信之が目覚めたのは、その戦いの決着がついた一時間後。仮設住宅内で、信玄と信之両方仲良く丙良によって治療されていた。丙良の頬は戦闘可能ではないほどにこけていたが。
「――きっと……俺は負けたんだな」
負けを自覚した信之であったが、その心中は満足していた。それと同時に、自分の強さがそれほどでもないことを認識した。井の中の蛙が、真の意味で大海を知った瞬間であった。
約束通り、信之は『教会』側として戦うことを止めた。枕元に置いたチーティングドライバーは、本人の心の歪みに応じて歪な魔力を帯びるのだが、今のドライバーはもぬけの殻そのもの。本人がそれを扱わず『教会』入信当初から信玄の武器を用いて戦闘していたため、元から影響が少なかったために信之の歪みは多少なり補正されたのかもしれない。
そこで、信之の中には迷いがあった。
あれほどの殺しをしておいて、自分が許される道はない。これからの自分の身の振り方を考えていたのだ。どちらかが勝利した際、自決するか、自首をするか。せめてもの罪滅ぼしを試みるか、何もせず動かず終えるか。
待田に敵わないことは、信之自身が十分自覚している。だからこそ思い悩んでいたのだ。
「あ、起きたんだ」
仮設住宅内に入ってきたのは、救急箱を抱えた礼安であった。いくら兄弟喧嘩の場を用意してくれたとはいえ、どうも気まずい信之は、そそくさと仮設住宅の外に出る。上着など、最低限のものだけを手に取り。
それにより、そして礼安自身の第六感により感づいてしまった。ここから立ち去ってしまうのではないかと。
「――どこに、行くの?」
「……正直、よく分かんねえ」
戻ったとしたら、待田の仕切る『教会』の軍勢にリンチされるのが関の山。気力体力が全快状態であろうと、数には敵わないことは分かっている。大将首としての価値がなくなってしまった自分が、帰る場所などない。とはいえ、この場に残ったとしても何ができるのだろう。
そんな信之の迷いの色を感じ取ったのか、礼安は信之の手を取る。慈母神のような微笑みを湛えて。
「――正直、貴方が背負った罪を肯定する気は全くないよ。でも……このままこの外に出ても……帰る場所は無いんでしょう? なら――私たちと一緒に戦おうよ」
エヴァがルール上戦闘不能状態にあり、現在まともに戦えるメンバーは一人欠けているようなもの。加賀美に関しては、戦力としては未知数のためカウントできるかは不明。
そんな中で、向こうは最強格である待田がいる。礼安も一度、何もできずに敗北した相手である。さらに、そこに英雄サイドの有力な裏切り者が多数。大勢をリタイアさせ戦力を大幅に削りはしたものの、全部削ぎ切ったとは思えない。
礼安は、周りの仲間に対し、露骨に『何か』を隠されていることを感じ取っていたのだ。そこにどういった真実があるのか、一切分からないものの。
その嘘の色に、言いしれない不安を抱えていたのだ。
「……でもよ、俺は元々『教会』サイドの親玉だ……今も茨城支部の支部長であることは変わりねえ。『教会』と敵対する英雄が、そんなんでいいのかよ」
「でも……貴方が何も出来ずに終わってしまうよりも……少しでも私たち含め勝つ可能性を増やしたい。待田って人が苦手なら……一緒に立ち向かおうよ。どこかで聞いた……『敵の敵は味方』、ってやつだよ」
「……お前本当は馬鹿じゃあねえだろ?」
「私馬鹿じゃあないもん!」
「馬鹿」発言に対し、不満げに頬を膨らませる礼安。礼安は馬鹿ではないが、作戦等を考える頭が秀でているわけでもない。『リタイア』に関する事項も、咄嗟の閃きから生まれた発想であることに変わりがないのだ。
だが、その礼安の一言に呼応するように、仮設住宅から出て来たのは信玄と丙良。数時間前まで、羽田空港で殺し合うほどの大喧嘩をしたとは思えないほど、清々しい表情の信玄と……先ほどまで精力尽き果てて意識を失っていた丙良。未だ頬が酷くこけている。顔の影が未だ濃いままである。十六歳とは到底思えない。
「――だってよ、信之。ただ捕まるより、少しくらい善行詰んで
「……正直、僕としては参加してほしいかな……猫の手も借りたいほど戦力不足なんだこっち……僕この様だし、エヴァちゃん参加できないし」
予備の丸サングラスをかけた信玄は、信之に対し静かに手を差し出す。仮に院と透が嫌がろうと、この場においては多数決で敗北している。繕う言い訳は充分である。
「――良いのかよ、俺が……もう一度裏切るかもしれねえんだぞ」
「その時は、俺っちがもう一回グーパンで目ェ覚ましてやる。兄貴のグーパンは、信之のグーパンより強ェのは……分かってんだろ?」
黙って牢に入るか、行ってきた悪行と比べたらちっぽけなものだが、少しでも善行を積んで牢に入るか。あるいは、黙って殺されるか。
そう考えたら、選択肢は一つ。
