「男前じゃのう。わが息子ながら惚れ惚れするわい」
聞き覚えのある声が間近から聞こえる。
見ると、隣にイガさんがいて、私と同じように舞台上のマナトさんを見つめていた。
「イガさ……あ、会長、お久しぶりです」
小声でそう挨拶をする。
本当はもっとテンション高く再会を喜びあいたいが、舞台袖なのでこんな感じだ。
イガさんは、あんまり気にしていないらしく、普通のトーンで話を続ける。
「この間は世話になったの。随分迷惑をかけてしもうた。このお礼は後ほど、じゃな」
「いえいえいえ、ご採用いただいたのが十分すぎるほどのお礼です。むしろ私の方が感謝してもしきれないですよ」
「うむ。相変わらず奥ゆかしいのう。返す返すも惜しいものじゃ。秘書なんぞ、田中にやらせて、あんたにはマナトの嫁になってほしかったんじゃが」
嫁。
どきん、と心臓が跳ね上がる。
今日だけでも、マナトさんとその父から同じ言葉を聞いた。
だから意識せずにはいられない。
そういう未来。
脳裏にまた、ほのぼのとした妄想が浮かぶ。
朝ごはんを作っている私と、それを食べているマナトさん。
(もう、やめなきゃ、ってわかってるのに)
さっきはそれで、マナトさんに叱られた。
でも、今は本人がいないから大丈夫かな?
私がそんな妄想に頬を赤らめている間にも、現実のマナトさんは颯爽と自分の役割を果たしている。
朗々と響き渡る彼の声。
新しい一歩に、ちっともひるんでいない、勇気と希望を感じられる声だ。
「しかしまさか、あんたを秘書にするとは思わなんだのう」
ため息交じりにイガさんが言った。
「わしは、あんたがアイツの好みどんぴしゃりだと思っておった。随分見る目が曇ったものよの」
そう言われてドキンとする。
そうだ。イガさんは、バーで後半眠っていて、私たちのやり取りを知らないのだ。
「マナトはプライベートと仕事を完璧に分けるタイプじゃからの。結婚相手と考えている人間をそばに置くことは100%ない」
そう言われて私はハッとした。
「あ、あの、それはマナトさんのポリシーなんでしょうか」
「その通りじゃ」
イガさんは頷く。
「今時そんなの古いと言っても、頑として職場の女性には目を向けなんだ。誓いのようなもんなんじゃと」
「その話、田中さんも」
「もちろん知っておる。マナトの根幹に関わる話じゃからの」
なるほど。
それで謎が二つ解けた。
田中さんも、イガさんと同じく、その誓いを知っていたから、私に女性としての興味がないと思ったのだろうし、マナトさんが執拗に私の職場恋愛を阻むのは、秘書にも倣ってほしいからだろう。
「それに、秘書と社長の結婚は、色々と面倒な事も多いんじゃ。わしも、あんたを諦める必要があるわいのう」
肩の力がすっと抜ける。
真相を知ればシンプルで……。
無駄に色々と考えてしまった。
つまり結局のところ、マナトさんにとって、もう私はただの仕事仲間で。
パートナー候補ではなくなったってことか。
もちろん私にはその気がない。さっきみたいなスキンシップにも、特別な意味はないってことだ。
「それにしても、あの頑ななマナトがこんなにすんなり後を継ぐとは。改めてあんたのお陰じゃのう」
イガさんはしみじみとそう言って……。
「わしは早速明日から執事と共に世界一周の旅に出かける。くれぐれもマナトを頼んだぞな」
私に頭を下げたのだった。