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こ
こや
こやなぎ
こやなぎくん
小やなぎくんの
小柳君の云う通り、僕は『夢海石榴』を書いた後に『人魚の話』を書いた。
一心不乱に書きすぎて、何だか日常の記憶がぼんやりとしている。
紙の中の出来事だけが鮮明だ。
そして世間様に発表した。
僕の家には「人魚が居る」事は公となった。
我が家はご近所からだけでなく広く「人魚屋敷」と呼ばるようになり、僕は読者諸賢からも「脳先生」と呼ばれるようになった。
『月の底』の時以上に一風変わった愛読者からの手紙も増えた。
「作品を読んでくれ」という打診も増え、郵便受けは溢れんばかりである。気のいい作家であれば返事やお礼状の一つも書くところであろう。
しかし、僕は今、あらゆる事を書き切り、精魂尽き果てている。
体調を崩し、前にも増して臥せる事が多くなった。
最近は息をするだけで咳き込み、口から金魚のような赤い血がポロポロとこぼれる。
赤い血が白い寝具に赤々と広がる様は落ちた椿の絨毯のようでもある。
さすればここは桃源郷か。
花期の長い椿と比べて、私の命があとどれ程のものか興味深くもある。
こんな肺病持ちにも、気丈なタエさんは変わらず接してくれている。
ありがたいことだ。いい家政婦と巡り会ったものだ。
ご近所の御婦人方と云えば『人魚屋敷の脳先生』の頭の具合を心配してか、あるいは僕の病に恐れを成したのか、それとも会話が丸聞こえだった事に驚いたのか(拙作を読んでいればの話だが、読まずとも内容くらいは聞き及んでいるであろう)、タエさんにあまりちょっかいを出さなくなった。
それどころか我が家の前を通り過ぎる時に露骨に鼻や口を覆って足早に通り過ぎる。
タエさんが玄関を出て、左へ行こうが右へ行こうが静かなものである。
あれだけ熱心だった小柳君も来なくなって久しい。
書ききった物書きに用はないのかも知れぬ。
あるいはやはり病を怖れての事かも知れぬ。
「書ききった」と思われたのであれば光栄な事である。
今思えば日々の噂話や喧騒が懐かしい気もする。疎ましく思っていたはずなのに、最近では寂しく思う事もある。
そう云えばタエさんの表情からも明るさが減った。その点に関してはただただ申し訳ない。
しかしながら『人魚は居る』──それを書いた事により、我が妻の存在が、僕だけでなく世間にとっても現実となった。
それを何より嬉しく思う。
人魚は今も金魚鉢から顔を出し、ニコニコと僕にほほ笑みかけてくれている。
彼女が僕に手をのばす。
空気が揺れる。
血の香りに混ざって、花の香りがした。
(了)