信之の手は、迷いながらも信玄の手を取る。実に弱弱しい握力であったが、信玄が強く握り返す。今まで、あり得なかった可能性がたったいま実現したのだ。
「――悪ィけど、手柄は渡さねえぞ。兄貴の上を行きてェからこそ、この力を願ったんだ」
「ほぉ、俺っちに喧嘩負けといてよく大口叩けるもんだ。英雄としての俺っち、舐めんなよ?」
軋轢が生じていた兄弟が、立場こそ違えど一時的に手を取り合う。これほど願ったことがあるだろうか。
礼安は感銘を受けながら、自分のデバイスを起動させある場所へ電話をかける。他でもない、信一郎であった。
『はい愛娘のためならどこへでも、
その場にいた礼安以外のメンバーが、その電話の向こう側の人物に対し、非常に白い目で見ていたが、礼安は違う。まるで飼い主が帰ってきたかのような、従順なポメラニアンのように大いに喜んでいた。
「パパ、一つお願いがあるんだけど……」
『何だい? とはいっても……粗方どっち側の事情も、把握済みなんだけどね~』
信一郎はその次に発するであろう言葉を、酷く渋っていた。それもそのはず。ルールには違反していないものの、正直反則すれすれどころか普通に考えたら有り得ないようなことを礼安が
仮にも元々は『教会』側の大将首に設定された人物が、運命の悪戯によって英雄側の戦力になろうとしている。大将首の事実上の『譲渡』……もとい、ドライバーの交換行為は既に行われていたが、名義はそのまま。
電話の向こう側でうんうんと唸っている信一郎に対し、礼安が一言。
「パパ――――お願い?」
『分かったよ!! パパ愛娘のオネダリなら何でも許しちゃう!!』
その悩みの均衡を崩したのは、礼安の全力で甘える声たった一つ。礼安は無自覚なのだろうが、傍から見たら疑似的な『パパ』と、徹底的に貢がれる『娘』の関係性を保った『アレ』。無機質なデバイス越しであるはずなのに、そのデバイスから無限のハートマークがあふれ出てくるようであった。実際一切目には見えないが。
「――礼安っちって、因子何だっけ、『サキュバス』? もしくは『リリス』?」
「「いやそれまず英雄じゃあ無いだろ、悪魔だろ」」
……とまあ、こんなにあっさりと信之の名が英雄側に移行することに。それと同時に、『教会』側の大将首が待田へと名実ともに移行する形となった。
「――これで戦力問題はある程度解決、っと。あとは……エヴァちゃんか」
振り返った丙良の目線の先には、悲しそうな顔をしたエヴァ。そしてそれと同時に困ったような表情の加賀美、そして平静を保つ河本の三人がいた。
「あれ、透っちと院っちは?」
「ああ、あの二人は……二人きりで開戦前まで修行するらしいから、とりあえず二人きりにしておいたよ。ここからの時間帯はルールが適応されるから、迂闊に大田区内部には入ってこれないでしょ」
「――待田さんの認識阻害に関しては、条件があります。第一に、ある程度目立たない状態でなければならない。第二に、最大で三人までしか認識を捻じ曲げることができない。全軍勢をぶつけるとしても、ごまかせるのはその内三人。正直割に合いませんし……そのことを知っている私がここにいる以上、待田さんがもう一度その選択を取るとは思えません」
だからあの二人は大丈夫でしょう、と静かに笑む河本。しかしそれ以上に、皆はエヴァの処遇を決めかねていた。戦力に関わらない存在となってしまったため、いかなる戦闘行為が出来ない。
「――こうなることは、最初から了承していました。礼安さんが気持ちよく戦える状況を作るには、誰かの犠牲が必要でした」
そう呟くエヴァの拳は、弱弱しく震えていた。元から戦闘をメインとはしないエヴァであったが、礼安たちと共に戦う二つの案件は、武器を丹精込めて作り上げるのとはベクトルの違う楽しさがあった。戦力外となることが、ここまで辛いものだとは思っていなかったのだ。
しかし、そんなエヴァを労うかのように、信之があるものを手渡す。それは、信之自身のチーティングドライバーであった。触れていいものか、という逡巡が生まれたが、信之はエヴァに手渡す。
「一度こっぴどく敗北した奴のドライバーを触れても、別に精神汚染等は起こらない。何なら、精神汚染を最初に引き起こすのは、そのドライバーと最初に契約した存在だけだ。安心して表に持っていけ」
通常なら、死んだとしてもおかしくはなかった信之。それがなぜ今ここにいるか、それはありとあらゆる施しを受けたからこそ。信之にとっての、不器用な形で施された礼であった。
「上で研究すれば、多少なりともそっち側の発展につながるだろ? 受けた恩は返さなきゃ気が済まない質でよ」
「――そっか、ありがとう。信之君」
少しでも、皆の役に立ちたい。そんな思いが第三者の力添えによって達せられたその時、エヴァの苦しみは、多少なり軽減された。
『じゃあ、ルール上戦闘不能者だし……エヴァちゃんはチーティングドライバー持って帰ってきな。うちの研究班と一緒に早速解析開始だよ』