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第23話 社内恋愛

「男前じゃのう。わが息子ながら惚れ惚れするわい」


 聞き覚えのある声が間近から聞こえる。

 見ると、隣にイガさんがいて、私と同じように舞台上のマナトさんを見つめていた。


「イガさ……あ、会長、お久しぶりです」


 小声でそう挨拶をする。


 本当はもっとテンション高く再会を喜びあいたいが、舞台袖なのでこんな感じだ。

 イガさんは、あんまり気にしていないらしく、普通のトーンで話を続ける。


「この間は世話になったの。随分迷惑をかけてしもうた。このお礼は後ほど、じゃな」

「いえいえいえ、ご採用いただいたのが十分すぎるほどのお礼です。むしろ私の方が感謝してもしきれないですよ」

「うむ。相変わらず奥ゆかしいのう。返す返すも惜しいものじゃ。秘書なんぞ、田中にやらせて、あんたにはマナトの嫁になってほしかったんじゃが」


 嫁。

 どきん、と心臓が跳ね上がる。

 今日だけでも、マナトさんとその父から同じ言葉を聞いた。

 だから意識せずにはいられない。

 そういう未来。

 脳裏にまた、ほのぼのとした妄想が浮かぶ。

 朝ごはんを作っている私と、それを食べているマナトさん。


(もう、やめなきゃ、ってわかってるのに)


 さっきはそれで、マナトさんに叱られた。

 でも、今は本人がいないから大丈夫かな?


 私がそんな妄想に頬を赤らめている間にも、現実のマナトさんは颯爽と自分の役割を果たしている。

 朗々と響き渡る彼の声。

 新しい一歩に、ちっともひるんでいない、勇気と希望を感じられる声だ。


「しかしまさか、あんたを秘書にするとは思わなんだのう」


 ため息交じりにイガさんが言った。


「わしは、あんたがアイツの好みどんぴしゃりだと思っておった。随分見る目が曇ったものよの」


 そう言われてドキンとする。

 そうだ。イガさんは、バーで後半眠っていて、私たちのやり取りを知らないのだ。


「マナトはプライベートと仕事を完璧に分けるタイプじゃからの。結婚相手と考えている人間をそばに置くことは100%ない」


 そう言われて私はハッとした。


「あ、あの、それはマナトさんのポリシーなんでしょうか」

「その通りじゃ」


 イガさんは頷く。


「今時そんなの古いと言っても、頑として職場の女性には目を向けなんだ。誓いのようなもんなんじゃと」

「その話、田中さんも」

「もちろん知っておる。マナトの根幹に関わる話じゃからの」


 なるほど。

 それで謎が二つ解けた。


 田中さんも、イガさんと同じく、その誓いを知っていたから、私に女性としての興味がないと思ったのだろうし、マナトさんが執拗に私の職場恋愛を阻むのは、秘書にも倣ってほしいからだろう。


「それに、秘書と社長の結婚は、色々と面倒な事も多いんじゃ。わしも、あんたを諦める必要があるわいのう」


 肩の力がすっと抜ける。

 真相を知ればシンプルで……。

 無駄に色々と考えてしまった。

 つまり結局のところ、マナトさんにとって、もう私はただの仕事仲間で。

 パートナー候補ではなくなったってことか。

 もちろん私にはその気がない。さっきみたいなスキンシップにも、特別な意味はないってことだ。


「それにしても、あの頑ななマナトがこんなにすんなり後を継ぐとは。改めてあんたのお陰じゃのう」


 イガさんはしみじみとそう言って……。


「わしは早速明日から執事と共に世界一周の旅に出かける。くれぐれもマナトを頼んだぞな」


 私に頭を下げたのだった。



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