水族館の最寄り駅を降り、海に面した広い道を明子と二人、並んで歩く。
雲一つない快晴に恵まれた。空と海の青が爽やかで、頬を撫でる潮風がなんとも心地よい。
角を曲がると白くて大きなドーム型の建物が見えてきた。水族館だ。私の心は大きく弾む。
「はあっ。楽しみ!!」
思わずため息混じりの声がもれる。
しかし、浮かれているのは、どうやら私だけだったらしい。
「こんなデート日和の日曜日にわざわざ女どうしで水族館って……。あんたも大概、バカだよね」
呆れたような声。普段私に甘い彼女が、辛辣なのにはわけがあった。
「なんでマナトさんを誘わなかったわけ? 初デートに行けたのに!」
この日を迎えるまで、何度となく言われた言葉。私は思わず足を止め顔がカッと熱くなるのを感じながら、これまた何度となく繰り返した言い訳を告げる。
「私たち、そういう関係じゃないって言ってるでしょ……!」
「そういう関係って何よ。好きなんでしょ、マナトさんのこと」
容赦ない指摘に、心臓がドクンと大きく鳴る。私の気持ちは見透かされている。さすが明子。ごまかせない。
「う……それは、そう、だけど……。でも、今はまず、秘書としてちゃんと認めてもらいたいし、もっと自分に自信をつけたいっていうか……彼にふさわしい存在になりたいの。そのためには、まず仕事で結果を出さないと!」
そう。彼への気持ちを自覚したからこそ、半人前ではダメだと思っている。彼に釣り合う素敵な女性になるために、まずは目の前の仕事に全力で取り組む。それが今の私の決意。恋を諦めたわけでも、ましてやマナトさんを諦めたわけでもない。むしろ、その逆だ……。
掛け値なしの本音なのに、明子の表情は曇ったままだ。
「……なんだか逃げてるようにしか見えないなあ。仕事熱心なのはいいけどさ。チャンスはそうそう落ちてこないよ」
「確かにそうかもしれないけど!」
私は拳を握りしめる。
「でもね、明子と行きたかったのもあるんだよ。いつもお世話になってるし」
そんな私を見て、明子はやれやれといった顔で肩をすくめた。そして、
「それはもちろん嬉しいわよ。女同士の水族館も、それはそれでネタになりそうだし」
「……本当?」
私は上目遣いに彼女を見た。あまりにもマナトさんをおされるので、ありがた迷惑だったかと不安になっていた。
明子は苦笑した。
「本当よ。そうね。せっかくだから楽しまなきゃね。おひさまの下で過ごすの久しぶりだし。ありがとう」
そしてパーカーの袖をまくり、前を向く。
「よーし。行くわよ! 水族館!」
そう言いながら、なぜかダッシュで走り出した。元陸上部の彼女は足が速い。
「わっ。待って」
私はその後ろ姿を小走りに追いかけた。
水族館の入場門をぐぐってすぐにある遊具が設置された小さな公園は、たくさんの家族連れや、カップルたちで賑わっていた。兄弟らしき幼児が手を繋いで私たちの横を走り去っていく。
「あー、こういうの好きなのよ」
明子が嬉しそうに周囲を見回す。
「いつも大人の相手ばかりしてるからさ、子供たちのはしゃぎ声って、なんか癒されるんだよね。そうだ。写真撮ろ! あ、お願いします!」
さっきまで文句を言っていたのが嘘みたいに楽しそうな明子。さっさと見知らぬ人にスマホを預け、ピースサイン。私も倣った。
「あー、久しぶりにダッシュしたら喉が渇いちゃった」
パタパタと手で自分に風を送りながら明子が言う。
「飲み物買ってくるよ。座って待ってて」
テンションが上がってきた明子の様子が嬉しくて、私はそそくさとその場を離れた。
(自販機スタンドは……と)
キョロキョロとあたりを見まわしていると、植え込みのあたりに人だかりができているのが見えた。
野生のカンが立ち上がる。
(もしかして……有名人?!)
私はこう見えて実はミーハー。
上京してしばらく経つのに芸能人を見ると興奮してしまう。
ワクワクしながら人だかりへと近づいていく。
そこには、泣きじゃくっている男の子と、それに対峙する、すらりと背の高い、後ろ姿があった。瞬間どきん、と心臓が跳ねる。
(なんだか見覚えが……!)
「そっか。ママに買ってもらった風船、飛ばされちゃったのか。それは嫌だよな」
男の子に語りかけている、少し高めの柔らかな声に、既視感がある。
マナトさんだ!
声をかけようとしたら取り巻きたちの声が聞こえてきた。
「こんなところで葦原健に会えるなんて……」
「実物かっこいいー。顔小さーい」
はた、と私は動きを止める。葦原健は人気の若手俳優だ。
(マナトさんじゃなくて葦原健なの?)
なるほど、だからこんなに人が集まっているのか。
男の子と葦原健の傍には高く細い木があり、枝に青い風船が引っかかって揺れていた。きっと男の子のものなのだろう。
「よーし、見てろ」
その人は、ひらりと身軽にジャンプした。見事な跳躍力にギャラリーたちはどよめく。私も一緒に声を上げた。彼の手にはしっかりと風船の紐が握られており、再び今度は歓声がわく。
「はい、どうぞ」
男性はしゃがむと男の子に風船を渡した。
「ありがとう! お兄ちゃん!」
男性は瞳を輝かせている男の子の頭をポンポンと叩く。
「あの、葦原さん、ファンなんです……よかったらサインを」
一人の女性が話しかけ、男性は振り向く。
「あ、俺、芸能人じゃないです。すいません」
爽やかに言うその人は紛れもなくマナトさんで……。
私の心臓は甘く激しく跳ね上がった。