「あたしの同胞に酷い事をしたようだから、そのお礼を返さないとね」
ざわりとした空気が辺りを満たしていく。
「それはどういう意味だろうか」
問えば女の笑みと闇が濃くなっていく。
「ねぇあなた。あたしのものにならない?」
以前も聞いた事のあるその言に、些かうんざりとした。
「そういう類の言葉は聞きたくないな。俺には愛する妻がいるんだから」
そもそも何故俺を誘うんだ、理解が出来ない。
「大丈夫、前の夫もそう言う事を言っていたけれど、すぐにあたしの虜になったわ。あなたも同じよ」
前の夫? 離別か死別でもしたか……いや、こんなのと結婚したら殺されるしかないだろう。
「断る」
そうして動こうとした時、足に白い糸が絡まっているのに気づいた。
すぐさま燃やして外そうとしたが、火が出ない。
「その糸ね、魔法を封じるらしいの。いつだったかの夫が持っていたのよ、魔法使い相手に使うらしいけれど効いて良かったわ」
もがけばもがくほど絡まってくる。
それは腕どころか足や、そして全身にも絡みついて来る。
「くっ!」
たかだか人が作ったものに翻弄されるとは。
「ソレイユ様!」
二人が駆け付けようとするも、子蜘蛛達が邪魔をしてくる。
「二人きりで話をしてるのよ、あなた達は少し黙っていてちょうだい」
女は二人に向かって黒い糸を吐き出した。
それはいとも容易くアテンの張った風の壁を壊し、二人を捕えようと動く。
「ひぃっ?!」
「この!」
二人は風を操り糸を切り刻むが数が多く、また以外にも素早い動きに翻弄される。
「止めろ!」
「止めてもいいけど、約束してくれる? あたしのもとに来てくれるって」
余裕の表情で笑う女に怒りが沸く。
「いいだろう、お前の言うとおりにしてやるよ」
「お前、ではなくアロウネよ。よろしくね、旦那様」
そう言って俺に近付いて来るが、アテンとニックへの追撃は止めない。
「おい、約束はどうした!」
「だってただの口約束じゃ信用できないじゃない。ねぇ証を頂戴」
アロウネの赤い目が俺を見下ろし、赤い唇が弧を描く。
(調子に乗るなよ)
怒りの目で睨めつけるも全く動じない。
「なぁアロウネ。お前が俺を欲しがる理由はなんだ? 俺が他の仲間を殺したから、嬲り殺しにしたいのか?」
「あら、それだけではないわ」
ころころと笑う妖艶の美女は、楽しそうな表情をしながらも目だけは狂気に満ちている。
「あたしは強い男が好き。だって強い子どもが生まれるもの。どうせ産むならより強い者の遺伝子を残したいと思うのは、当然のことではなくて?」
そんなもの、なのか?
「それに強い男は旨いのよ」
徒花のような笑みを浮かべるアロウネに、俺はにやりと笑う。
「確かにそうだな。俺も極上の女が好きだから、その気持ちはわかる。強く美しいものに惹かれるというのは」
俺とアロウネの距離がどんどん近づいていく。
それこそ唇と唇が触れそうな近さに。
「ソレイユ様?!」
ニックの叫び声が響くが、そんなのは無視して体に力を込める。
「俺にとっての極上の女は唯一人だよ」
「ぎゃっ!」
近付いてきたアロウネの顔に頭突きを食らわし、体に纏わりつく糸を力任せに引きちぎる。
無理をしたせいで、ところどころから血が出るが、それ以上に俺は怒りに満ちていた。
「俺が浮気をするような男に思えるか?」
妻がいると話したはずなのに、何故こんな女を選ぶと思うのか。
そんな事天と地がひっくり返ってもあり得ない。
本気で選ぶと思われたとしたら、甚だ不本意だ。
「残念だが俺はお前の物にはならない」
ちぎれた糸がはらはらと落ちていく。
「あなた、本当に強いわね……」
アロウネは顔を抑えているが、その手の隙間からはぼたぼたと血が溢れている。
いい気味だ。
「アテン、ニック。来い」
俺は二人を呼び寄せると二人を追って近づいてきた子蜘蛛を焼き殺す。
「最期に言い残すことはあるか?」
以前に殺した男に投げかけた言葉と同じものを投げつけて見るが、アロウネはただ笑うだけだ。
「ないわ、だって最期にならないもの」
アロウネはまだ諦めないようで、木に向かい糸を伸ばし逃げようとしたが……
「え?」
糸が絡まり飛ぼうとした瞬間、木が折れ支えを失った体が落ちてくる。
「木がなければ逃げられないでしょう。先程蜘蛛の攻撃を避ける時に切れ目を入れておいたんですよ」
突然の事にアロウネは一瞬動けなかった。
今度こそさよならだ。
炎を纏い、俺は落下するアロウネの体を抱きとめた。