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第百四十一話

 敵陣地ど真ん中、人数は実に二人ほど。やれることは限られている。最重要な事柄は信玄を救い出すこと。そしてこの場から逃げ果せること。それと、丙良にとって無視できない事柄を果たすこと。

 そこら中の土全てを脈動させ、磔にされた信之を乱暴に掴み、信玄と共に土中に消える。

「――なるほど、実に賢い。若ェのに機を見て襲撃するだなんてよ……猪突猛進じゃあねえのは将来有望だな」

 待田はそんな逃げる丙良たちを追うことはせず、そのまま逃がした。不服そうな人間は数名いたものの、異を唱える者はいなかった。

「……しかし、信之まで連れてったのは、正直よく分からねえな。情けでもかけるつもりか? アイツがそれを受け入れるとは……到底思えねえが」

 待田の隣で逃げる丙良達を嗤うのは、裏切り者の鍾馗。まるで人を惑わす狐のように目を細め、彼らを嘲笑っていたのだ。

「――実に情けない。ですが……面倒なほどに賢い人間を相手にするのは楽しいです」

「俺が言えたことじゃあねえが……良い性格してるぜお前さん。そして、真に裏切り者となったお前さんだからこそ……信用できるもんだぜ」

 待田は丙良達を見失うと同時に、裏切った英雄たちに向き直る。その場に百喰などはいなかったものの、士気は充分であった。

「――手前テメェら。俺のために、そして英雄陣営を叩き潰すために……命賭けな」

 静かなる宣言は陣地内に響き、一行は雄叫びすら上げずに戦いの時を待つばかり。冷徹な裏切り者たちは、英雄たちを叩き潰すために動き始めるのだった。


 現在時刻、朝四時半。英雄陣営で深刻な被害を負った礼安が、最初に起床。未だ寝静まる皆を気遣い、静かに仮設住宅を出る礼安。ここではない遠くの方で、音が聞こえたことに起因する。あとは、新鮮な空気を吸いたかったことも理由としてある。

「――地面が、踊ってるみたい」

 ある意味、感知する力は他よりも優れていたため、未だ日が昇らない中で遠くの地面を凝視していた。その礼安の予想は、思ったよりも早く的中する。

 大田区内に現る、土で出来た龍に跨り、望まれた帰還を果たしたのは、丙良と信玄。そして、礼安たちにとって一番の予想外たる人物も巻き込んで。

 何とか信玄を抱きながら着地する丙良。縛り付けられていた信之は、優しく転がる。

「丙良ししょーと森ししょー!! ……と、森ししょーのそっくりさん?」

「――まあ、兄弟だからねん」

「へ??」

「……まあその反応も無理ないよ。とりあえず……今いる皆を起こしてくれないかな??」

 困ったように笑う丙良であったが、礼安は二人の帰還を何より喜んでいた。そして、長いこと会えなかったからこそ、この言葉を何より述べたかったのだろう。子犬のように無邪気に笑いながら、二人の手を握る礼安。

「――お帰りなさい!」

 こんなに底なしの良い子を放置してしまったことへ罪悪感が芽生えながら、信玄は丙良と同じように、困ったように笑って見せるのだった。


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