その日の午後遅くパソコンに一通の社内メールが届いた。
差出人は総務部企画課。
タイトルは「福利厚生に関するアンケートご協力のお願い」となっていた。
(私でお役に立つかしら)
入社したばかりで、あまり会社について知らない私。
しかし、内容は、思っていたものとは少し違っていた。
「あなたの好きな異性のタイプを教えてください(複数回答可)」
「理想のデートプランを教えてください(自由に記述)」
「デート先でもらいたいプレゼントは?」
「行ってみたい場所や、体験してみたいことはありますか?」
etc.
結婚情報サービスの顧客向けアンケートのような設問ばかりである。
もう一度差出人を見てみると、部署名の下に田中さんの名前とメールアドレスがあった。
(田中さんの企画なんだ)
少し戸惑ったけれど、これも大切な仕事である。それに、自分の「好き」にじっくり向き合ういい機会だろう。
「あなたの好きな異性のタイプ」
マナトさんの顔が真っ先に浮かぶ。
(うう、これはさすがに書けないわ……)
「理想のデートプラン」
(マナトさんと一緒なら、どこへ行ったって、何をしたって、全部が特別で楽しいデートになるんだろうな)
アンケートにこたえる度に彼のことが頭に浮かび、心の扉に閉じ込めたつもりの「恋心」が顔をのぞかせる。
アンケートの送信ボタンを押すとふう、と一つ大きな息をつく。なんだか、どっと疲れてしまった。きっとマナトさんの事ばかり考えてしまったからだろう。
数日後、資料整理をしていた私の前に、ひょっこりと田中さんが現れた。
「先日ご回答いただいた福利厚生アンケートですが、厳正なる抽選の結果、朝倉さんが懸賞に当選されました。おめでとうございます!」
ニコニコ顔の田中さんは可愛らしいイルカのイラストが印字された封筒を差し出してきた。
「懸賞……! そう言うのがあったんですね!」
「ええ。どうぞ」
「ありがとうございます」
受け取った封筒の中には、都内で一番大きい水族館のペアチケットが入っていた。
「恋人と行きたい場所は?」という設問に私は迷わず「水族館」と答えた。偶然だろうが、つい、はしゃいだ声をあげてしまう。
「ここ、行きたかったんです! すごく嬉しいです……!」
私は満面の笑みで田中さんにお礼を言うと、チケットの写真をまじまじと眺めた。
ダイナミックなシャチのジャンプ。愛らしいペンギン。なんで素敵なんだろう。
珍しい海洋生物がたくさんいる場所。
ワクワクしてしまう。
「流石みかりんはラッキーガールだね。すごい倍率だったはずだし」
いつの間にかそこにいたマナトさんが、私の手からひょいと封筒を抜き取り、楽しそうに言う。そして、封入されていた手書きの付箋を大きな声で読み上げた。
「『日頃お世話になっている方や、大切な方とご一緒に、素敵な時間をお過ごしください』か。なるほどねえ」
付箋の書き文字に、私は両目を見開いた。
「これって、田中さんの字ですか? 達筆ですね」
「そうですか? ありがとうございます」
「みかりん、大切なのは字ではなくて文章だよ。忘れないように読み上げてみて」
促され、私は付箋の書き文字を音読した。
「『日頃お世話になっている方や、大切な方とご一緒に、素敵な時間をお過ごしください』」
田中さんは大きく頷いている。
「特別なチケットですから特別な人にプレゼントしてくださいね。まかり間違っても、どうでもいい人に貴重なチケットを渡しちゃダメです」
そう言いながら、田中さんはチラリと、しかし何かを訴えかけるような、意味深な目でマナトさんを見る。マナトさんは「わが友よ。ナイスサポート」と意味不明な言葉をかけていた。
(大切な人……もちろん、真っ先に思い浮かぶのはマナトさんだけど……)
そんなこと口が裂けても言えるはずがない。これは福利厚生のプレゼント。社長を誘うなんて、あまりにも図々しい。
次に私の頭に浮かんだのは、明子だった。親友で恩人の彼女は私にとって紛れもなく『大切な人』である。
「わかりました。本当にありがとうございます」
私はそう言ってチケットをしまった。
マナトさんは興味津々と言った調子で尋ねてくる。
「誘う人、決まった?」
「ええ」
「誰ですか?」
「誰?」
マナトさんと田中さんから同時に聞かれ、私は言った。
「ルームメイトにプレゼントします。ハードワークだから、リフレッシュして欲しくて」
なぜかマナトさんと田中さんは同時に「えっ」と気の抜けたような声を上げ、揃って両目を丸くした。
「あの……何か、私、おかしな事言いました?」
二人の意外な反応に不安になった。
田中さんはサッと顔を青くして、慌てたようにこう言った。
「い、いえ、何も! 友達思いで 素晴らしい! さすが朝倉さん! ではでは!」
言うが早いか、田中さんはそそくさと、まるで何かから逃げるようにその場を立ち去ってしまった。
マナトさんは、片手をデスクに置き、がっくりと項垂れている。まるで大切な何かを失ってしまったかのように悲し気な姿。
「ど、どうかなさいましたか? マナトさん」
「いや、ごめん。気にしないで。……俺が、君という人間の性格を、少し読み誤っていただけだから」
「え……?」
「そうだよな。友達思いで、天使のように優しい。そんな君の行動パターンなんて、本当はいくらでも想像できたはずなのに……」
マナトさんはゆっくりと顔を上げると、どこか痛々しい、けれど美しい笑みを浮かべて私にほほ笑んだ。その表情に、私の胸がチクリと痛む。
「うん。明子さんと楽しんでくるといい。こっちは……そうだな、計画をちょっと練り直すよ」
「あの、マナトさん……?」
「それじゃ、また後で」
そう言うと、マナトさんはふらふらと、まるで魂が抜けてしまった幽霊のように力なく社長室へと戻っていった。
(大丈夫かな……?)
彼は明らかに落ち込んでいる。私のせいではないだろうけど……。
私と話している間に態度が変わった事もあり、意味不明な罪悪感を覚えてしまう。
事務仕事に戻りながらも、元気のないマナトさんが心配でならなかった。