実に優しく、甘い呪い。死にゆく人間が残した、最後の願いがキスに乗せられ、信之へと伝えられた。まだこの先の人生を死ぬほど生きたかっただろうに、その生きたかった今を、信之に呪いとしてすべて託したのだ。
大粒の涙を流しながら、絶望する信之。どれほど涙の雫が死人に落ちようと、死んだ本人は生き返らない。そんな甘い演出などありはしない、信之の眼前に広がるこの光景こそ、現実そのもの。万人を絶望のどん底へ無慈悲に叩き落す、無邪気な悪意による汚染であった。
「――ゴミみたいに死んじゃいましたね! 別に敵さんの内、女は殺さなくてもいい、とは先輩に話されたのですが……まあ仕方ないですね!」
「……何が、何が仕方ねェだと。お前は――今まさに人一人の命を奪った……それに対する罪悪感は無ェのか」
「さんざ人殺しを重ねてきた、そんな貴方に言われる筋合いはありません! 『教会』は、どんな事情があろうと等しく悪です! 多くの一般人の命を弄んだ、英雄が『殺す』べき悪そのものです!!」
その結論は正しいものである。この世に害をもたらすものは、等しく排除するべきである、一見非常に暴力的かつ平和的解決には思えないが、結局はどちらがこの世からいなくならない限り、争いの
実際、信之は数多の殺しをしてきた。血縁関係者、無関係な人間、凶悪犯罪者問わず、多くの殺しをしてきた。信之の関係者がいくら殺されようと、一切の文句が言えないほどに汚れた仕事を請け負ってきた。
しかし。この怒りは、誰にも阻害することのできない、悪意の伝染結果。初めて、信之は義憤を覚えた。いくら悪人の関係者が殺されようと、一切の文句は言わない。しかし、何も悪事を行っていない人間すら殺す道理が、そんな横暴が。暴走した英雄に許される行為だろうか。
「――俺が殺されるなら。まだ良かったよ。お前の言う通り、俺は多くの殺しをしてきた、それはまごう事なき事実であるし、今更それを隠そうだなんてしねェ。殺されたことを至極当然のように思うだろうし……身勝手に殺されることに不満はあれど一切の間違いはそこにねェと思うさ」
『森蘭丸』のライセンスを認証し、刃とグリップ部を分割し荒々しく装填する。兄とは異なる、念剣・行光を、静かに構えた。
『認証、薄幸の美少年、森蘭丸見参! 燃え盛る大舞台にて、蘭丸の一大ショータイムが始まろうとしていた!』
「……でもよ、無実の人間を殺す免罪符が、お前如きにあると思うか? 無ェよな、お前は正義のために戦う英雄様なんだからよ。それ以上の行為は、世間からは『私刑』として、世間から忌み嫌われる行為となるだろ」
「? 何が言いたいんですか? あの人は無実ではありません、『教会』に与していた、まごう事なき裏切り者です! いくら殺人行為を行っていなかろうと、裏切りは事実です!」
学園長公認、そんな当人のバックボーンも知らず。自分のやった殺しを無邪気に正当化しようとする、その傲岸不遜の態度に、怒りが頂点に達した信之。無邪気に振るわれる、善意や正義を装った最悪の悪意こそ、信之の怒りを買ったのだ。
「――何も知らないお前如きが!! 私刑で裁く権利が!! どこにあるんだよ!!!!」
急激な血圧の上昇により、そして魔力の奔流により、血管が何本か切れた。しかし、そんなことお構いなし。信之の怒りは、その程度の痛みでは収まらない。
念剣のトリガーを引き、乱暴に振るう信之。斬撃に割れた空間から出でたのは、怪人体ではなく、英雄としての装甲を纏った信之であった。
信長をモチーフとする信玄の装甲とは完全に違い、腰には森蘭丸の愛刀である、短刀『不動行光』を佩刀、信長のものよりもその時代の武士の鎧らしい、具足モチーフの装甲。顔を覆う頭部装甲も、目元のみクリアパーツとなっており、それ以外はオレンジラインの入った漆黒の兜。
漆黒をベースに、オレンジのラインが入ったアンダースーツは兄弟共通で、まるで炎が静かに揺らめいているような、そんな意匠が所々に施されている。本能寺で焼死した、とされる彼らしい胴具足であった。
「――この状況を言い表すなら、『変身』って言うべきなんだろうが……今の俺には英雄らしい言葉は似合わねえ。今の俺は……怒りに打ち震えている。とてもじゃあねェが、
「おかしい……おかしいです! 貴方は英雄では無いはず! 貴方のような社会のゴミ風情が、そうあっていいはずがありません!」
その発言で、再び怒りが頂点に達し。唯一むき出しの顔面を、風の守りだとか女であるだとか、そういったことを一切関係なしに、雄叫びを上げながらフルパワーで殴り飛ばす。数棟のビルを倒壊させる勢いで、派手に吹き飛んだ成田は、状況が飲み込めずにいた。
(――必ず、アンタは地上に連れて帰る。その時まで……待っていてくれ)
静かに河本の亡骸を抱きしめると、そのビルの屋上に死体を置いたまま成田の方へ跳躍し、高速移動。彼女が倒れているその場近くで仁王立ちしていた。
「お前のような、一方の利のために一方をこき下ろすってクソな考え……かつての自分を見ているようで腹が立つ。俺が、テメェの腐りきった性根……叩きなおしてやるよ!!」
「そんなことはありません! 英雄がどの物語においても、完全なる正義であることはゆるぎない事実です! やり過ぎなんて概念は存在しません! 悪は、滅ぼすまで潰し続けるのみです!!」
英雄としての装甲を纏い、怒りによって覚醒した信之と、正義のためなら何をやっても許されると考える成田の、真なる正義を見つけるための第二ラウンドが始まったのだった。