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第百五十五話

 戦闘場所から、程離れた先ほどのビル。信玄のパーカーを毛布代わりにして、綾部を寝かせていた。魔力を注ぎ込んで、自然治癒力を促しながら。

 程なくして、綾部は目覚めた。

「――ん、いい匂い……」

「よ、目覚めたか琴音っち」

 そんな信玄の声と穏やかかつ、丸サングラスの影響か若干胡散臭い笑顔を目の当たりにした綾部は、真っ赤になりながら、そして甲高い叫び声を上げながら信玄を思い切りビンタ。

 信玄のお気に入りである小さな丸サングラスが、無常にも砕け散る。これで今回持ち込んだ予備は無くなってしまった。一個当たり数千円であるため、地味に高い出費である。別に性的に襲ったわけでもない、逆に襲われた側の信玄は、完全に被害者であった。元来男性が持ち合わせている権利ガン無視である。

「何で急にビンタすんだよ!! 痛ェじゃあねえか!?」

「あななんああんあななんあななんあななんで信玄がいるのよ!! 変態!! えっち!!」

「ただの看病だよ!! 疚しいことは何もしてねえって!? 何なら槍ピュンピュン飛ばされてちょっとでも怪我してんのこっちだよ!!」

 とはいっても、実際に怪我したのは耳の掠り傷のみ。今のところこの戦いにおいて、お互いが負った中で一番ダメージが大きかったものは、先ほど信玄が受けた全力のビンタである。

 信玄のパーカーを用いて、自分の体を隠すようにしてビルフロアの隅っこに収まる綾部。まるで飼われた初日の兎のように、警戒心をむき出しにしていた。

「――本当に何もしていないのね?」

「するわけねえって、合同演習会中だぞ? 戦いだぞ??」

 その一言に、ほんの少し残念そうな表情を見せる綾部。信玄は一切気付いていなかった。

「……その……助けてくれて、有難う。私……学園長から話があったように、『内通者』の一人だったんだ。でも……どこの馬の骨とも知らない下衆雑魚に弱みを握られて……この様よ。笑いなさいよ、信玄」

「笑うかよ、ってか琴音っち『内通者』だったのか。通りで悪心が見えねえと思ったよ」

 念力には、多種多様な能力がある。その中の一つ、テレパシーは礼安の『感情の色を見る』第六感に近く、礼安のものよりも正確である。精神汚染による、心の歪みを見抜くことのできる念力は、内通者探しに何よりうってつけである。

「――まず、何ともなかったか? 仮にもチーティングドライバー使っていたわけだろ、まだ対してよく分かってねえドライバーだから、体に悪影響があるかもしれねえ」

「それに関しては……大丈夫。学園長が洗脳に耐性ができる、ってインスタントのデバイスアプリを送ってくれたから」

 その綾部の一言により、信一郎自身に引っかかりを覚えた信玄は、聞くことが一つできたとデバイス内のメモにざっと纏めた。

 メモを纏める際、真剣な表情をしていた信玄が気になって仕方ないといった様子の綾部は、彼をただじっと見つめるのみ。その表情は期待と緊張の両方が入り交じったもの。

 刺さるほどの視線を感じ取った信玄が、仕方ないといったようにその方に目線をやると、途端に目線を逸らす。それと同時に、綾部はむすくれ面であったが紅潮していた。

「――どうした琴音っち? 何か俺っちの顔についてた?」

「うるさいわねそのえっちな泣きぼくろ毟るわよ」

「手術しなきゃ取れねえって……って、え??」

 その一言に、疑問ばかりの信玄と、「言ってしまった」と顔を真っ赤にしながら自身の失態を恥じる綾部。

 信玄の鈍さに、いてもたってもいられなくなった霊体の信長は、信玄を抱え綾部の方へ投げ飛ばす。かなりの勢いであり、当人同士が衝突しそうなほどであった。

「うわっちょっバカやめろって信ちゃん! 琴音っち怪我したらどうすんだよ!」

『少しくらい女子おなごの好意に気付いたらどうだこの朴念仁!! かつて読んだマンガにこういったシーンがあって、口から砂糖菓子が実際に出そうで困ったんじゃ全く!!』

 その怒りに似た期待をぶつけられようと、頭の中にはクエスチョンマークばかり。求められていることと、現在の自分の立ち位置が、全く以って一致していない様子であった。考えれば、実に簡単な結論。しかしその結論に至るまでの道のりが、信玄の中で一切結びつかない。

 一方の綾部は、至近距離まで迫った信玄の顔に、汗を滝のように流しながら目を回していた。しかし、何とか心のスイッチを入れ、目を逸らしながら『人質』の件について言葉をぽつぽつと真実を語り始めた。

