「……やっぱりね。正直、精神汚染を食らっているとは思えないほどに、君は戦い方が純粋だ。かつて、手合わせした時と何ら変わりないほどに」
精神汚染の影響を受けた者は、全て卑怯者、あるいは狂人の思考に転換される。どれほど自分が血を流しても構わない、それでいて統一意志の直線上に存在するのは、『教会』の教祖たる存在が偶像として存在している。徹底的に尽くす戦い方をする傾向があるのだ。
しかし、御門は――未だに自分本位な、自分が主役のミュージカルを演じているようだったのだ。倒すにも倒されるにも、自分と丙良にスポットライトが当たっているのだ。そこに偶像は存在せず、ただ自分にスポットライトを当てたがる。何なら、自分自身こそが完璧で究極の
紅の大剣をその場に突き刺し、完全に戦闘を止めた。御門はチーティングドライバーからライセンスを排莢、後にデバイスを取り出して、証拠と言わんばかりに画面を見せる。そこには、信一郎自身から合同演習会開始当初に、メールを貰っていた物的証拠がそこにあった。
「――最初から、裏切りも作戦に織り込み済みか。あの人の考えることは……やっぱり常軌を逸している」
「ボクは主役以外の役所なんてやりたくはなかったけれど……それでも裏切りの中のドラマ、というものは、大衆劇の中でも特に惹かれるだろう。だから請け負ったんだ、英雄や武器の名を背負う価値のないほどの下卑た裏切り者たちに引導を渡すべく、自ら『裏切り者』の汚名を被ったのさ」
御門はデバイスを懐にしまうものの、その表情にはほんの少しの憂いが見られた。
「――真に裏切ったら、それは大層な力が簡単に得られるんだろう? でも……ボクにこんな歪なものは似合わない……」
「それでも、足りないピースを補える可能性を考えた。僕たちに少しでも追いつきたいがために」
「……君には、大体がお見通しだね」
裏切った面子の中には、御門が入学当初から仲良くしていた友人が何人も、何十人も存在する。今もなお、精神を完全に掌握させられ、英雄たちに牙を剥いている。皆、仲良くしていたものの、結局はそれ以上の力を求め続ける、さながら狂信的な求道者であった。
怪人化したら簡単に、今まで努力していた分を嘲笑うかのような、爆発的なパワーアップが見込める。どんどん格落ちしていく中で、焦った英雄の卵はこぞって力を求める。より高みへ登るために。そして誰かを蹴落とし『
インスタントであれ、今まで苦汁を味わってきた中、格上の相手を一泡吹かせるチャンスが生まれる。そんなチャンスがあったら、どれほどのデメリットを背負おうと手を出すもの。結局は心の弱い者が、夜の明かりに群がる羽虫の如く集い、そこで焼死する――そんな状況こそ、弱者とチーティングドライバーの関係性であった。
英雄サイドに戻ったとしても、友人は二度と戻らない。内通者として英雄のために戦いこそすれど、失うものの方が圧倒的に多くなる。そんな得られるものが少なすぎる戦いだからこそ、御門は未だに思い悩んでいたのだ。
もし、頭を殺して友達と共に逝けたら。こんな辛い現実とも面向かうことは無いだろう。恵まれなかった中で、来世に期待……なんて。そんな可能性の少ない部分にかけてしまいそうなほどに、参っていたのだ。
「――かつて、かの皇帝ネロは、多くの兵に追われ自死を選ぶ際……三度ほど逡巡したそうだ。その後自分では死にきることが出来ずに、一人の奴隷に切らせたそうだが……その時に『なんと惜しい芸術家が、私の死によって失われることか』と語ったらしい。逝くことは嫌だが……そんなロマンチックな死に方には憧れてしまう」
「――何を考えているんだい、御門さん」
御門の手に顕現させたるは、古代ローマの兵士が用いたとされるプギオ。長さが十八センチから二十八センチほどの長さの短剣で、護身用のほか軽作業にも用いられた。
そのプギオを、喉笛を突き刺さんと構えた。
「――どれほど、高尚な立ち居振る舞いをしようと……失うものが多すぎる、そんな中で平静を保っていられるのはごく一部。ボクは年相応に、少しでも同じ時を生きた友を……英雄としては情けないが、見捨てたくはない……。しかしその先を生きて、少しでも可能性に賭けたい……そんな気持ちもある。ボクはどうしたらいいんだろうな……」
ぼろぼろと零れ落ちる、大粒の涙。今まで内通者として多くの情報を信一郎に流してきたものの、それによるちゃんとしたリターンは用意されている、との文言が記されてはいたものの。そのリターンは、友を見捨ててまで選びたい未来なのか。御門自身にも、分かりかねていたのだ。
