疫病が広がる。風に乗って広がる。粘膜から、肌から、傷から、疫病は感染する。その勢いはまさにパンデミック。
黒紫色の微粒子を吸い込んだ途端に生物は斃れ、植物は枯れ、大地は砂と化す。ただ死ぬのではなく、体中を食い荒らすようにグズグズに溶かされ死んでいくのだ。
そして、死体を媒介に病は増殖し、蔓延していく。
「……《プレイグアロー・フェイタリティ》」
だが、セナの攻撃はまだ終わっていない。
番えた矢に疫病を乗せ、未だ感染が広がっていない遠くの獲物を狙い撃つ。射貫かれれば即死だ。
神経を麻痺させ、肉を腐食させ、骨を溶かす。そうして死ねば、新たな感染源となって疫病を媒介する。
「やっぱり異常だよね。まだ向かってくる」
それでも、歪な憎悪と敵愾心を滾らせた亜竜の群れは止まらない。
「レギオン、自爆」
だから、数には数を。亡霊の狩猟団と化したレギオンを次々と自爆させ、向かってくる亜竜を埃のように蹴散らした。
こうしている間にも命を失った大地は広がっていく。
神の権能の前に、人の価値観に基づく生死は関係無い。
有機物だろうと無機物だろうと、物体として世界に存在しているのならば、
理解しようと頭を捻るだけ無駄だ。人と神では何もかもが違う。
だからセナは、深く考えずにその力を振るう。彼女には、女神から与えられた力を疑う理由が無い。
むしろ、即死できるだけ優しいとすら思っている。リアルの彼女は、ギリギリのところで死ねずに苦しんでいるのだから
「これで……最後!」
一〇〇を優に超える邪悪な亜竜の群れは、セナたちによって一掃された。
神威によって木々どころか地面すら死に絶えたが、群れがヒュドラ大連峰の外に出てしまうよりはマシである。
ナーイアスの【魔力還元】でMPの自然回復量が増えていても、合間合間にポーションを飲んでいなければとっくにガス欠していただろう。
神威を解除し、セナは辺りを見渡す。半径数十メートルは死の大地となり、生命が育まれることはなくなった。
感染源となった死体は全てレギオンが片っ端から平らげたし、植物に至っては感染源となる前に朽ちて風化したので自然消滅するはずだ。
「マスター、あっち。ずっと向こうだけど、レギオンが見つけた」
休憩していると、レギオンが遙か彼方を指差した。それは邪に侵されし亜竜が来た方角である。
疫病に感染して死に、死体が感染源となって範囲を拡げ、それに感染した個体がまた死んで感染源となり……そうしてだんだん細くなりながらも、死の大地は続いている。レギオンは戦闘中も、その先へと進み続けていたのだ。
「これは……」
目先の脅威は排除したためゆっくり歩いて向かうと、そこでは禍々しい肉片が蠢いていた。
モンスターではない。アイテムとも少し違う。だがこれは、間違いなく邪神に連なる存在から分かたれたモノだ。
「マスター、レギオンたくさん頑張った。褒めて」
「こっちのレギオンがすごく頑張った」
小さなレギオンを持ち上げ、二人のレギオンがそう言う。この肉片を探しあてたのは小さなレギオンなのだから。
右手を挙げサムズアップした小さなレギオンは、とても自慢げにしている。
「……とりあえず処理しないとね」
さて、小さなレギオンを影に戻したら、この肉片を処理しなければならない。
放っておけばまた近くの亜竜を侵食して邪神の傀儡にしてしまうだろうから。もしも上位の純竜が群れごと侵食されたら目も当てられない惨状となる。
セナは魔法の矢を取り出した。その名称は『崩壊の矢』。
この矢はダメージを与えない代わりに、状態異常によって相手を死に至らしめる。
――特殊状態異常:崩壊。肉体を構成する分子構造を崩し、魂を末端から壊し、冥府にすら至れぬ死をもたらす。
これは蘇生薬の素材となる世界樹の葉をベースに、効果を反対側へ作用させるアイテムを複数使用することでようやく発現する状態異常だ。
セナはこの矢を弓に番え、肉片を狙い撃つ。すると、断末魔らしき奇っ怪な音をあげ、肉片は溶けるようにぐったりした。
……だが、これで終わるほど、邪神というのは優しくない。
《――クエスト:ヒュドラ大連峰の異変の進捗度が一定に達しました》
《――クエスト内容が変化します》
《――ユニーククエスト:堕ちた竜の王を穿てを開始します》
「っ、主様
前例のないアナウンスが耳に届くのと同時に、ナーイアスが警告を発した。レギオンがセナを庇うように抱きしめ、その影へ匿おうとする。
砂を巻き上げる暴風が荒々しく降り立ったのだ。
その眼差しに理性は無い。その鱗に生気は無い。その肉体にあるのは邪悪に侵されねじ曲げられた悪意のみ。
セナは気付く。先ほど射貫いた肉片は、この邪竜から零れ落ちた一部でしか無いのだと。
【天撃のヴェルドラド】と比べても見劣りしない体躯に、どす黒く澱んだ鱗と翼。沸騰するように瘴気を発する瘤を盛り上がらせ、堕ちた竜の王は掻き毟るような雄叫びを上げた。