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第31話 加速

 はめ殺しの窓から見えるビル群をバックに従えた、王者な風格のマナトさん。

 今日は珍しくアポが一件もなく、ほとんどを室内で過ごす予定だ。

 だからいつもよりリラックスしているのが態度でわかる。私はむしろ外出がしたかった。

 その方が、気がまぎれるはずだ。

 それにしても……。

 なんだか、さっきので、キスが当たり前の行為になってしまった気がする。

 神妙な顔のマナトさんに、あなたと唇を交わしてから、まだ1分も経っていませんけど、と今すぐ大事な事を教えてあげたい。でも、もちろん言えなかった。

 臆病な自分が情けない。

 マナトさんは素早く上着を脱ぐ。

 受け取ると手と手が触れ合った。

 やけどしたみたいに、触れた部分に熱を感じる。

 そんな事ですら、ドキドキしてしまう私って、なんだか学生みたいだと思う。

 今時の学生はむしろ、こんなことじゃドキドキしないのかな?

 どっちにしろ、


「今の、ちょっとドキッとした?」


 彼には全て見透かされているようだった。


「ま、まさか。私は大人ですからっ」


 ムキになって言い返す。


「へえ。じゃあ、俺だけか」


 マナトさんはぽつりとつぶやく。

 ミステリアスなその一言に全身がかっと熱くなった。

 どういう意味?

 彼の真意を読み取ろうと、さっきから頑張っているのだけれど全然読めない。

 朝からジェットコースターみたいに感情が上下している。

 私からリセットしなければ。


「今日のスケジュールをお伝えしますね」

「うん。どうぞ」


 私は理性を総動員して通常モードを発動した。

 スケジュール確認の間中、彼はずっと私の顔を見つめている。

 うっとり……してる感じだ。もちろん、わざとやってると思う。

こんな美形が。神に選ばれし男を自称する人が、私に見とれるなんて、あり得ない。

 まさか、キスのお詫びに喜ばせようとしてるの?

 だったら本当にやめてほしい。私にはむしろ罰ゲームだから。


「以上です。何か質問はございませんか?」


 全ての通達を終える。

 と、マナトさんは、はいはい! といたずらっぽく片手を上げた。


「どうぞ」


 生真面目を絵にかいたと言われる私だが、教師と生徒ノリに頑張ってつきあう。


「昨日はゆっくり眠れましたか?」


 書類ばさみが手から離れ、用紙がバサバサと抜け落ちていく。


(一睡もできませんでした。あなたの唇のことばかり頭に浮かんで)


 内心そう思ったけれど、当然言えるはずもない。


「大丈夫?」


 マナトさんがしゃがんで書類を一緒に拾ってくれる。


「ありがとうございます。でも、座っててください。私が拾いますから」

「いいや。俺が惑わせたんだろうし」


 さらりと告げられた言葉にあっけなく心がざわめいた。

 惑わせた、って自分で言うかな?

 まるで挨拶みたいに施されるキスといい、今の発言といい、マナトさんは何か企んでいる気がする。でも圧倒的に経験不足な私にはさっぱりその理由にたどり着けない。

 最後の一枚を拾う時に手と手が触れた。ああ、さっきのジャケットと同じシチュエーション。耐えようと思ったのに、彼の親指がとてつもなく意味深な感じに私の指先をざらっと撫でた。

 その瞬間、刺激が全身を駆け抜けていく。


「ひあっ」


 変な声が漏れてしまい。真っ赤になった。

 ひきしゃくるように書類を取ると立ち上がる。


「失礼しました。それでは!」


 そのまま外に出て行こうとすると「みかりん」柔らかな声が私を呼んだ。


「はい……」


 振り返る顔が絶対赤くなっている。


「手と足が同時に出てる。小学生みたい。絵に描いたような動揺っぷりだね。可愛いよ」


 誰のせいですかと私は大声で叫びたかった。



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