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第百四十五話

 まだそこまで時間は経過していないのだが、二人の心は枝葉に至るまでしっかりと満たされていた。それなりに金をかけて購入した栄養剤を観葉植物に上げた時の反応のような、そのような感覚を人間である二人が味わうとは思っていなかったのだ。

「――朝日が、しっかり昇った。多分……いつかは終わらせなきゃいけないんだろうな。俺っちたちの喧嘩ってのは」

「楽しい時間ってのは、早く過ぎ去るもんだな、本当。この十数分……生きててよかったと何度思えたか分からねえ」

 二人は、知らぬ間に瓦礫で出来た、屋上への道を二人並んで歩き始める。その間に、二人とも下らないことを言いあいながら笑いあっていた。こんな場を生みだした張本人であり、今もまだ喧嘩の真っ最中であっても。二人きりの世界に入り込んでいたのだ。

「――でもさ。こうして喧嘩すんのもさ、世の兄弟からしたら普通なんかな、兄貴」

「ここまでやんのは普通じゃあねェだろうけど……多分世の中の兄弟からしたら『普通』なんだろうな、殴り合いだとか言いあいの喧嘩、ってのは」

 登っていく中で、装甲の耐久がボロボロになり、邪魔になってきたのか、歩く途中で頭部装甲を外し、辺りに捨て去った。本人の元を離れた装甲は、光の粒となり消えていく。

「良いのかよ兄貴、顔面にパンチ叩き込んだらモロだぜ。今の俺が躊躇なんてしねェしさ」

「良いんだよ、顔がはっきり見えた方が……思い切りやりやすいだろ? 天がイケメンと因子持ち、それに万能の才能という三物を耳揃えて綺麗に与えた、実に憎たらしい兄貴の顔なんだ。きっと俺っちが主人公の物語なんぞ、共感性皆無だろうよ」

 屋上に辿り着いた二人は、静かに向かい合った。

 朝日上りゆく中、朝日を背に立つ信玄と、都市部を背に立つ信之。

 ほんの少しの距離を開けたものの、いずれこの距離はすぐ埋まる。物理的にも、精神的にも。

「……じゃあ、やろっか、信之。男同士タイマンの流儀は……結局拳同士の殴り合いが全てっしょ。実際に体験なんて……最後は中学以来か」

「ハハッ、それは言えてる。何度、漫画でそんなシチュ見たか。ヤンキー漫画とか、教育に悪ィとか言われてたけど、何だかんだ見ちまうんだよな。コンビニの立ち読みとかでよ」

「俺っち、あれ好きだったァ。早い段階で打ち切りになっちまった漫画だけど、大分吹っ飛んだ設定の『SWOT』って奴。本誌で見ちまうほどにハマってたよ」

 語らう二人は、静かに拳を構える。気力と体力が削れていく中で、残るは根性のぶつかり合いでの決着。

「第二ラウンドも、加減はなしだぜ。信之」

「誰が加減するかってんだ、兄貴」

 大それた号砲なんてものはなく、互いの目線の動きだけが合図。一瞬にして先ほどまでの柔らかな瞳はどこへやら、二人とも目の前の相手を殴り飛ばす、戦を求める戦士としての瞳に変わる。

 多くの血が流れた。殺意などかなぐり捨てた、拳と拳のぶつかり合い。

 一般人と比べ、超常的な力を保有する英雄、あるいは『教会』の面子同士の戦いとは、到底思えない泥臭さ。武器や能力を用いるのではなく、ただ拳同士で語り合うのみ。

「アハハハハハハハハハハッ!」

「ハハハハハハハハハハハッ!」

 どれほどのいざこざが過去にあろうと、拳を交えることで言葉もなく語り合う。ただそれだけ。

 頭部装甲を外しはしたものの、それ以外はそのまま。各種装甲で守られた部分はちゃんとサポート付きで守られているものの、顔面はその限りではない。もろにダメージを負い、一切のリジェネ機能が働かない。怪人の馬鹿力により骨が折れようが肉が裂けようが、痛みも傷もダイレクトに伝わる。

 それぞれ、お構いなしに顔面を殴り合う、さながらヤンキー同士タイマンの決闘。互いに賭けたものなど存在せず、あるのは誇りの示し合い。

 しかし、二人はどれだけ血を流そうと笑い続けた。純粋に、心の底から。

 決して、気が触れた訳ではない。兄弟同士、初めての語りあい。それが楽しくて、許されるならこのままでありたかったのだ。

 多くの殺人。多くの裏切り。そう言ったマイナスの事象を乗り越え。どちらかが上を示す、ただそれだけのための、殴り合いの喧嘩であった。

 空港に置かれたオブジェクトを特段利用などせず。ただ純粋な殴り合い。第二ラウンドが個人で宣言されてから、はや十数分。それぞれのスタミナの許すままにこの状態が続いていたのだ。

