イルメェイは前に踏み出し、何かを確かめるように瞳を閉じる。
「イルメェイ?」
『僕たちは魔力の……なんていうか、匂いを感じ取れるんだ。ここにはフェリィエンリ姉さんの匂いと、おまえの匂いが色濃く残ってる』
「匂い……」
もしかしてわたしって臭い……? とショックを受け自分の匂いを確認するセナ。そんなセナに、イルメェイは慌てて弁明した。
『あ、えっと、匂いってのはそのままの意味じゃなくて! ……この感覚は人間の言葉じゃ表現できないんだ。「■■■■」……って言っても、伝わらないでしょ?』
「あ、うん……たしかに。その、りいーきぃーん……? ってのが、匂いってやつなの」
『そうだよ』
日本語とも外国語とも違う、単調な音を重ねて響かせたような単語は、たしかに言語化できないものだった。
だからこそ彼らは、他種族との会話の際に念話を用いるし、表現の幅が広い人間の言葉を使用するのだ。
『とにかく、後を追うのは今すぐ出来るよ。ただ、ちょっとだけ……考える時間が欲しいんだけど……』
「わかった。わたしは少し、周りの様子を見てくるね」
覚悟を決めるための時間が欲しいのだろう。セナは従魔を連れて死の大地の外側に向かった。二、三周もすれば十分な時間は確保出来るはずだ。
あの肉片によって邪悪に汚染された亜竜の群れは既に一掃してあるので、そこまで気を張って警戒しなくても済む。
遭遇したモンスターも大半が亜竜未満ばかり。
そうして一時間ほど掛けて見回りを追えたセナは、イルメェイのところに戻る。
蹲るように伏せていたイルメェイは、セナが戻ってきたことを察して頭を上げた。
『気を遣わせちゃってごめんよ』
「ううん、大丈夫。わたしも……その気持ちが分かるから」
『……ありがとう。おまえは本当にいいやつだな』
甘えるように頭をすり寄せるイルメェイ。けれど、すぐに頭を離して立ち上がった。
『覚悟は決めたよ。僕は、フェリィエンリ姉さんを斃す。この山を護るために……姉さんの誇りを、これ以上傷つけさせないために』
そして、翼を広げて飛び始める。セナもレギオンに騎乗し、その隣に並んで飛行する。
『姉さんの匂いは山頂に伸びている。あの、邪悪な匂いも一緒に』
竜の王だからか、フェリィエンリの巣はやはり山頂にあるらしい。
「他のドラゴンは……」
「活動している気配はありませんね。生きている気配も……。それに、何やら妙な魔法が使われた形跡がありますが……」
地上の様子はナーイアスが確認したが、亜竜どころか純竜の気配すら感じられないらしい。
代わりに、楔らしき岩石が至るところに打ち込まれていたようだ。
『〝地竜王〟だ。あいつ、この惨状を分かってて放置してやがったんだ……』
「それって、ヴェルドラドが言ってた旧き王のこと?」
『うん。最も偉大なりし地竜の王って、昔は言われてたんだって。地竜の始祖であることは変わらないけど、今はもう……ね』
その岩は〝地竜王〟なる存在が行使した魔法らしく、イルメェイが苦虫を噛み潰したような表情になる。
旧き王の一角、地竜種の始祖。天竜種のイルメェイですらこんな表情をするのだから、その人望は地の底まで落ち込んでいるのは疑いようがない。
「イルメェイ様、この辺りに掛けられた魔法をご存じなのですか?」
『詳しいわけじゃないけどね。でも、この連峰で生まれ育った純竜はみんな知ってるよ』
イルメェイ曰く、〝地竜王〟は大地を支配する技に長けているらしい。それも大陸規模で発動することが可能だそうだ。彼らの間ではこのヒュドラ大連峰も、〝地竜王〟が二つの小大陸をぶつけて築き上げたと伝わっているらしい。
地上にある楔のような岩石は、それの小規模版……山ごと余所に移動させる魔法の準備段階だと、イルメェイは予想する。
『――まあ、同じドラゴンってだけで、同胞だとは思えないんだけどね。だって、どこにいるのかすら分からないのに、監視だけはしてくるんだから』
だがかつての伝説は、今となっては信憑性の薄い与太話と同列だ。少なくとも、ヴェルドラドのように不快感を抱く王がいるし、イルメェイのように若い世代は特に不信感を募らせている。
「……大陸をぶつけてヒュドラ大連峰を作ったのなら、この山はどこに移動させるつもりなのでしょうね」
『それは僕じゃ分からない。でも、僕の雷なんかじゃ比べものにならないぐらい、酷いことになると思う』
「急がないと……!」
『うん。急ごう。はやく姉さんを……斃してあげよう』
いつ爆発するか分からない時限爆弾の存在が明らかになってしまったことで、イルメェイは多少無理をしてでも飛行速度をあげて進む。
雷を身に纏い、空を斬り裂くのだ。
セナたちもそれに続く。ただでさえ邪魔が入っている状態なのに、そこにタイムリミットまで追加されてしまったのだ。
最悪の場合……イルメェイの予想通りになってしまったら、間違いなく被害を被るのはエルドヴァルツ帝国なのだから。