コーヒーを飲み終えた後、簡単な打ち合わせを済ませると、私は社長室を出てオープンスペースのデスクについた。
ブラインドは開けられており、マナトさんがスマホを耳に当て、誰かと通話している様子がばっちり見える。当然中からこちらも丸見えだ。それどころか、廊下を歩く社員たちの視線にもさらされており、なかなか気が抜けない場所である。
午後からは社長就任挨拶というビッグイベントを控えているが、それまで特にすることがないと言われ、私はとりあえず机の中にあるものを確認する。
業務ファイルを開いていたら、誰かの声が頭上から降ってきた。
「本当に絵になる男ですよね。講堂でもひときわ光り輝くんだろうなあ。妬ましい。なんでこの世にあんな人間が存在するんだ。神様は不公平すぎる」
恨めしげな口ぶりに驚き顔を上げると、メガネをかけた、長身の……マナトさんほどではないけれど……端正なルックスの男性が目に入る。
彼は両手を後ろ手に組み、ガラス越しのマナトさんを凝視していた。
私もつられてマナトさんを見る。
確かに誰かと通話をしているだけの、何気ないポーズが信じられないほどかっこいい。
しかし今は目の前でギリギリと唇をかみしめているこの人が、誰なのかを突き止めるべきだろう。
「あの、失礼ですがどちら様でしょうか?」
恐る恐る声をかけると男性は私に体を向けた。
「あ、申し遅れました。五十嵐会長の秘書、
田中さんと名乗った男性は丁寧な口調で頭を下げる。
「こちらこそよろしくお願いします」
私は立ち上がり頭を下げた。
(イガさんの秘書……こんなにお若い方なんだ。マナトさんと同い年ぐらいかな)
「どうですか? 今のご気分は」
どうやら先輩として様子伺いに来てくれたらしい。
私は縋るような眼差しを向けた。
右も左も分からない状況で声をかけてくれたのはとてもありがたい。
「やっと緊張がほぐれたところです。至らないところが多いと思いますが頑張りますのでよろしくお願いします」
田中さんは、いかめしい顔で頷いた。
「いきなりの大役、大変ですよね。僕にできることなら何でもしますのでいつでも声をかけてください。あ、遅ればせながらこれを」
名刺が渡される。
「そこの番号にいつでもどうぞ。マナトには言いにくいこともあるでしょうから。愚痴でもなんでも聞きますよ。悩み事相談も受け付けます」
(マナト……呼び捨て?)
私の表情を読み取ったのか、田中さんは「あ、僕、高校時代からの腐れ縁なんです」と理由を告げた。
「ああ、そうだったんですか。じゃあ、気が置けない仲なんですね」
「ええ。そうですね。頭の上がらない仲とも言います。なんせ、あいつの家に出入りしているうちに五十嵐会長に気に入られて、とんとん拍子に入社決定。僕の今があるのは全てマナトさんのお陰と言っても過言ではないです」
「素敵なご関係ですね」
「だから余計にコンプレックスが……僕はあいつがいないと何もできない……ううう」
暗い声でそう言いながら、大げさに下唇をかんだりするから、自虐ギャグなのか、愚痴の吐露なのか判断に迷う。
「ご謙遜を……それは田中さんの実力ですよ」
多分後者だろうと解釈し、新参者の私なんかがしゃしゃり出るのもどうかと思うが我慢できずに慰めてしまう。
田中さんは、ハッとしたような表情で私を見る。
「ありがとうございます。なんかこう、あなたにそう言われると……確かに、って気がしてきました。不思議だな……」
「そ、そうでしょうか」
「そうか。声がいいんだ。癒し系ボイス。これで会長もマナトも転んだのかな。マナトが女性の秘書を雇うなんて。てっきり僕がスライドでこの椅子に座るとばかり思っていましたし」
「そうだったんですか? すみません。田中さんの方が絶対一緒にふさわしい人材だったでしょうに……」
「いやいやいやいや、そりゃ、キャリア的にはそうでしょうけど、絶対に嫌なポジションです。だからむしろあなたには感謝してるんですよ。あいつの秘書なんて地獄ですからね」
地獄。
私はごくりと唾を飲む。
悪魔と言われたり地獄と言われたり。
マナトさんって一体……。
「考えてみてください。あの男の隣に男の僕が並ぶ悲劇を。自称神に選ばれし男ですよ。比べられ大してスペックが低いわけでもないのに相対的に貶められる。嫌だ嫌だ。最悪です」
田中さんは両手で自分の体を抱きしめ、ぶるりと震えた。
自虐してはいるけれど、田中さんだって、十分エリートっぽくてかっこいいのに、あからさまなライバル心を見せられると、そこはかとなくコミカルで、私は思わずくすりと笑ってしまう。
「おや? 笑いましたね」
田中さんはマジマジと私を見た。