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第百五十三話

 時は戦国時代、多くの県の大名が、数多くの戦いを元に、この世の天下統一を成さんと動く、まさに乱世と言える時代。長いものに巻かれるか、長いものに逆らうか。あるいはあえて巻かれた後に盛大に裏切るか。頂点を取るために、あらゆる策を巡らせ多くの人間が鎬を削った、まさに激動の時代である。

 尾張国、今でいう愛知県で生まれた信長は、様々な戦いを経て近江国、現在の滋賀県に安土城を築き上げ、その城下町は他の追随を許さないほどに、栄華を極めていた。ちなみに、この時は千五百七十六年、信長が自刃した時は千五百八十二年。六年後、本能寺の変が起こるため、この栄華も長くは続かない。

 何となくの無常さを覚える信玄であったが、しかし。この後に出会う人物こそその無常観をかき消す人物であった。

 安土城、謁見室にて。信玄は正座の状態で、何度か催促を挟みながらも、かれこれ数時間は信長を待っていた。

(いくらライセンスの中の世界が外の現実世界との時間経過まるっきり関係ないとはいえ……さっさと来てほしいんだが)

 しかし、待てど暮らせど、一切当の本人が来る気配はなく、まるで酒盛りでもしているかともいわんばかりに、男同士の笑い声が聞こえてくる。恐らく相手は商人や家臣だろうが、侘び寂びもくそも無い。

 信玄は我慢ならず、痺れる脚など一切気にせず即座に立ち上がり、声のする方へ向かっていき、襖を乱暴に開け放つ。

 案の定、そこにいたのは信玄の因子元である、かの有名な織田信長。それと城下町の商人に、信長の側近である森蘭丸であった。

「うっわ信ちゃん凄ェ酒臭ェ!!」

「何じゃ信玄、あと一時間は待っとけ!」

「それ言ってんの何度目だよ!! かれこれ三回は待てっつったな!? んでその度に時間がぐんぐん伸びてたよな!? アンタ何バカみたいに酒盛り始めてんだよ!!」

 我々のよく知る、織田信長。風体は確かに、歴史の教科書でよく見るあの姿……よりも多少若い。そのため髭もまげもほんの少し若々しい。元々五十歳手前で亡くなっているとされているため、今も四十代序盤ほどであることが所以。今の時代にタイムスリップしたとしても、『イケメン』と言われるくらいに、眉目秀麗であった。

 堅苦しいのが苦手なのか、多少着物を着崩して、美味い酒に顔が緩み切っている。もし『織田信長』という人物を知らないとしたら、ちゃらんぽらんなこの時代の大人、と言えるほどにふざけていた。酒盛りが大好きで、難しい話は少々嫌う節がある。威厳は……そこに無ければ無い。

「あーもー分かった分かった、すぐ行く……酒ちょびっと残してくれよ?」

 商人たちに困ったように笑いかけると、怒った信玄に手を引かれるように、森蘭丸と共に謁見の間へ戻される。

 信長が本来座るべき場所に座らせ、当時十歳の蘭丸はその傍に。少々乱暴な扱いをしているものの、特段咎められることはない。何せ信長とは小学生高学年からの長い付き合いである。最初は威厳と風格ある戦国大名、という印象しかなかったのにも拘らず、すっかり慣れ切った今はもう、その辺にいる近所のおじさんである。

 信玄の前で大きな欠伸を一つ。一切隠そうともしないリラックス体勢に、今眼前にいる存在は「偉人ではないのだろうか」という迷いすら生まれるほど。側近である蘭丸も小さな欠伸が移るもすぐさま顔を整える。こちらの方がちゃんとしているのは如何なものか。

