午後になり、社長就任社内挨拶の時間が迫ってきた。
ビル内にある講堂の舞台袖に、マナトさんとスタンバイ。
舞台下の席には社員たちが続々と集まっている。
「そろそろだね」
「はい」
私の声は自分でも驚くほどか細かった。
お仕置きで翻弄されてしまったのもさることながら、その後のスキンシップがダメだった。
逞しい胸に抱き留められ、男っぽい香りに包まれた。
ごめんね、と私の顔を覗き込む瞳は優しくて……ただでさえ、男の人とのコミュニケーションに慣れてない私には、心臓が止まりそうなほどドキドキな出来事だったのだ。
その余韻がずっと続いている。
そして、ドギマギしているのは当然の如く私だけ。目の前にある彼の背中からは気まずさも緊張感も読み取れない。スイッチが切り替わったのだろう。私も見習わなきゃ。
マナトさんさんはくるりと私の方に向き直り、少し顎を上げてみせた。
「みかりん、どう? 今の俺」
そう言ってにやりと笑うマナトさんの顔は、「答えはわかってるよな?」と言いたげで。
さっきまでの奇妙なスキンシップへの戸惑いなど一瞬で吹き飛ぶほどのオーラが体全体から発せられていた。
「完璧です!」
私は心の底からそう答える。
「だよね」
マナトさんは薄く笑う。
「今日は成功したも同然だな。今の俺は君にかっこいいと言われるために生きてるからね」
私はごくり、と唾をのんだ。
「私がバロメーターなんですか?」
「そ。君は俺のリトマス試験紙だ。君がダメって言えば、俺はそうか。ダメだったのか、と思う。君がいい、と言えば、木に登るよ。俺の気分は君次第ってこと。責任重大だぞ」
なんて勝手な……。
常識で考えれば、私みたいな持たざる者を参考にするなんて間違っていると諭すべき。
でも、私は……。
彼の真剣なまなざしと、誠実にさえ見えるたたずまいを前に、すとん、と納得してしまった。
君って癒し系だよね、という田中さんの言葉が頭の中によみがえる。
短大卒でこれといった肩書きもなく、25歳という中途半端な年齢で、自分に秘書としての何ができるんだろうと不安だったけれど、一気に目の前が開けた気がした。
マナトさんの求めることを全力で。私はこの人の道しるべになる。
「頑張ります……!」
私は再び気を引き締める。
ちょっとした偶然が私をこの場所に連れてきた。
最初はイガさんの戯言にのっかった彼に、外付けパーツとしてお付き合いを提案された。その件はなくなったけれど、今度はビジネス上の「外付けパーツ」として採用が決まり、ここにいる。
彼の期待に応えたい。
兄のせいでやさぐれて、路頭に迷っていた私を拾ってくれたマナトさんに少しでも恩を返したい。
彼のお役に立てるよう、できることはしっかりやろうと、私は改めて決心した。
「これはかけ値なしの本音ですが」
私はそう語りかける。
「あなたは最高に素敵です。キラキラ輝いててまぶしいくらい。きっと社員の皆さんも新社長を誇らしいと思ってますよ」
マナトさんは満面の笑みになった。
「そう。俺は神に選ばれし男だ。そして君に認められる事で完全体になる」
ああ、馴染みのマナトさん節だ。
声も表情も態度も、体から放つオーラまでもが揺るぎない自信で満たされている。
私はブンブンと頭を縦に振り、賛同を示した。どんな自惚れたセリフも、この人が言うと様になるから不思議である。
己を無理やり鼓舞しているわけでもなく、本音で言ってるとわかるのがすごい。
そしてその自信を更に強くするのが私の言葉や態度にかかっているという事実に胸が震える。
「頑張ってくださいね」
私は胸のあたりで小さくガッツポーズを作ってみせた。
「任せろ」
男っぽい声。
(あ、また、スイッチが入った?)
きりっとした表情にハッとする。
やがて会が始まり、光り輝く舞台へと彼は出ていった。
モデルのように美しい後ろ姿を私は惚れ惚れしながら見守る。
「みなさん、こんにちは。新社長に就任しました五十嵐マナトです」
よく通る声。
座席にいる女性たちがうっとりした目で見上げているのが舞台袖からでもはっきりわかった。