「いてて…」
ネネは痛みを感じる。
階段から転がったんだから、
きっとあちこち、あざになっているに違いない。
参ったなぁと思う。
思いながら起き上がる。
致命的な傷らしいものはないらしい。
身体が意識の中より重く感じるが、これはしょうがないだろう。
「いたい」
ネネはぼそっとつぶやく。
周りには誰もいない。
鋏師は?器屋は?
信者とか言うのは?
『大丈夫ですか』
鈴を転がすような声が、頭の中にする。
「ドライブ」
『はいなのです』
「みんなは?」
『信者との戦いの中で下に。反教団の人が突入したそうです』
「それで誰もいないんだ」
『銃声や叫び声が耳を澄ませば聞こえます』
「あたしは置いてけぼりなのかな」
『意図して下に行ったのでしょう』
「意図して?」
『動けないネネのところで戦っていたら、ネネはもっと傷つきます』
「うん、それはそうだ」
『ですから、できるだけ下に誘導したのかもしれません』
「それじゃ、援軍に」
『ネネがすべきことは違うのです』
ドライブはきっぱり言う。
『ネネはこの上に行くべきなのです』
ネネは自分の線を見る。
さっき通り魔を思いっきり吸い込んでしまった、仰々しい扉。
ネネの線はそこに続いている。
「器屋や鋏師も呼ぶべきかな」
『呼ぶ余裕がありますか?』
「あたしにはないな」
『でしょう』
「行くべきかな」
『そうなのです』
ネネは身を起こした。立ち上がる。
埃を払って、渡り靴を鳴らす。
かんかんかん!
危険を知らせている。
ネネは深呼吸して、階段を駆け上がり始めた。
ノイズが聞こえる。視界が悪くなる。
身体のあざらしいものが少し痛む。
傷らしい傷はないようだが、痛い。
かんかんと音を立てて走る。
下から、銃声が近づいてくる。
たたたんたたん。
「教主様のもとへ行かすなぁ!」
ネネは構わず走る。
ノイズをうるさいものと払いのける。
ネネは仰々しい扉を開いた。
屋上がある。
風の音がする。
ネネは目の前にあるものを見た。
光に包まれた球体。
そばに立つ女性。
女性はネネを見た。
ネネも女性を見た。
「辻…」
女性はクラスメイトの辻だった。
家族も代価にした辻が、どうしてここに。
ネネに答えは見えているような気がする。
光る球体が教主なのだと。
ばたばたと後ろで音がする。
信者たちが追いついてきたのかもしれない。
「友井さん!」
鋏師の声もする。
ネネは球体を見たまま動けない。
更なるものを欲しているように感じる。
代価を、大切なものを、
奪って食いたいと、そんな風に、ネネは感じる。
光の球体は欲望だ。
「教主様は求められています」
辻がうつろに言葉を吐く。
「更なる代価を、大きな代価を」
光の球体がちかちかする。
辻はうなずく。
「あなた方は何をお求めですか?」
辻は微笑む。空っぽの傀儡の笑い。
「何をしたいの?」
ネネは逆に問いかける。
「教主様が求めているだけです」
「じゃあ、辻は何のためにそこにいる」
「おかしなことを言われますね」
辻は微笑む。
「教主様の導きのもとに、私はいるのです」
光る球体がちかちかとする。
ネネはその光が偽物に見える気がする。
適当にちかちかしている光。
ネネは考える。
信者たちも鋏師も器屋もいる混乱の中、
どうにか目を覚ますような術はないか。
「どけぇい!」
くぐもった大声が響く。
ネネはその声を知っている。
ネネのそばを疾風のように鎧が駆け抜けていく。
大きな透明の剣を持った、勇者が駆け抜けて、
ネネのそばも辻も通り抜けて、
勇者は光の球体を目指す。
瞬間、時間が止まる感じがした。
勇者は球体を一刀両断にする。
がしゃあんと割れる音がする。
中には何もなかった。
ガラスのようなものの割れた中には、
教主らしいものは何もなかった。