「――で、どうしたんじゃ信玄。なんか面白い『マンガ』とやらを持ってきたのか?」

「そんなんじゃあねえって!! 俺っちの醸し出す真面目な空気感察してくれねえかな!?」

 傍にいた蘭丸に、懐に忍ばせておいた冷水入りの瓢箪を要求し、すぐさま用意させる。一気に飲み干すと、酔いを急激に冷ましていく。現代で言うチェイサーである。

「……なァに、伊達に酒盛りしていなかったわけじゃあない、商戦前に少々やる気でも高めておこうか、と考えていただけじゃ」

「――ちなみに何時間前から酒盛りやってたんだよアンタ」

 傍の蘭丸が、可愛らしく指折り数えると、指を折った数からして信玄は察してしまった。

「御館様が酒宴を開いたのは……ざっと暁八つの頃、丑の刻です!」

「深夜一時ごろから応答なかったのそれが理由かよ馬鹿野郎!!」

「だって美味い酒が入ったとか商人に言われてな!? 飲まないと悪くなると思うてな!?」

「そのせいでこっちが大変だったんだよ!! 俺っち近頃のヤーさんもやらないような、ガチ拷問されたんだぞ!?」

 これほどに現代語を喋れているのは信玄の影響である。幼い頃から喋っていた故、堅苦しい喋り方が現代に近い喋り方へと変質。『ヤーさん』などの現代語も、信玄が教えた結果理解するようになった。ついでに信玄の信長への口調も、まるで友人に接するかのような軽快なものに。それで『不敬』と言われないのは長い付き合いの賜物である。

 しかし、そのフランクさが悪い方へ働いた結果、信玄がよほどピンチな時も呼びかけに応じない、力も出さない。そんな、何とも言えないものになってしまったのだ。全ては、なまじ信玄自身が強かったため。

「まあまあ、信玄……お前さんならある程度出来ることは分かっておるし……儂の助けいらんくね? とか思っちゃったりな」

「英雄の概念について説いたよな!?」

「まあまあ、そう怒らんともいいじゃあないか」

 ある媒体において、信長の性格は極めて残虐で、常人とは異なる感性を持ち、家臣に対しても酷薄だった、とされてはいるが。またある媒体においては世間の評判を重視、家臣の意見にも耳をしかと傾ける異論も存在する。信玄に宿った信長は、ある意味酷くなった後者なのかもしれない。

 だからこそ、宿主が足の指を工業用ハンマーで一本ずつ潰されようと、無数の釘を口内に含まされて金属バットで顔面をフルスイングされようとも一切応答しなかったのだ。質が悪い。

 しかし。酷くなったのはそのフランクな立ち居振る舞いだけではない。切れる頭脳も、思いやる気持ちも、原典以上である。

「――なに、ただ手をこまねいていただけではない。信玄……お前さんの真なるやる気を、素の膂力を増進させたかった、というのはある」

 能力や因子に頼りきりのままでは、いつだって成長しない。地盤を固めなければ、あらゆる勉学も地頭も成長しない。

「何と言ったか……合同演習会か。そこで一切儂が手を貸さんかったのは、ある意味それもある。『センパイ』として、ある程度箔を付けんといかんじゃろ?」

「――なに、魅せプレイに加担してくれてた、って訳?」

「ある意味な」

 信長は、近くで真剣な表情をし続ける蘭丸に、耳元かつ小声で「商人たちの酒盛りの相手をしてやれ」とだけ優しく呟くと、一礼と共に蘭丸は奥の襖に入り、それっきりとなった。

 蘭丸を見送ると、信長は真剣かつ慈愛に満ちた表情で信玄に向き合った。

「……さて、じゃあ真剣な儂といこうか。ずーっとおちゃらけておるのも、くどいじゃろ?」

「まあな」

 宙に手を翳し、近未来チックなホログラムを顕現させる信玄。それをのぞき込む信長は、困ったように目を伏せた。

「――ふむ、どうやら状況は芳しくないな。敵数百に対しこちらは数人。普通ならそんな戦は流石に放り投げるが……信玄は勝ちたいのだろう?」

「……ああ、『願い』も見つかったしさ」

 元々、信玄は願いや欲の根源無しに力を振るっていた。見いだせず力を中途半端に扱うのではなく、信長は最初から空っぽのままで力を貸与したのだ。「夢が見つかる手助けになればいい」と、多くの苦難を経験した信玄に、精一杯の手向けとして力を提供したのだ。

