百喰は、片手剣を手元で遊ばせながらもその場の主導権を、たった一瞬で握ったのだ。
「何も。その辺で高みの見物していただけだ。『本来のもの』含め、俺の目的はこの試合に勝利することじゃあねえ、『血沸き肉躍る闘争』を経験してェだけさ」
紫の片手剣をひらひらと軽快に動かしながらも、軽妙な口調で相手の動向を窺う百喰。ライセンスを見せたり、変身したりする素振りは一切ないのにも拘らず、生身でこの場にやってきたのだ。
「――一時バディ組んでたよしみだ、助太刀に来たぜ。支部長さんよ」
「……変身はしないのか」
「そっちに行った人間に手の内を明かすには……まだタイミングとしては早いかな? って訳でそいそい、っと」
飄々としていた百喰は慣れた手さばきで、信之の手枷足枷を壊した。障害となるもの全てを破壊し、この場を支配していたはずのアドバンテージが、完全に消え失せた瞬間だった。
「――んじゃ、借りは返したぜ。俺はまた高みの見物タイムと洒落こむわ」
あくまで戦わないだけ。今回は干渉する程度。本来の約束を半ば破ってはしまったが、一度した約束は律儀に守る。いくら敵と結んだものとはいえ、百喰はある程度義理堅い人間であるのだ。
「――一つだけ言わせてくれ。……何を考えているかは分からないが……『ありがとう』、百喰」
その信之の言葉を聞いた後、肩に軽く手を置くとそのまま背を向け、手をひらひらと振るだけで答えた。少し距離が開いただけで、まるで霧のように消えてしまった。
「ふざけんじゃあねえ……俺は優れているんだ! こんなところでいなくなったら世界の損失だ!!」
再起不能となった成田を酷く睨みつけながら、チーティングドライバーを起動させる。しかし、下屋の矮小な力では制御することなどできず、次第にドライバーから歪んだ魔力が溢れ出していった。
「……おい、これはどういうことだ!? 俺はこれで強くなったはずだ!!」
「――違うな、チーティングドライバーでも『人』は選ぶ」
信之が、下屋を酷く冷徹な目で見やる。路傍のゴミを見る目よりも、数段上を行く。一定の『趣味』を持った人間が、酷く興奮するほどの目つきであった。
「……俺は精神汚染の危険性を孕んだ、それを主に扱うことはしなかったけどよ、ある一定の下地が無ければ、両ドライバーも満足に扱うことはできねえ。ちなみに兄貴から聞いたよ。だがよ……その最低限の下地、ってのはよほどでない限り満たせるほど、低いハードルなんだ。それすら満たしていないクソみたいな
金で全てを解決できる、訳がないのだ。本人の技量、本人の我慢強さに関わる『努力』は、金などでは買えないのだ。どれほど金にものを言わせ筋トレ器具を買おうと、有名大学の参考書を買おうと。トレーニングをしなければ筋肉は強靭にはならないし、その参考書を手に勉学に励まなければ頭脳は育たない。
確かに金は、人生を大いに豊かにさせてくれる。未知の経験も、ある程度の金が無かったら話が始まらない。しかし、それを補うためのほんの少しの頑張りは、その者の人生を面白くしてくれる、最高のスパイスになりうるのだ。
下屋は、言わば下味の付いていない、調理可能なレベルまですら捌かれていない料理食材。成田は、下処理を十全に整えられ、ある程度の下味を打たれてすぐさま調理可能だった状態。どこかの無能な料理長が、自分の欠片もない腕を振るった結果、目も当てられないほどに腐り果ててしまった。
「故に、お前はチーティングドライバーに嫌われた。デバイスより、チーティングの方が一般人も着用するからハードルが低いはずなんだが……お前はただ因子があるだけの一般人以下のクソ野郎だった」
歪んだ魔力は、下屋を容赦なく包み込む。彼のみっともない悲鳴が二区の間にこだまする中、信之には一切の同情などなかった。
「――そこの女を救いたいだとか、大した正義感を持ち合わせているわけじゃあねえが。成田……とか言ったか。アンタを呪縛から解放してやる。難しいことは言わねえ、
自我が無くなり、力なく駆け出す下屋だったモノ。歪んだ魔力が無尽蔵に溢れ出してはいるものの、信之にとって大した脅威ではなかった。成田と先に相対した結果、見劣りして仕方がない。月と鼈ほどの差があった。見た目は、まるで古典的な
信之が気付いた時には、自動で回復していったとは思えないほどに魔力が充実していた。
(――あの時か、百喰)
肩に手を置いたあの一瞬。信之に、眼前の男を満足に仕留められるほどの魔力が譲渡されていたのだ。
静かに笑むと、左拳に魔力をふんだんに込める。変身もしない、武器も扱わない。それこそが、自分を『天才』と宣う凡人への、最大級の『侮辱』になると分かってしまったからこそ。
それに、せっかくの英雄の装甲を、殺しの目的では扱いたくはなかった。その名誉が、装甲が、この畜生を殺すことによって物理的にも名誉的にも穢れてしまうと思ったのだ。
呻きながら、意思すら感じさせず近づく駄肉の塊。
「男の風上にも置けねえ、クソドグサレ野郎がァァァァァァッ!!」
格闘技の基本など、一切かなぐり捨てた、暴力一辺倒の拳。たった一撃であったが、その一撃はコンクリートを破砕どころか、辺り数メートルを凹ませるほどの圧倒的な一撃。張りぼての天才は、その拳を顔面、その頬で十二分に受け止める以外にできることは無いだろう。
魔力の許容範囲内を超えた力の込め方をしたら、その分腕が壊れてしまうのは自明の理。しかし、その怒りを叩きつけるにはうってつけ。丁度こちらにサンドバッグが歩いてきたからこそ、拳を打ち込んだだけ。感覚としてはそれに近いだろう。
その結果、下屋は完全に死亡、沈黙。世界の損失は、思いのほか大したことは無いらしい。今も何の支障も無く、無情に歯車は動き続けている。誰かが泣き叫ぶ訳でも、途端に世界が動きを止める訳でもない。
つまるところ、この男の影響など『その程度』であったのだ。
左腕の出血がかなりの勢いであったが、それでも向かうべき場所はあった。
それこそ、今もなお河本が眠る、とあるビルの屋上。残った魔力を足に込め、全力で跳躍。上手い着地が出来ず、屋上で無様に転がってしまったものの、何とか辿り着いた。
紅の世界の中で、横たわる彼女を、右腕だけでしかと抱きかかえる信之。
「――終わったっスよ、河本さん。アンタのお呪い通り……俺は勝てました」
その瞬間、どこからともなく優しい風が吹いた。信之はその風に対し、静かに笑んで返すのだった。現在進行形で涙が溢れていることもまた、彼女への手向けであった。
これにより、『教会』茨城支部支部長、『エンヴィー』こと森信玄と、『教会』茨城支部副支部長元秘書兼英雄学園武器科三年二組所属、河本美浦。そして英雄学園英雄科二年二組所属兼、『教会』茨城支部内通者、成田環奈と、英雄学園武器科二年五組元所属裏切り者、下屋衆合の戦いは、信之・河本タッグの勝利であった。
戦いの中で、死んでしまった存在はいるものの、元々『教会』側の存在とはいえ、『正義』とは何たるかを理解し、英雄の因子の力を戦いの中で引き出した信之の、完全勝利であった。