時計の針が12時を過ぎる。
「お疲れ様。食事に行ってきて」
いつも通りマナトさんが声をかけてきた。
今までは時間をずらして交代でレストランに繰り出していた。
「あ、今日からお弁当を作ってまして……ここで食べていいでしょうか?」
「へえ。朝早いのに、偉いね」
「ええ……」
「じゃあ、俺、出ようかな」
マナトさんは立ち上がる。
「あの」
「ん?」
にこやかな笑顔で首をかしげるマナトさん。
ドキドキしながら勇気を出してこう告げた。
「2つ作ってきたんです……良かったら一緒に食べませんか?」
おずおずと、バッグから包みを2つ取り出す。
マナトさんは両目を見開いた。
「えっ! 俺の分まで?!」
「はい」
「マジか」
マナトさんは絶句した。
その目がどこか遠いところを見ている気がして、私は心配になってくる。
「あの」
声をかけてみた。返事がない。
「マナトさん?」
ボリュームを上げて再度トライした。
マナトさんは、大きく息をして、胸に片手を当てる。
「ごめん。嬉しすぎて意識が飛んだ」
「え?」
確かにトリップして、戻ってきた、みたいな様相だ。
「……手作り弁当……しかもみかりんの……信じられない」
今度は天井を見上げて感動を露わにするマナトさん。
私は慌てた。
「ごめんなさい。大したものじゃないんですっ」
どう考えても期待が上がりまくっている。ハードルは下げておかなきゃ。
「いや、みかりんの手作りなら、なんでも嬉しいよ」
じーんとしているのが、態度でしみじみ伝わってくる。
喜びをあまりにも素直に表す彼の姿に、私の方まで感動を覚えた。
(いい人だなあ。マナトさんって)
誰かに何かしてもらったことをこんなに感謝できるなんて。
悪魔なんて言ってた人がいたけれど、むしろ天使のような善良さではないか。
(でしゃばりすぎかなって思ったんだけど……作ってよかった)
私も彼みたく、感謝を素直に告げられる人でありたい。
憧れが、また一つ、大きくなっていく……。
「マナトさん、私」
考えるより先に声が出た。
「ん?」
マナトさんは穏やかな目で私を見た。
私はハッとする。何を言おうとしたのだろう。
答えはすぐに見つかった。
(あなたの事が大好きです……)
多分私は、そう言いたくなっていた。
ぐっと言葉を飲み込む。
マナトさんを困らせるような、そんな発言、してはダメだ。
もちろん、変な意味じゃない。人として尊敬している、という意味だった。
だけど、きっと勘違いされる。
「玉の輿に乗ってみる?」
なんて、さらりと言ってのける彼だもの。
もし、今、そんな軽口を言われたら……想像しただけで頬が赤くなってくる。
「いえ、何でもありません」
私は笑顔でごまかした。今日の私に求められているのは平常心。
それだけ考えていればいい。
マナトさんはにこっと笑い返してくれた。
それから私たちは給湯室横にあるこぢんまりとしたスペースへと移動した。
テーブルの上にそれぞれのお弁当とお茶を並べる。
「……うん。新婚生活のリハーサルみたいだ」
正面にいるマナトさんは瞳を輝かせている。
(いちいち反応しちゃ、だめ。平常心平常心)
心の中で呪文を唱えながらお弁当箱を開けた。
「おっと、サケのボイルしたのに、おかかと昆布のおにぎり、だし巻き卵と唐揚げ、きんぴらごぼう!」
マナトさんの表情が、少年のようなものへと変わっていく。
話題がそれてホッとする。
新婚なんて……。
また変な妄想を始めてしまうところだった。
「シンプルなものばかりなんですけど」
「全部美味しそう」
ううう。
本当に作ってきた甲斐があった。
(マナトさんが旦那様だったら、幸せだろうなあ)
ごく自然に、そんな考えが頭に浮かぶ。そしてすぐに打ち消した。
あり得ない未来を考えたところで意味はない。
キスまでしているのに、変だとは自分でも思うけれど……。
ファーストキスの後言われた、「間違えた」という言葉がどうしても引っ掛かる。
多分、マナトさんにとって、あのキスはハプニングだったのだろう。そうとしか思えない。
それが、なぜか習慣化してしまった。外国ではキスなんて挨拶だ。
まあ、ここは日本だけど、ぶっ飛んだ感覚のマナトさんの考える事なんて、凡人の私にはわからない。
変な期待をしちゃダメだ。ここは神聖なる職場なのだから。