マナトさんは三方を女性社員……ファッショナブルで洗練されていて、知的な雰囲気のキャリアウーマンたち……に囲まれていた。
私の周りも男性ばかり。
独身者だけの飲み会で適用されがちな、男女交互に座る、なんて、ルールはここには存在しないらしい。
(五十嵐商事って、美人が多いなあ。前に会った櫻井さんも、綺麗だったし……)
私はそう独りごちる。
とはいえ、そんな中でもマナトさんのオーラは格別だった。
グラスを持つ、白くて繊細な長い指先。ビールを飲み下す時に上下する、男性的な喉ぼとけは、たまらなくセクシーだ。
彼の仕草が殊更官能的に見えるのは、キスを……されてしまったからだろうか。
彼がどんな風に女性を引き寄せ唇を重ねるか……私はリアルに知っている。
彼の指がどんなに優しく、私の頬に触れるか、も。
(私ったら……変な事ばかり考えてる……)
物理的な距離は離れているのに私の意識はどうしても彼に引っ張られる。ふと目を向けてしまうのだ。彼の吸引力に抗えない。いや、これは、彼じゃなくて私のせい? 私が特別な感情を持っているから……?
と、その時だった。
彼が、ふいにこちらを向いた。
バチッ――。
数メートル越しの距離で、マナトさんの淡い色の瞳と、私の視線が真正面からぶつかった。
彼は、ほんの少しだけ口角を上げて、私だけに分かるように、優しく笑いかけてきた。その背景に薔薇の花が見えた気がして、私は思わず倒れそうになる。
(か、かっこよすぎる…………!! なんなの、この人……リアル王子様……!?)
見えない何かが胸の中心を、強く甘く貫き、私は思わず胸元に片手を当てる。
当然、物理的に何かが刺さっているわけではない。けれど、胸の奥には何か鋭い痛みが、確かに存在し疼いていた。
(殺傷力100%の笑顔……!! すごい!!!)
しみじみ、彼の魅力を嚙みしめていると、マナトさんの隣にいる理知的な雰囲気の女性が鋭い目つきで私を見た。
あからさまに舌打ちされて、ハッとする。夢から一気に覚めた気分だ。
(い、今の何? 私、何か気に障ること、した?)
だがすぐに彼女の視線はマナトさんへと向けられ、表情も穏やかなものへと変化する。
「社長、毎日お昼休みに外食なさってるでしょう? ビル内のレストランでよくお見かけしますわ」
一瞬垣間見えた苛立ちが嘘のような涼しい声。
(……舌打ちは勘違いだったのかも)
私はそう結論付けた。自意識過剰は良くない。気をつけなきゃ。
「ああ、そうだね。意外と見られてるもんだなあ」
マナトさんはフレンドリーな声で答えている。
「そりゃあ、社長は目立ちますもの。でも、外食ばかりじゃ栄養が偏ってしまいません? 社長のお仕事はハードでしょうし、私、お体が心配ですわ」
別の女性が気遣うような口調で言う。彼のハードワークは平社員時代から有名だったらしい。本人も、今の方が楽だと言っているほどだ。もちろん、私に気をつかわせないために、強がっている部分はあるとは思うのだけれど。
「ああ、それなら大丈夫。秘密兵器があるからね」
「秘密兵器、ですか?」
「そ。今日から手作り弁当なんだ」
さらりとマナトさんは言ってのけた。その瞬間、
「えっ!」
彼の周囲にいた女性たちだけでなく、少し離れた席の社員たちからも、驚きの声が上がった。そして、まるで示し合わせたかのように、ほぼ全員の視線が一斉に私に向けられる。熱い視線が一気に集中し、私は緊張のあまり咳き込んだ。
「ゴホッ、ゴホッ……!」
「大丈夫ですか?」
隣の田中さんが心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「は、はい。すみません、むせちゃって……失礼しました」
私は胸のあたりを抑えながら頷き、平静を装いつつも、全力でその後の会話に耳を澄ませた。
(どうしよう、私が作ったってバレてる!?)
心臓が早鐘を打つ。悪い事ではないけれど、知られるのは何故か恥ずかしい。しかし意外にも、誰もその件には直接ツッコミを入れてこなかった。一気にこちらに向いた視線も、興味が別の対象に移ったかのように、あっという間にマナトさんの方へと戻っていく。
(あれ? 気づかれてない……?)
少し拍子抜けしたが、お弁当の話題はまだ続いているようだった。
「それはあまり、感心しませんわね」
隣りの女性が口を挟んだ。
「ん? どうして?」
マナトさんが意外そうに首を傾げている。女性はつづけた。
「学生時代、マナトさんのお弁当ってすごかったんでしょう? 3つ星レストランのシェフが作った、超豪華な三段弁当だったってうかがってます」
別の女性が、羨望の眼差しで言う。
「流石ですわ。まさにセレブ御用達って感じ」
「会長が贅沢志向だったからなあ。一人では食べきれなくていつも誰かにわけてたよ」
マナトさんは苦笑いを浮かべた。
「五十嵐商事社長に相応しいお弁当ですわ。それなのに素人の作った手作りだなんて……万が一、食中毒なんてことになったら、大変です。即刻中止すべきか、と」
女性は真顔でそう続けた。その言葉で、私はハッとする。
(衛生問題……! 確かに……!)
目から鱗が落ちた気がした。
新たなチャレンジに夢中になり、正直そこまで考えていなかったのだ。もちろん、調理器具の手入れや手洗いなどはそれなりにしたが、しょせんは最低限である。急に不安が押し寄せてきた。確かに万が一があってはならない。それこそ、マナトさんは五十嵐商事の宝なのだ。
(どうしよう。やめようかな)
気弱な思いが浮かび上がる。
すると、マナトさんが、それまでの穏やかな雰囲気を少し変えて、はっきりとした口調で言った。
「……悪いけどそれは余計なお世話かな。万が一を気にしていたら、何もできなくなるだろう? それに、誰よりも大切な人が心を込めて作ってくれたものだ。衛生面も栄養面も、まったく心配ない……何よりこの俺がこの上なく楽しみにしてるんだから」
いつもは柔らかいマナトさんの表情が冷たいものへと変わっている。王の言動で呆気なく空気は変わり、まるで店内に冷たい風が吹き込んできたみたいだった。
「…………申し訳ありません。出過ぎたことを申しました」
女性は少し気圧されたように、小さく頭を下げた。
「いやいや、俺の体を心配してくれるのは嬉しいよ。愛社精神の表れだね」
マナトさんはすぐにいつもの爽やかな笑顔に戻った。そして、周囲を見回し、楽しそうに付け加えた。
「まあ、心配しなくても、栄養もたっぷり入ってるから大丈夫。愛情と同じくらいにね」
「きゃあー!」
そのセリフに、女性陣から黄色い悲鳴が上がり、私は恥ずかしさのあまり、一人首を竦めたのだった。