「――その友人のことを否定はしない。しかし……その友人は魅惑に打ち負けるほどの、脆弱な精神性を持っていた。自分の中に存在する、勇猛な英雄の因子が泣いているよ」
元々、因子持ち自体が希少な存在。日本全人口の一割いるかいないか、それほどに希少な存在であることが英雄学園の中にいると、少々感覚がおかしくなってしまいそうではあるが。
どんなに知名度のない英雄の因子だろうと、努力は裏切らずそれなりの戦果を生んでくれる。結局は、自分次第であるのだ。
「その子は、英雄の卵として、自分を高めるために向き合ったのかな。それとも……『因子』を持ったからと言って、その地位に甘んじたのかな」
生半可な気持ちでは、英雄としてプロデビューは出来ない。いたずらによってデビューしたとしても、いずれぼろが出る。今の地位に不満足であり続けなければならない、究極のハングリー精神こそ、英雄には欠かせないものであった。
そうでなければ、『純粋な欲』を力の根源とはしない。いつだって、その底なしの欲を満たすべく、邁進し戦い続けるのだ。どれほど力が劣っていようと、その欲を満たすことはできるだろう。強いことだけが、英雄の最たる条件ではないのだ。
「――かつて、自分の弟に成功の道を譲ろうと、一度は英雄の道を諦めようとした男がいた。結局は、弟の不器用な叱咤激励で、その道を真っすぐ行った……そして、その男は今もなお戦い続ける。どれほどの痛みを背負おうと、弟の分まで戦い続ける、って」
話に出したのは、言わなくてもわかるほどの人物。今もなお、この混沌の合同演習会で英雄陣営の一人として、戦い続ける男。
「失うことは……必要なのかな。ボクにとって……必要な犠牲なのかな」
丙良は、決して肯定はしない。しかし否定もしない。ただ、慈愛の目で見つめるのみ。
何も失わずに成長できるのなら、それが最良の選択。しかし、それはそれぞれの尊厳を尊重した結果にまつわるものなのか。
しかしいつだって、何か大切なものを失いながら、英雄は強くなる。これまでの歴史上も、大切な人に裏切られた英雄や、多くの苦難を経験した英雄の物語ばかり。失わず強くなれるならそれに越したことはないが、結局は両の掌からすり抜けて、零れ落ちていくばかり。
失っていくものばかり数えるのは、いつだって心が磨り減る原因であるのだ。今あるものを数え、それを守ることこそ――英雄のやるべきことである。そうでないと心が死んでしまう。
何度も何度も、死地に潜っては失うことばかり。得られる名誉や栄誉など、たかが知れている。この世にプロの英雄として君臨し続ける存在は、それ相応の痛みや苦しみを永遠に味わい続けるのだ。
「――僕は、結果的に多くのものを失って、この最強格の面子に存在する。もちろん、これが正解とは限らないけれど……失ったとしても、新たに始まる物語もあるんだよ、御門さん」
プギオが、彼女の手から零れ落ち、御門自身が膝から崩れ落ちる。それは暗に、友達『だった存在』を見捨てる決断を選んだ瞬間であったのだ。
「辛いよね、分かる。だから……本当に辛かったら、僕たちを頼ってくれ。その痛みを――少しでも和らげることができるかもしれないから」
静かに御門を抱きしめる丙良。男の腕に抱かれた経験のない御門は、ほんの少しこそ朱色に染まったものの、その優しき抱擁を受け入れるのみであった。そうでないと、凛々しくも優雅な『御門王歌』という女の
しかし、丙良はどこまでも底抜けに優しかったのだ。そんな強固な意志を融解させてしまいそうなほどに。御門の頭が、年齢にしては無骨な掌で撫でられたのだ。まるで子供をあやすような、優しい手つきで。
「――英雄に、心の底から泣いちゃあいけない、なんてルールは無いよ。僕たちは、英雄である以前に……ただの人間なんだから」
そんな丙良の声に、御門は声を上げ泣いた。異性だから、なんてことはなく。そこに特別な感情が生まれるかどうかは、当の本人たちにしか分からないだろう。しかし、重大な選択をした彼女にとって、今正に誰かの支えは必要不可欠であった。なかったときのことを考えたくないほどに、丙良の存在は不可欠であったのだ。
これにより、英雄学園英雄科二年二組所属兼『教会』茨城支部内通者、御門王歌と、英雄学園英雄科二年一組所属、丙良慎介の戦いは、丙良の勝利で幕を閉じた。この戦いをきっかけに『失う』ものに思い悩んだ御門が、丙良の優しさに説かされる形で終幕となった。