目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第28話 気になる言葉

 テクニカルで甘いキス。

 恋愛未経験な私でも、躊躇なく彼の舌を受け入れ、己の舌を絡めていた。

 決してタガが外れた、なんて感じじゃない。彼のリードが凄かった。

 身をゆだねていたら、自然にとるべき行動へと導かれている感じなのだ。

 気持ちがよくて、ロマンティックで、どこか性的な香りもしていて……。

 大きな右手が、ブラウスの胸のあたりをまさぐり始め、体から力が抜けていく。


 と、いきなりバッと体が離れた。


「ごめん。俺、間違えた」


 真っすぐ私を見つめるとマナトさんはそう言った。


「え?」


 意味がわからない私は、その真意を探ろうと彼の目をひたと見返す。

 マナトさんは何事もなかったかのように体を離し、私の唇を丁寧に指先で拭う。

 色っぽい仕草……否応なしにドキッとする。

 さっきまでキスされていたのだから戸惑うのは当然だけど……。

 なんだか、許しを乞うような仕草に思えた。

 こんな時、どう振る舞えばいいのだろう。さっきまで彼のリードで、初めてのルートを正しく進めていた気がしたのに、手を放されるとたちまち迷子だ。

 私はただひたすら、彼を見つめた。

 濡れた眼差しが真っすぐ私に向けられる。

 その眼差しから逃げないだけでも、かなりの精神力が必要だった。

 普段以上に艶めいた瞳。彼はポンポンと私の肩を叩きこうささやく。


「ごめんね」


 語尾が甘くなるかすれ声。

 ちょっと待って。

 このタイミングで謝るとか。最悪じゃない?

 嫌な予感が頭をよぎる。

 だって、キスの後、間違ったと言われて、謝罪されて……それって……。


「じゃ俺、今からメールチェックするから」


 暗に退出を求められているのだと気がつき、私は慌てて立ち上がった。


「失礼しました!」


 大きく頭を下げる。


「うん」


 憑き物が落ちたみたいな、すっきりした雰囲気のマナトさん。いくら彼が恋愛マスターだったとしてもこの切り替えは早すぎない?

 いや、彼にとって、これはイレギュラーな出来事のはず。

 周りの評判が本当なら、彼はオフィスで女性に手を出さない。


 ああ、でも。


 脳裏に兄の姿が浮かぶ。

 兄だって普段からチャラチャラしているわけじゃない。

 チャラ男の一面を見せるのは女性……しかも気のある子限定だった。

 マナトさんにもいろんな顔があるはずだ。

 田中さんやイガさん、男の人には見せない別な顔が……。

 真面目と不真面目。硬派とナンパ。

 どっちが本当のマナトさんなの?

 はらいのけようと思っても次から次へと沸き上がる疑惑の影。

 心がネガティブで押しつぶされそうになりながらも、私はドアに向かった。

 マナトさんのスマホがちょうど鳴り、会話が始まる。

 動揺一つ見られない彼の声を背後に聞きながら、私はフロアを後にした。

 椅子に座り、唇にそっと触れてみる。濡れた感触が唇から指先へと移った気がして……さっき以上にドキドキした。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?