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第35話 ランチタイム

 時計の針が12時を過ぎる。


「お疲れ様。食事に行ってきて」


 いつも通りマナトさんが声をかけてきた。

 今までは時間をずらして交代でレストランに繰り出していた。


「あ、今日からお弁当を作ってまして……ここで食べていいでしょうか?」

「へえ。朝早いのに、偉いね」

「ええ……」

「じゃあ、俺、出ようかな」


 マナトさんは立ち上がる。


「あの」

「ん?」


 にこやかな笑顔で首をかしげるマナトさん。

 ドキドキしながら勇気を出してこう告げた。


「2つ作ってきたんです……良かったら一緒に食べませんか?」


 おずおずと、バッグから包みを2つ取り出す。

 マナトさんは両目を見開いた。


「えっ! 俺の分まで?!」

「はい」

「マジか」


 マナトさんは絶句した。

 その目がどこか遠いところを見ている気がして、私は心配になってくる。


「あの」


 声をかけてみた。返事がない。


「マナトさん?」


 ボリュームを上げて再度トライした。

 マナトさんは、大きく息をして、胸に片手を当てる。


「ごめん。嬉しすぎて意識が飛んだ」

「え?」


 確かにトリップして、戻ってきた、みたいな様相だ。


「……手作り弁当……しかもみかりんの……信じられない」


 今度は天井を見上げて感動を露わにするマナトさん。

 私は慌てた。


「ごめんなさい。大したものじゃないんですっ」


 どう考えても期待が上がりまくっている。ハードルは下げておかなきゃ。


「いや、みかりんの手作りなら、なんでも嬉しいよ」


 じーんとしているのが、態度でしみじみ伝わってくる。

 喜びをあまりにも素直に表す彼の姿に、私の方まで感動を覚えた。


(いい人だなあ。マナトさんって)


 誰かに何かしてもらったことをこんなに感謝できるなんて。

 悪魔なんて言ってた人がいたけれど、むしろ天使のような善良さではないか。


(でしゃばりすぎかなって思ったんだけど……作ってよかった)


 私も彼みたく、感謝を素直に告げられる人でありたい。

 憧れが、また一つ、大きくなっていく……。


「マナトさん、私」


 考えるより先に声が出た。


「ん?」


 マナトさんは穏やかな目で私を見た。

 私はハッとする。何を言おうとしたのだろう。

 答えはすぐに見つかった。


(あなたの事が大好きです……)


 多分私は、そう言いたくなっていた。

 ぐっと言葉を飲み込む。

 マナトさんを困らせるような、そんな発言、してはダメだ。

 もちろん、変な意味じゃない。人として尊敬している、という意味だった。

 だけど、きっと勘違いされる。


「玉の輿に乗ってみる?」


 なんて、さらりと言ってのける彼だもの。

 もし、今、そんな軽口を言われたら……想像しただけで頬が赤くなってくる。


「いえ、何でもありません」


 私は笑顔でごまかした。今日の私に求められているのは平常心。

 それだけ考えていればいい。

 マナトさんはにこっと笑い返してくれた。


 それから私たちは給湯室横にあるこぢんまりとしたスペースへと移動した。

 テーブルの上にそれぞれのお弁当とお茶を並べる。


「……うん。新婚生活のリハーサルみたいだ」


 正面にいるマナトさんは瞳を輝かせている。


(いちいち反応しちゃ、だめ。平常心平常心)


 心の中で呪文を唱えながらお弁当箱を開けた。


「おっと、サケのボイルしたのに、おかかと昆布のおにぎり、だし巻き卵と唐揚げ、きんぴらごぼう!」


 マナトさんの表情が、少年のようなものへと変わっていく。

 話題がそれてホッとする。

 新婚なんて……。

 また変な妄想を始めてしまうところだった。


「シンプルなものばかりなんですけど」

「全部美味しそう」


 ううう。

 本当に作ってきた甲斐があった。


(マナトさんが旦那様だったら、幸せだろうなあ)


 ごく自然に、そんな考えが頭に浮かぶ。そしてすぐに打ち消した。

 あり得ない未来を考えたところで意味はない。


 キスまでしているのに、変だとは自分でも思うけれど……。


 ファーストキスの後言われた、「間違えた」という言葉がどうしても引っ掛かる。

 多分、マナトさんにとって、あのキスはハプニングだったのだろう。そうとしか思えない。

 それが、なぜか習慣化してしまった。外国ではキスなんて挨拶だ。

 まあ、ここは日本だけど、ぶっ飛んだ感覚のマナトさんの考える事なんて、凡人の私にはわからない。

 変な期待をしちゃダメだ。ここは神聖なる職場なのだから。


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