社長室とは趣きの違うオリエンタルな家具で揃えられた、だだっ広い会長室。
窓に面した大きなデスクは世界一周へと旅立った主を待つかのように、ひっそりと静まり返っている。
普段は無人のその部屋に二人の男が対峙していた。
新社長に就任したばかりの五十嵐マナトと、会長秘書の田中浩平だ。
並んで立てば、社内の女性社員たちが「五十嵐商事の二輪の花」と密かに囁き合うほど見栄えのする二人だが、当の本人たちは全く知らない。
「な、なんだよ、マナト。突然こんなところに呼び出して……。もしかして、昨日のアレか!? 俺は別にけしかけたわけじゃ……!」
田中は早口でまくしたてた。
マナトは重厚な革張りのソファに深く背中を預け、足を組みかえた。慌てる田中を面白そうに見つめている。
「昨日のアレ、ねえ。……自覚はあるんだな?」
薄い笑みを浮かべた端正な顔。
だが、しかし……。
(目は全く笑っていない……!)
田中は震えた。
「朝倉さんが狙われてたのは知ってたよ……けど、まさか本当に、俺たちを地方に飛ばす気じゃないよな……!」
「何言ってんだ。そんなこと考えたこともなかったよ。けど、ナイスアイデアだね。なんせ、うちの大事な秘書は未だに自分の価値に気づいてないから。誰かが自分のせいで島流しになったと知ったら、少しは自覚が芽生えるかも」
マナトの淡々とした発言に、田中の顔色がサッと変わる。
「くそっ。イケメンだからって図に乗って……! 職権乱用だ! 鬼! 悪魔!」
田中は半ばヤケクソ気味に、日頃の鬱憤も込めて声を荒らげる。
「確かに俺は神に選ばれしイケメンだよ。でも今回の件には関係ないだろ」
マナトはしれっと返す。
「俺がみかりんの後ろにいたの、気づいてたよね。なんで木村たちを止めなかったの?」
「そ、そりゃ、ポーカーフェイスのお前が珍しくあたふたしてるの面白かったから……はっ!」
しまった、と口を押さえる田中。本音がだだ漏れである。
「はい、有罪」
マナトは神妙に言い放った。
「わあああ! 悪気はなかったんだ!」
田中はすっかり涙目だ。青くなったら赤くなったり、大変そうである。
「ま、いいよ。君とは長い縁だし。その代わり、罰として俺の言う事を一つ聞いてもらう」
マナトは満足そうに口角を上げた。
「ははっ。なんなりと仰せのままに」
田中は心臓のあたりに芝居がかった仕草で手を当てた。どうやら観念したらしい。
「君の名前で、みかりんに『社内アンケート』を実施して。全社員に実施してるとみせかけて、彼女だけに送るんだ」
「アンケート……? なんでまた、そんなことを?」
「来週末、デートに行く。その前に彼女の欲しいものや好みのシチュエーションを、完璧にリサーチしておきたい。そのためのアンケートだ」
マナトの言葉に、田中はしばし呆然としていたが、やがて全てを察したように、しかしどこか心底呆れたような表情で言った。
「……お前さあ」
「ん? 何か文句でも?」
「いや、文句はありありだよ。それはでも一旦おいておいて」
田中は続ける。
「朝倉さんのこと、好きなのか?」
「ああ、好きだよ」
マナトは悪びれもせずに、きっぱりと答える。
「……ええっ!?」
「なんでそんなに驚くんだ? あんなに性格が良くて、可愛くて、健気で、おまけに見ていて飽きない女性、好きにならないほうがおかしくない?」
「社内恋愛は絶対にしないって、あれほど豪語してたじゃないか!」
「ああ、そんなことも言ってたっけ。だけど、彼女は別格だよ。そんなルール、出会った日から上書き済み。頭の中は、彼女をどうやってドキドキさせるか、それだけでいっぱいだ」
マナトはうっとりとした表情で、どこか遠くを見つめるように呟く。つい数か月前までの彼からは想像もできないほどの変貌ぶりに、田中はただただ目を丸くした。
「……彼女は、それを知ってるのか?」
「いいや。……いや? どうだろうな。どっちにしても、正式な告白はまだだ」
「なんで直接告白しないんだよ。回りくどいことしないで」
「彼女は『恋のときめき』を求めてる。だから、俺は全力でそれを叶える。彼女を誰よりもときめかせて、その心を完全に俺のものにしてから……最後に、捕獲するつもりだよ」
マナトはにっこりと微笑んだ。その笑みは、獲物を見定めた美しい猛獣のようで……田中は再びぶるりと体を震わせた。