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第21話 喧嘩と海月

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 硝子の前をウロウロと行ったり来たり泳いでいると、急に尾鰭に激痛が走った。

 いたい!!

 驚いて足もとを見ると、醜い顔にギザギザの歯がびっしり並んだウツボがガッチリと喰らいついていた。

 一匹だけじゃない。何匹もウヨウヨしている。

 あたしを再び海の底へと引きずり込もうとしているんだわ。

 ──あはは。あはは。

 ──脳先生。脳先生。

 ──かわいそうな脳先生。

 ──人魚屋敷に一人っきり。

 ──イカレているから、あんな夢や幻みたいな話を書くのさ。

 ──イカレているから、空っぽの金魚鉢に話しかけたりするのさ。 

 ──イカレているから、あんたみたいに『居もしない娘』に夢中になるのさ。

 ──あはははははははははははは!

 うるさい! うるさい! うるさい!

 あたしの大事な人に酷いこと云わないでよ! 

 あんたたち、全員蒲焼きにして猫に喰わせてやるんだから!

 頭に血がのぼって、生まれて初めて本気の喧嘩をしようとしたその時、周囲の藍色の濃度がぐんと増してきた。

 インク壺の中みたい。

 あっという間に黄昏時だ。

 ぽこん。と何か柔らかいものが頭にあたった。

 ──シャボン玉……?

 それらは円くって虹色で、あたしは硝子の向こうからシャボン玉が降ってきたと思ったの。


 でも、違った。たくさんの海月だった。

 射干玉の闇に輝く大小の海月たちを見ていると夜空の綺羅星のようで、いつかあの人が読んでくれた本に出て来た星海月ほしくらげを思い出した。

 海月たちがすうっとウツボをひと撫でするとビリビリと震え、鉛筆みたいにカチンカチンに固まると、悔しそうに言葉を吐きながらそのまま真っ直ぐに海の底まで落ちていった。

 ──ぐぅう。脳先生ぃいぃ。

 ──あんたなんた、あんたたちなんか、誰もみとめはしないさね。

 ──あぁは。あははははははは。


 あたしの前でたくさんの海月たちが踊ってる。ウツボが居なくなってなんだか嬉しそうだ。

 その中で、いちばん大きなお化けみたいな子が目の前でふわりふわりと大きな傘を広げたかと思うと、そのままばくんとあたしを飲み込んだ。


 活字じゃない、それ以外の海の底の意地の悪い生き物たちの言葉。

 あれは全部あの人に打つけられた言葉、あの人の心に刺さった棘だったんだわ……。

 あんなに何本も何本も。

 そんな恐ろしい事実に気が付いた私は、みるみる身体が冷えて、ふるえていた。

 でも大きな海月の中は温かく、ゆらゆらとした揺れが心地よくって……あたしはそのまま円いまるいお月様みたいな海月の中でいつしか眠りにおちていった。


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