 命の危機など知ったことか、合同演習会の勝敗など知ったことか。

 そこには絵面とは正反対の、年相応の楽しげな雰囲気に包まれていたのだ。

(信玄、それに信之君。心の底から、この時を待っていたんだな)

 傍観していた丙良は、ほんの少し妬いていた。今までいがみ合っていた二人が、数年越しにこうして楽しく殴り合っているこの状況。今まで、こんなに楽しそうな信玄を見るのは一年ぶり。コンビを組んで無我夢中で暴れていた、『ダブル・シン』のたった一回。その時しか、あの表情を見ることは出来なかったのだ。

 しかし、丙良にとってそれはマイナスの嫉妬ではなかった。嫉妬というよりも、憧れに近い。家族などの近しい人間であれば、あの表情を見ることは容易い。そんな存在に、自分もなりたかったのだ。


(――本当、男ってバカな生き物なんだよ。いつだって、こういったベタベタな殴り合いに弱い。心が喜んでしまうんだろうね……僕も、ある意味そうだったから)


 信玄と中学時代以来、まともな喧嘩をしたことのない丙良。しかし、いつだかのタイミングで手合わせをしたことがある。他生徒よりも、圧倒的な力を持つ丙良に、信玄は心躍っていた。その逆もしかり。二人の手合わせは、お互い満たされるものであった。それもそのはず、信玄は丙良を目標に英雄を目指していたのだから。

 丙良自身、信玄が英雄の道を真に志すようになったきっかけは知らないまま。きっと信玄は、一生そのことを口外しない。互いに高め合う好敵手、そのままなのだろう。恥ずかしがって伝えることすらできないのだろう。

 互いに、ふらつきながらも空港屋上で殴り合い続ける。辺りに血が飛び散りながらも、ただひたすらに楽しんでいた。

 しかし信之は、右拳の震えが収まらずにいた。当人の意志とは正反対で、体の限界を迎えていたのだ。

 それを察した信玄は、黙ったまま目線のみで語り、左拳を握りしめる。それを察した信之は、微笑しながら同じように左拳を力強く握りしめた。

(――思えば、お互い利き手が一緒だった)

(二人とも、珍しく左利きだった)

 右利きが優遇されるように、世の中のものは多く作られているため、お互い等しく苦労した。しかし、それも今となっては良い思い出。

「名残惜しいが、これが最後だ――信之」

「まげ、ねェぞ――あァにぎィ」

 傍から見て、信之は既に限界を超えて動いていた。口や足は震え、右目は血で完全に潰れ。出血量も信之の方が多く、勝負はついている。

 しかし、それでも丙良は止めなかった。信之の心が、一切折れていなかったのだ。どれほどの逆境に立たされようと、信玄を超えようと食らいついていた。それを止められるほど、丙良は分からず屋ではなかった。

 握りしめた拳の強さもまた、信玄の方が上。信之の拳は握りしめてはいるものの、ヒットした瞬間、力が呆気なく解けていってしまいそうなほどに、弱弱しかった。

 互いに、それぞれの頬目掛けフルパワーで振りぬく。構えや型などのへったくれも無い、無法の拳同士。

 それぞれクリーンヒットするも、信玄の拳の方が深く、強く突き刺さる。意識を消し去る、鋭く重い一撃。

 どれほどダメージを受けようと、ド根性を胸に一定ラインで耐え続けた信玄。

 そして嫉妬心を胸に、今日この時を迎えた信之。怪人と英雄の力、二足の草鞋で戦い抜くも。その場に膝をつき、お互いの血で生じた血だまりの中に、力なく仰向けになって倒れた。

「――信之。俺の……初めての勝利だ」

 そうとだけ言い残すと、信玄もまた膝をつき、崩れ落ちるように同じように隣り合うよう倒れた。

 長く続いた兄弟間の因縁は、今日この時を以って完全に決着。

 兄を超える力のために、そして世の中や兄への嫉妬心を胸に、今日まで『教会』茨城支部支部長として生きてきた信之と、弟の無念と丙良への憧れを胸に、今日まで英雄学園で多くの英雄としてのノウハウを学んできた信玄。勝者は、信玄。二人とも疲れ果て語り合うことなどしなかったが、そこに言葉はいらなかったのだ。

(……全く、僕の労力が増えるなあ)

 そう心中でぼやく丙良であったが、その表情は状況とは裏腹に穏やかであった。

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