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第63話 ペアルック

 数分後。

 私とマナトさんは、ジンベイザメがでかでかとプリントされたTシャツ姿で園内を歩いていた。

 マナトさんはブルーで私はピンク。

 レジに向かうマナトさんは、なんだかいたずらっ子みたいにウキウキしていた。 


「マナトさん、すれ違う人たちが、こぞって私たちを見てませんか?」


 恐る恐る私は尋ねる。


「そりゃ、神に選ばれし美貌の男と天使が歩いているんだもの。当然でしょ」

「……違う理由だと思います」


 プレゼントは嬉しいけれど、この柄、インパクトありすぎで、つい猫背になってしまう。

 そんな時だった。すれ違った学生っぽい女の子たちの会話が私の耳に飛び込んできた。


「ねえ見て、ジンベイザメのペアルック! 可愛くない?」

「わー、すごいお似合いのカップルだね」


 私は驚きのあまり立ち止まる。


(ちょ、ちょっと、今の、空耳!?)


 女子三人組は交互に私とマナトさんを見て「私も彼氏欲しいな~」などと言い合いながら傍らを通り過ぎていく。


(気のせいじゃなかった。私たちの事なんだ)

「みかりん?」


 マナトさんが不思議そうに私の顔を覗き込む。

 まずい。今の私、きっと顔が真っ赤だ!


「あ、いえ、シャチとジンベイザメ、どちらが可愛いか気になってしまって!」


 自分でも意味不明な言い訳を口走り、慌てて歩きだす。

 必死に平常心を装うが、私の頭の中はたった今聞いたばかりのフレーズでいっぱいだ。


 お似合いの……カップル……。


 私たちが?


 何気ない一言が私の感情を塗り替えた。

 恥ずかしさが幸福感へ変わっていく。

 だって……。


 (そうか。このTシャツのおかげで、私たち「お似合いのカップル」に見えるんだ……)


 デートみたい、とはしゃいだり、ただの偶然なんだから、と己を戒めたり、グラグラ揺れている私の心。

 でも、知らない人から見て、ちゃんとカップルに見えるんだ。

 そんなの嬉しいに決まってる。

 マナトさんと恋人同士でペアルックを着て水族館デート。

 なんて素敵なんだろう。

 さっきまで猫背だったのに、たちまち胸を張って歩いている私。

 ジンベイザメのデザインがオシャレにさえ思えてきた。

 単純すぎると自分でも呆れてしまう。

 隣を歩く彼の横顔を盗み見ると、彼は相変わらず楽しそうで、それ以外の感情は何一つ読み取れない。

 私のこのドキドキも、淡い願望も、きっと彼は気づいていないのだろう。

 でも、それでいい。

 今は、こっそり、甘い妄想に酔いしれたかった。


 それから私たちは水族館の隅から隅まで見て回った。

 途中、明子に連絡したけれど、携帯の電源が切れているのか繋がらず。

 ランチもカフェも二人っきり。

 口についたアイスクリームをマナトさんが指でぬぐってくれたり、グリーンピースが苦手だと、些細な表情の変化に気が付いて食べてくれたり。

 思う存分カップル気分を味わっているうちに、気がつけばもう夕方である。


「今日は一日お付き合いくださってありがとうございました。すごく楽しかったです」


 そろそろ閉館時間も近づき、出口に向かってゆっくりと歩きながら、私は寂しさをぐっと堪える。

 まだ一緒にいたい。でも、わがままは言えなくて……。

 マナトさんと出会ってから、私はどんどん欲張りになっていく。


「ん? 何言ってるんだ、みかりん。まだデートは終わってないよ」


 マナトさんはさらりとそう言って、


「あ、見つけた」


 不意に立ち止まる。

 眼差しの先にはお土産屋さんと、その前に置かれたクレーンゲームのボックスがあった。


「わあ、シャチのぬいぐるみ! 可愛い!」


 私は一等賞の景品に釘付けになる。

 ボックスの中でもひたすら目立つ巨大なそれは、今日キスをしてくれたララにそっくり。

 大きな海洋生物が大好きな私は、「彼からのプレゼントは何がいいですか?」というアンケートに「大きなシャチのぬいぐるみ」と、記入していた。

 さっき本物のシャチと触れ合って、神秘的な魅力のとりこになった私。

 ますます欲しくなってくる。


「でも、あれって、なかなか取れないんですよね……」


 マナトさんは、そんな私の様子を見て、「いや、簡単でしょ」と、こともなげに言った。


「い、いやいやいや、絶対に難しいですよ! そんなに簡単に取れちゃったら、お店の人が困りますもん……」


 そう。テレビの特集で見たことがある。クレーンゲームのアームは絶妙に調整されていて、そう簡単には取れないようにできているのだ。

 その昔、兄が何度もトライしていたけれど、一度だって成功したためしがなかった。


「みかりん。俺を誰だと思ってる?」


 マナトさんは、自信に満ちた、少し不遜なくらいの表情で顎をくいっと上げた。


「えっと……五十嵐マナトさん、です……」

「そう。神に選ばれし特別な男だ。今からその実力を見せてあげる」


 マナトさんは、意味深な笑みを浮かべると、迷いのない足取りでボックスへ向かった。

 彼は景品の位置とアームの角度を慎重に確認すると、次の瞬間、驚くほど滑らかな手つきでレバーを操作し、狙いを定めてボタンを押した。アームが正確にシャチのぬいぐるみを掴み上げ、そして――まるで磁石に吸い寄せられるかのように、いとも簡単に、景品口へと運ぶ。

 あっという間の出来事だった。


「す、すごい……! すごいです、マナトさん!!」


 あまりの鮮やかさに、私は思わずパチパチと両手を叩き歓声を上げた。


「ほら、言っただろ? 簡単だって」


 取り出し口から目的のものを軽々と取り出し、得意そうなマナトさん。


「はい、どうぞ。今日の記念だ」


 優しい笑顔と共にぬいぐるみがふわりと私に向かって差し出される。恐る恐る受け取ったその瞬間。

 彼の指先が私の手の甲をかすめた。

 体が震える。両手に収まったふんわりとした感触と指先に残る彼の熱。ドキドキが止まらない。


「いいんでしょうか?」


 私は上目遣いに彼を見つめた。


「もちろん。そのために取ったんだから」


 そう言われてみれば、確かに彼がこれを欲しがるわけはない。

 なんだ。そうだったんだ。

 私のために、あんなに真剣な顔で……。


「あ……ありがとうございます……!」


 じわじわと胸の奥から熱いものが込み上げてくる。

 なんだろう、この気持ち。

 ただぬいぐるみをもらっただけなのに、どうしようもなく感動してしまって、足が数センチ浮き上がりそうになるのを必死で堪える。

 私はギュッとぬいぐるみを抱きしめた。

 その柔らかな感触が、今の私の気持ちみたいに温かかった。

 彼の手のひらが伸びてきて、私の頭をくしゃっと撫でる。


「そんなに喜んでくれたら取った甲斐があるな」


 照れたような声が、私の鼓膜を甘く震わせる。

 私は腕の中の宝物を見つめ、喜びをかみしめた。


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