「――『人質』ってのは……アンタよ」

「は? 俺っちここにいるぞ??」

 未だ欠片も理解できていない様子の信玄の頬を、思い切り両手で挟み込んで、目線を無理やり合わせる。その表情には羞恥心と謎の怒りが全面に出ていた。

「だ・か・ら!! アンタが、森信玄が!! 大切な存在だから!! 人質に取られたら困るって言ってんの!!」

「何で俺っちが大切な存在なんだ?? え、マジな話で生き別れた家族だった?」

 やきもきして地団太する霊体の信長であったが、そこは綾部の方が一枚上手であった。


「信玄が異性として『好き』だから!! 人質になったら困るのよ!!」

「あー、異性として好き…………はぇ??」


 二人の温度が急上昇する。遠巻きに見ていた霊体の信長は、満面の笑みで頷きながら、思春期二人だけの空間に仕立て上げる。念力を用い、完全にどんな攻撃もシャットアウトできる、隔絶された空間は、徐々に温度が上がっていく。

「……あー、そういう事だったのか……そうか……」

「――で!! どうなのよ!! 返事は!?」

 平静を保っていた信玄は、綾部同様顔を真っ赤にして、ほんの少しだけ距離を取る。今まで誰かに好意を持たれる、なんてことを経験してこなかったため、余計に恥ずかしかったのだ。らしくも無く縮こまりながら、ビルフロアの正反対の隅に正座する信玄。今まで見たことないほどに、借りてきた猫のようであったのだ。

 しかし、最早やけっぱち状態の綾部は無敵であった。そんな委縮する信玄にも大股で近づき、顔が茹蛸状態の信玄の頬を、思い切り両手で挟み込んで、自分の方に向かせる。

「で!! 返事は!?」

「……………ぃ」

「何!? 聞こえないわよ!!」

「――――――ひゃい…………」

 飄々とした態度がスタンダードだった信玄から、想像もできないほどの消え入りそうな声。しかし、了承の返事であったため、信玄を強く抱きしめる綾部。ほのかな双丘が信玄の顔面を優しく包み込む。

 勢いはかなり強かったため、柔らかいものの奥に、骨の感触ととんでもないほどにハイテンポな心臓の鼓動が聞こえる。不整脈などの病気を疑うほど。まあ今の状況を考えるに、ある意味病気かも知れない。

「琴音っち…………当たってる…………」

「当ててんのよ!! 盛大に当ててんのよ!! こうすれば大体の男はオチるって参考書に書いていたもの!! 私のが他の子より小さいからって、浮気したら承知しないわよ!?」

「……しません…………」


 きっかけは、入学時から。『劣等科』と罵られる中、信玄や丙良は武器科を馬鹿にせず、武器科の盾となった。元々、綾部は強気な性格上、気にくわない台詞等に牙を剥き、喧嘩を吹っ掛けることが多かった。それが個人であろうと、複数人であろうと。

 ある時、複数人の理不尽な発言に怒った綾部が、男の集団に殴られそうなとき、信玄がその場を制した。

(大丈夫かい、琴音っち)

 元から、『泣きぼくろがあり優しさ溢れる、勇敢な男』が好みであった綾部は、その時から一目ぼれ。しかし気難しい性格上、信玄にきつく当たることが多かった。まるで好きな人に意地悪をする小学生男児のよう。『ツン』の盛大なキツさが生まれた理由は、信玄にあったのだ。

 しかし。周りからは比較的バレバレだったのだ。他の人間と相対するときと、信玄と接するときとでは、あからさまに態度が異なっていたのだ。ファンクラブ含む多くの人間からその恋路を応援されていたものの、一部――というより一人の過激なファンクラブの生徒が、信玄を排除したがっていた。それこそ、雑賀。

 握る弱みは、まさに信玄の命。『教会』側の猛者に信玄が殺されるかも、なんてことを告げ口されたら、恋する乙女は冷静ではいられないのだ。

 結果、『教会』にへりくだった畜生、あるいは屑である雑賀は死に、二人に平和が訪れた。

 初めてもたれた好意に、嬉しくなりながらも。信玄に彼女が出来た瞬間であったのだ。

 これにより、英雄学園武器科二年一組所属兼『教会』茨城支部内通者、綾部琴音と、英雄学園英雄科二年一組所属、森信玄の戦いは、信玄の勝利。『人質』の正体を知り、そしてまさかの逆転を許したものの、一応は勝利。そしてお互いに『大切な存在』が新たに生まれたのであった。

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