セナはヴェルドラドに語る。
このヒュドラ大連峰に起きている異変、その元凶は邪神の瘴気に侵されたフェリィエンリという竜の王だと。
ナーイアスはそこに、魂の奥深くまで侵食を受けてしまっていることを補足した。
『――ふむ、それが真実ならば確かに脅威だ。だが、我が動く理由にはならん』
「どうして……」
『奴が理性を保っているのならば、同胞には危害を加えぬだろうよ。理性を失うまえに山を出れば何も問題は無いわけだ』
だが、返ってきた答えは無情なものだった。縄張りの秩序さえ保たれればそれでいいなんて、自己中にもほどがある。
「竜よ、フェリィエンリがいつまでも理性を保てる保証はありません。あの様子では時間の問題です」
『何度も言うが、我らに害が無ければ手出しする理由にはならん』
「あの瘴気は邪神のものです。あなた方の支配する領域が、かつての竜の王が斃れる原因となった【邪神の眷属】によって、再び脅威に曝されているのですよ。それでも静観を貫くおつもりですか」
『そう言っている』
どれだけ言葉を重ねようと暖簾に腕押しで、ヴェルドラドが説得に応じる気配は無い。
しかし、ちらりと【断絶のスーシュエリ】の方を見やると、何かを頼んだのか小さく頷いた。
『……今この時より、この地は異界なり――《世界断絶結界》』
響いた声は女性のもの。同時に頂上一帯を強固な結界が覆う。
凄まじい力の奔流に一瞬身構えるセナとレギオンだが、ヴェルドラドとスーシュエリどちらにも害意を感じないことから警戒を解く。
『これで外からこちらの様子は観測できないわよ』
『ああ。まったく、煩わしいことだ』
「……どういうことですか?」
そして、取り繕っていた仮面を外すように、彼らは小さく笑った。
『竜の王たる我らは、秩序を保つため常に互いを監視している。我が娘を見れば分かるだろうが、力も足りなければ制御も甘い未熟者でも、地に降りれば人にとっての大災害となるからな』
『とうさまぁ……』
『だが、旧き王どもは山さえ無事なら人間がどうなろうとどうでもいいと宣う始末だ。邪神戦争で手痛い敗北を味わってからは特に顕著でな。王たる我らが領域を離れようとするだけで喧しくて仕方ない』
辟易するように吐き捨てて、ヴェルドラドは立ち上がる。
先ほどまでの姿勢はその旧き王へのアピールなのだろう。つまり、こちらがヴェルドラド本来の意思というわけだ。
『我が妻の結界内であれば監視の目も途切れるが……それでも我が直接動けば余計な怒りを買いかねん』
「では、助力は難しいと――」
『確かに難しい。だが、出来ないわけではない』
ヴェルドラドはそう言いながら、端に纏めてあった鱗を数枚咥えると、セナの前に置く。
純竜の、それも王になった個体の鱗だ。素材としてのレア度はかなり高い。
『これに我が力を込めてやろう。鱗一枚では《天撃》を一撃放つだけで限界だろうが、フェリィエンリの鎧を剥がすのであればそれで足りるだろうよ』
《雷嵐》による防御さえ解除できればそれで通じるとヴェルドラドは思っているようだ。
実際、セナが扱う疫病は風に阻まれなければ純竜相手でも通用する。神威として放てば竜の王にだって通じる可能性はあるだろう。
しかし、これではまだ弱い。まだ足りない。
竜の王を相手にするなら、まだ戦力が足りていない。
『メェイ、貴様はいつまでうじうじと泣いているつもりだ』
『だ、だって……僕、父様の客人を攻撃しちゃったし……』
『ならば手伝ってやれ。至近距離からならば貴様でも当てられるだろう』
『それ、僕にも雷返ってくるから嫌なんだけど……』
『いつまで経っても力を制御できない罰だ』
『父様酷い!』
と、親子間でちょっとした説教を挟みつつ、メェイが協力することになった。ノーコンとはいえ、メェイも相当な力を持つ純竜なのは間違いない。
『……いいか、今回だけだからな! 僕が人間なんかに力を貸すなんて、今回だけなんだからな!』
涙目になっているような気もするが、本竜の同意も得られたので問題は無い。
『セナ』
「は、はい!」
『こいつは馬鹿で阿呆だが、それでも我の娘だ。制御力は置いておいて、力だけならばフェリィエンリにも通用すると保証しよう』
さらっと実父にもディスられているが、制御力に関してはセナたちも目の当たりにしているので何も言えない。たった五〇メートルしか離れていなかったのに、見当違いの方向にドラゴンブレスを放っていたのだから。
あれにはナーイアスも呆れていた。
「……じー」
『おい、そんな目で僕をみるなよモンスター』
「レギオンはレギオン。ちゃんと名前がある」
「そうだそうだ。レギオンにはレギオンって名前があるんだぞドラゴンめ」
「ら~!」
『ぐぬぬ……!』
そして、早くもレギオンたちと口喧嘩を始めるメェイ。意外とすぐ馴染みそうだなと思いつつ、セナはヴェルドラドに礼を言った。
『構わぬ。元を辿れば我らの落ち度だ。それを巻き込まれた側の貴様が解決しようとしているのだから、手を貸すのは当然のことだろう。まったく、あの老害どもがいなければもっとスムーズに解決できたものを……!』
最後の方は完全に愚痴だが、良識のある竜の王がここまで扱き下ろすのだから、相当ろくでもない性格をしているのだろう。
セナは関わりたくないなと思った。