「えっ!? み、みかりん!?」
マナトさんの綺麗な目が、驚きのためか大きく見開かれる。
「ご、ごめん! そんなに怖かったんだな……! 俺がもっと早く気づいていれば…… 最初から一緒に帰ればよかった……!」
マナトさんは明らかに慌てた様子で、私の両肩を掴み心配そうに顔を覗き込んでくる。
私はしゃくりあげながら、首を左右に何度も振った。
「ち、違うんです……怖かったのも、ありますけど……あれ、おかしいな……なんで私、泣いてるんだろう……」
自分でもよくわからない。涙が止まらないのだ。もどかしいような、切ないような、それでいて温かい感情が、体の中心からとめどなく湧き上がってくる。
怖かった。それは間違いない。酔った男性に腕を掴まれ、無理やり連れて行かれそうになったのだ。もしあのままどこかへ攫われていたらと思うと今でもぞっとする。
でも、それ以上に嬉しかった。彼が、マナトさんが、助けに来てくれたことが。
絶体絶命だと思った、あんな心細い状況で、一番会いたかった彼が駆け付けてくれた。それが、ものすごく、ものすごく嬉しくて心強かった。張り詰めていた緊張の糸が、彼の顔を見た瞬間にぷつりと切れて、安堵と喜びで涙が溢れてしまったほどに。
「あーもう……ほんっとに、みかりんが可愛すぎる……!」
マナトさんは、まるで宝物でも見るかのような、熱のこもった眼差しで私を見つめると、深いため息をついた。そして、私の手首を優しく、しかししっかりと握ると、スタスタと大股で歩き始めた。力強いけれど、決して乱暴ではない、彼のリード。
「あ、あの、マナトさん、どこに行くんですか……?」
私は涙で濡れた顔のまま、彼を見上げて尋ねた。
「決まってるだろ。飲みなおすんだよ、二人で」
「えっ!? でも、二次会は……」
「二次会なんて、どうでもいい。それより、こんなに震えてる君を、一人で暗いアパートへなんて帰せるわけないだろう?」
じゃあ、今から、もう少しだけ、彼と一緒にいられるんだ……。その事実に、また新たな喜びがこみ上げてくる。
「どこか落ち着けるバーでも探すか、それとも案外、あったかいラーメン屋とかもいいかもな」
マナトさんが楽しそうに今後のプランを呟いているのを、私はドキドキしながら隣で聞いていた。
と、その時だった。突然、ぽつり、ぽつりと冷たいものが頬に当たり、次の瞬間には、ざーっ!と、まるでバケツをひっくり返したような、ものすごい勢いの雨が降り出した。
「うわっ! ゲリラ豪雨かよ!」
マナトさんが叫ぶ。あっという間に、アスファルトが黒く濡れていく。
「きゃっ!」
私たちは慌てて、すぐ近くにあったラーメン屋の軒下へと駆け込んだ。二人でぎゅうぎゅうになりながら、激しく降り注ぐ雨と、遠くで光る稲妻を見上げた。
「すごい雨ですね……! あっ、マナトさん、結構濡れちゃってる……!」
見ると、彼のスーツの肩や髪が、雨でしっとりと濡れていた。私は慌ててバッグからハンカチを取り出し、彼の髪へと手を伸ばす。でも、彼は背が高いので、爪先立ちになってもなかなか届かない。
「ん、ありがとう」
マナトさんはすぐに気づいて、私の身長に合わせそっと膝を曲げてくれた。
彼の顔がすぐ目の前にある。濡れた前髪から覗く、真剣な眼差し。
ドキドキしながら、私は彼の髪を優しく拭いた。いい香りがふわりと漂ってくる。
「ありがとう、みかりん。今度は俺の番」
マナトさんは私の手からハンカチをそっと奪うと、今度は私の、同じく雨で濡れてしまった髪や、ブラウスの肩あたりを壊れ物を扱うように丁寧に拭いてくれた。
「君の綺麗な髪に雨のしずくがキラキラ光ってる……。まるで天使の輪っかみたいだ」
そんな風に、彼は見えるところ、感じたことを、何でもストレートに褒めてくれる。だから、私はいつも変に期待してしまうのだ。彼のこの優しさや、甘い言葉に、何か特別な意味があるのではないか、と。
「すぐに止みそうにはないですね、この雨。どうしましょうか、傘もないですし……」
私が軒下から空を見上げながら呟いていると、すっ、と一台のタクシーが、まるで私たちの状況を知っていたかのように、目の前に止まった。後部座席のドアが自動で開く。
「ナイスタイミング」
マナトさんはにやりと笑うと、「乗って」と私の背中を優しく押し、強引にタクシーへと乗り込ませた。そして、彼自身も素早く隣の席に体を滑り込ませる。
ドアが閉まり、車内は外の喧騒が嘘のような静寂に包まれた。雨音が車の屋根を叩く音だけが聞こえる。
「あの、マナトさん、一体どこに……?」
二人とも、服が少し濡れてしまっている。がっつり着替えが必要なほどではないけれど、このままどこかのお店に入るのは、少し気が引ける。
マナトさんは、隣で悪戯っぽくニッコリと笑って、こう答えた。
「予定変更。行き先は、俺んち」