「――それで、願いは何だ。信玄を信玄たらしめんとする、欲望は何だ?」

「簡単さ。『努力が笑われない、無駄にならない世界を作りたい』。どんなことしようと、努力は努力として、等しく認められるべきじゃあないの」

 そう思ったきっかけこそ、信之の存在。自分のせいで、周りに虐げられ続けた。どれほど自分のありったけを出そうと、その努力は『当然』と言わんばかりに、身勝手にそれ以上を常に求められつづける。自分は大した結果を残せていないのに甘え、他人にはとりわけ厳しくなる。屑の典型的な例である。

「ずっと、ずっと。俺っちが諸悪の根源になってた。俺っちのせいで周りの人間は歪み、腐り果てた。それもこれも、『比較される』ことにあると思うんよ」

 何も、比較を悪とはいわない。ただ、それにより被害をこうむることは許せないのだ。いじめと称される傷害罪、あるいは名誉毀損罪。それに連なる差別的行為の数々は、『比較』という行為に人間の悪意が混じった、あるいは人間の悪意でのみ構成された最低下劣の行為である。

「俺っちは、そんな悪意を撥ね退けてェ。信之のような被害者を、もう二度と出したくないんよ。才あるものが全てじゃあねえ、幅や多様性のある世界こそ、俺っちの理想だし、目指すべき時代だ」

 自分本位な願いではなく、他の人間を思いやれるそんな願いに、信長は微笑して見せた。小ばかにしているわけではない、因子として宿った人間に対して、最大級の敬意を示していたのだ。

「――まあ、なるようになった、という感じか。儂としては実に満足だよ」

「そうか、歴史上著名な人間に褒められんの……むず痒くなるねん」

 信長は自身の愛刀たるへし切長谷部を信玄の胸元にぐい、と押しつける。無言の頷き、それは力を、真なる力を、本当の意味で委ねることを暗示していた。

「――話は随分前から聞かされていた。儂は本能寺で明智の裏切りに遭い自害する、と。それもまた良し。人生を楽しむのは、人間の常よな。どれほど大層な願い事を抱こうが道半ばで諦める者、あるいは死していく者もいる中、叶えられるかも分からない、天下統一よりも難しいことを成さんとするなら……儂の力、役に立ててくれ」

 人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。信長が発した台詞、というわけではないが、よく後世で信長と結び付けられる、幸若舞『敦盛』の一節。しみじみと世を儚む詞である。

 信長自身も、そこまで長く生きた人物ではない。だからこそ、今を精一杯生きている。今を楽しんで生きている。それぞれ全力を以って、日々を生きているのだ。信玄の生き方と符合する部分も多く、だからこそ彼を依り代として選んだのかもしれない。

「……あんがと、信ちゃん。こっちの世界だとへし切長谷部は銃だけど……ま、なるようになれ、かな」

「えっそっちの世界で長谷部って刀じゃあないの? でっかいエレキギターとかじゃあなく??」

「それについては話がややこしくなりそうだからまた後日な!!」

 また話がこじれてきそうなため、信長の興味が移らないうちに現実世界へ還ることに。帰還する間も、どことなく興味を持った子供のような、無邪気な声が聞こえてきた。全て、いい歳した信長によるものであった。

「――でも、いつだってガキンチョのような、そんな心を持ち合わせた方が……人生楽しいよな。今度見せに行ってやるか、信ちゃんに」

 生きる喜び、楽しみ。それらを個人で見いだせるかどうかで、人生という辛く長いゲームは盛大に楽しめるものである。昔の人間、あるいは全てを初めて目にした子供のような、純朴な感性を持ってこそ、夢幻の如くこの世の時間が過ぎ去っていくのだ。

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