「――もう、その辺りにまで出現し始めたのですね……」
オルガの報告を受けた受付嬢は、深刻な面持ちで呟いた。
セナからすれば少しタフなだけで簡単に斃せるモンスターだったが、NPCにとってはそうじゃないらしい。七賢人という圧倒的な実力者を知っているばかりに、大多数のNPCにとっての強さの基準が低いことを忘れていた。
オルガという少年もレベルはたったの20だし、ブロンズランクまで上がってもレベル50前後、シルバーランクに昇格してようやく80を越えるかどうか。
レベル100に至り神威を修得するというのは、並大抵の努力では叶わないことなのだ。
「あの、わたしは来たばかりでよく分からないけど、大変なんですよね?」
「はい。ヒュドラ大連峰にドラゴンが生息しているのは周知の事実ですが、その生息域が広がるような事例は今までなかったんです。報復のため山を下りることはあっても、移り住むようなことは一度も……」
彼女はリマルタウリで生まれ育ったらしく、これまでのそんなことは無かったと断言する。
そして、よければ調査の依頼を引き受けて欲しいと。
「(魔大陸の行く途中だけど、ドラゴンは気になるんだよね。かっこいいし)」
セナは少し悩んだが、引き受けることにする。
調査の結果がどうなるかは不明だが、その過程でドラゴンの完全遺骸が手に入ればレギオンに与えようと思ったのだ。
それに、ドラゴンは雑魚とは比較にならないほど高レベルのモンスターだ。亜竜ではないドラゴンを討伐出来ればかなりの経験値になるのは間違いない。
「……受けます。レベリングも出来そうだし」
「ありがとうございます!」
《――クエスト:ヒュドラ大連峰の異変が発生しました》
クエストは調査が主な内容になっていた。
しかし、今日はもう外に出て調査できるような時間帯ではない。今からでは暗闇の中フィールドを彷徨わなければならなくなる。
セナは宿を取って、翌日から調査することに決めた。
「――ちっ、なんで俺が連れてこられるんだよ。庶民のくせに呼び出すなよな」
「ヒューゴ、何度も言っているだろう。組合の規則は貴族であっても破ってはならないと」
「別に破ってねぇだろ」
受付嬢に調査して欲しい場所を尋ねメモしていると、入り口から苛立ちを隠そうとしない声が聞こえる。
振り返ると、オルガを見捨てて逃げていた少年が保護者同伴で来ていた。
「テメェ! さっきはよくもやりやがったなおい!」
「ちっ、……んで生きてんだよ」
「偶然通りがかった人に助けてもらったんだよ。つか、あのドラゴン擬きに襲われたのだってテメェのせいじゃねえか!」
「あーあー、うっせぇな! 爵位も力もねぇくせに口答えすんな!」
そして、セナにいい宿を紹介するため待っていたオルガと早速揉め始めた。保護者らしき人物も眉を顰めてヒューゴを咎めるが、聞く耳を持たない様子である。
ああ、面倒なことになったな。そう思いつつ、セナも関係者なためそちらへ向かう。
「そもそも、俺がやったって証拠があんのかよ」
「ああ、あるさ! この人が証拠だ!」
「あ? 女? 嘘をつくならもっとマシなのにするんだな! どう見ても神官じゃねぇか!」
口を挟む前にあーだこーだ言われて、思わずイラッとするセナ。
「マスターを侮辱するな」
「黙れよ。いいか、俺は貴族なんだよ! いずれリーゲル子爵家の当主になる男だ!」
「ヒューゴ……!」
「祖父様は黙っててくれよ。もう年なんだからさ」
更には、レギオンにすら爵位を盾に威張る始末。
人前だから我慢しているが、レギオンの影が苛立ちで荒れている。許可があれば今すぐ目の前の少年を殺しているだろう。
「だが……っ!?」
止まる様子の無い暴言に、ヒューゴの肩を掴む老人。だがその瞬間、セナの胸に煌めくバッジが目に入り、さぁっと顔を青ざめてガタガタを震え始めた。
「……あ? どうしたんだよ祖父様」
「っ、ぁ……早く頭をさげんか馬鹿たれ!」
そして、無理やり頭を掴んでぐいっと下げさせる。
苛立たしげに反抗するヒューゴだが、その手を振りほどく前に老人が言葉を続ける。
「愚孫が無礼を働き申し訳ありません! 騎士様とはつゆ知らず! この通り謝罪致しますのでどうかご容赦を……!」
それは騎士への謝罪。帝国国内でたったの八人(今は九人)しかいない、皇帝に認められた英雄への不遜な行為を、どうにか許してもらおうとする意思の表れだった。
老体とは思えぬ力と覇気で発せられた言葉は周囲にも届き、慌ただしく動いていた職員たちが足を止めるほどの衝撃をもたらす。
「ぁ、きし……」
「騎士……って、あの!?」
ここまでされてようやく、自分が誰に喧嘩を売ったのか理解したらしい。ヒューゴは顔面蒼白な様子でガタガタと震え、尻餅をついた。
オルガもシルバーⅢの冒険者とは聞いていたが、騎士とは思わなかったらしい。驚きで固まっている。
「(……面倒なことになったなぁ)」
そしてセナは、バッジ一つでこんなに変わるんだなと、溜息をついた。
同時に、少なくとも国内では貴族に圧を掛けられることはなさそうだと安心する。