさせてあげたい。ただの兄心だったものが、本人には全て歪んだように見えていたのだ。

「……はっきり言ってやる。大きなお世話だ!! 兄貴は何でも上手くいく、これからの人生だって順風満帆だ!! 俺が辛い迫害を受けたのは兄貴のせいだ!! 何を思っているかはよく分からねえけど――もう一般人パンピーの邪魔をするなよ、むやみやたらに傷つけんなよ!!」

 信之の、心からの叫び。兄としての優しさが、全て無駄だと告げられた瞬間の信玄の表情は、絶望そのものであった。


「――俺は、俺の道を行く。才能のあるやつは……勝手にその先を行ってろ。二度と……俺に関わるな」


 その訴えから、結果的に兄弟間の軋轢が生じた。会話など、することも無くなった。


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