「教主はここにはいない!」
くぐもった声が宣言する。
勇者だ。
勇者が教主と思われていた球体を両断した。
信者たちはあっけにとられている。
辻もそうだ。
集団の中から、器屋が動き出す。
光る球体の残骸に歩み寄る。
「器の一種ですね」
器屋は判断する。
「意識を一時的に入れて置ける器です」
教主の意識は一時的にここにあったのだ。
では教主はどこにいるのだろう。
ネネの思ったことを、器屋も思ったらしい。
「おそらくは、理の器を求めているのだと思うのです」
「ここにはないんだね」
「そういうことです」
ネネはうなずく。
教主は理の器を求めて、
意識の一部をここに残してどこかにいる。
意識の一部というのも、
信者や辻をだませる?操れる?
その程度のちかちか光るものを残していったのかもしれない。
ネネは何か思い当たる。
「鋏師さん」
「はい」
「レッドラムの線は、どこに続いていますか?」
「大多数が空に上がっています、それから」
「それから?」
「小さな一本が、ネネさんの胸に」
「一本?」
「はい、かすかですけどレッドラムの線です」
ネネは考える。
そして、通り魔を吸い込んだときに入ってきた、
小さな子どものものだろうと思い当たる。
「断ちますか?」
「いや、断ったら悪い気がする」
「でも、レッドラムの線ですよ」
「この程度では大丈夫だよ」
ネネは微笑んで見せる。
鋏師はうなずいた。
そしてネネはあたりを見渡す。
『ネネ!』
ネネの頭の中に声がする。
ドライブの声だ。
『空にものすごい気配です!』
「そら?」
ネネは空を見る。
伝染したようにみんなで空を見る。
朝凪の町の、朝焼けの空に、
大きな雲が浮かんでいる。
多分昭和島を取り囲んだ雲だと思う。
それにしてもまがまがしい。
雲は夢の傷跡を嘆きのノイズを内包している。
夢破れたものを、それをまた取り込んでいる感じがする。
教主と呼ばれたものかもしれない。
「お集まりの皆様方」
女の声が響く。
多分朝凪の町全体に。
「私は教主。皆様を導くものです」
教主は静かに名乗る。
「私に全てをささげれば、必ずよき未来に出会えるはずです」
空から声が降るように。
信者たちが感嘆の声を漏らしている。
「私に逆らっている方も、いずれわかることでしょう」
勇者も空を見ている。
透明の剣を握り締めている。
「私は本当の私を手に入れ、いずれは神になります」
信者がどよめいた。
「そのときは、朝凪の町が姿を変えるときです」
姿を変える。
どういうことだろうかとネネは思う。
焼き払うのだろうか。
何もなくしてしまうのだろうか。
「私の過去がある朝凪の町が、要らなくなるときなのです」
それは嫌だとネネは思った。
「私についてきてください。一緒に世界を変えましょう」
ネネには記憶に残っている微笑が再生される。
多分、彼女だ。
教主は空に、昭和島に向かっている。
凪がいつかはわからないが、
朝凪の町をなくそうとか言うのなら、
線を外れてでも、ドライブの突風に乗りたいネネは思った。
もう、力はかなり手にしている教主だ。
相手にして勝てるとは思わない。
戦力の差は歴然としている。
それでもネネは飛びたいと思った。
信者たちが感動で泣き出す。
教主様は神になられる。
われわれの教主様が神になられる。
われわれは正しかったのだ。
口々に教主をたたえている。
辻はほうけたまま、空を見ている。
球体の残骸が転がっている。
こんなものではなく、今度は本当に何かある。
教主が本当の自分を手に入れるといっていた、
多分、理の器。
教主は空を目指し、
レッドラムの線も空を目指している。
『ネネ』
「うん」
『線は空を目指しています』
ネネも確認する。
ネネの思いと同じように、線は空を目指している。
ネネはうなずいた。迷うことはない。