彼女の幼少期は、悲惨なものだ。見向きもされない、話しかけられることもない。幼い頃から、彼女は石くれのような価値しかなく、預けられた保育園でタイルの数を数えるのが、彼女の暇つぶしの一つだった。
タイルを眺めていると、アリが歩いていくのが見える。彼女はアリが羨ましかった。やることがあることが、この今から始まるであろう長い長い人生の暇つぶしを持つアリが。
見かねた保母さんが、クローバーの話を教えてくれた。四葉のクローバーを見つければ、願いが叶うのだと。
願いなどないくせに、その日から彼女の暇つぶしはクローバー探しになった。ただ、そのクローバーが見つかれば、彼女の育ての親である祖母にプレゼントし、喜ばせたいと思っていた。
彼女にはおおよそ、願いなどなかった。
将来の夢はなんだと聞かれれば、暇つぶしに口ずさむ歌を思い出し、歌手などといい、適当にはぐらかしていた。
それほどに彼女に自我という自我はなかったように思う。ただ育てられた祖母の教育の賜物なのだろう、善性が彼女には芽生えていた。
自身より他者の喜びを優先するような、順位が生まれていた。自分には喜びの感情が希薄なことを当時誰よりも感じていた。
彼女には、自身の喜びがなかったけれど、他者の感情を強く感じ取ることができるほどに共感性が強かった。
それこそ、人の恥ずかしい失敗を見て顔を赤面して、悶えるほどに。そしてその後の人生にその共感性が、空回り続けることを。彼女は何も知らなかった。
四葉のクローバーの話に戻そう。彼女は一度だけ四葉のクローバーを見つけたことがある。それはもう二度と望まないような方法で。
彼女の友人が話すには、クローバーに衝撃を与えれば、四葉のクローバーが生えてくる確率が上がるのだと、友人はクローバーを踏みにじった。
その時、何を感じたのか友人を軽蔑した。ただの草に同情したのだ。願いのために踏みつけられる草に、何を思ったかひどい憐憫を感じた。
彼女の目から人がどう映っていただろう。優しい祖母と陽だまりのような庭で、草木を植えて整え、収穫を待ち、祖母と寄り添って暮らしたひと時の中で、いつの間にか人よりも草が、そばに寄り添ってくれる何かだった。
「四葉のクローバーなんかいらない」
その時初めて願いを放棄した。そんなことをしてまで、必要としない。けれど、友人は面白くないような顔をして「大した願いなんて持ってないんだね」と吐き捨てた。
彼女は先ほど言った通り、愛されないで育った。
母は彼女に興味などなく、まるで空気のように彼女を扱った。彼女はおそらく死ぬことを願われていたのだろう。車の走る道路に突き飛ばされ、ひかれかけたのを指をさし無様だと笑われる日常を送っていた。
プールに連れていかれれば、突き飛ばされて溺れているところを腹を抱えて笑われるような日常だった。けれど、彼女は悲観していなかった。それが普通ではないことを、理解していなかった。いいや、恐らくわかってはいても、他の扱いをされたことがないせいで、悲しめなかったのだ。
命の危険にさらされても、困ったように笑うのが癖になっていたのだ。
その時、泣こうものなら「空気が読めない」と総叩きにされる。それを知っていたから、普通が何かを見失っていた。
彼女は知らぬ間に、人からサンドバックにされるように立ち回るようになっていた。その方が扱い方がわかるから。そういうふうにしか生きられないようになっていた。
だから友人たちの間でも、彼女はサンドバックだった。プロレス技をかけられても、へらへらと笑うだけ。
跡が残るほどに爪を立てられても、困ったように笑うだけ。彼女の祖母だけが「嫌なことは嫌だと言わないといけない」そう窘めた。
ただそう言ってくれる祖母がいるだけで、彼女は満たされていた。
彼女の小さな小さな心は、大きな幸せよりも小さく柔らかな日差しのような、そんな祖母の優しだけを欲しがっていた。
彼女の目には人は残酷な存在に成り果て、見下しにも似た感情しか向けられなくなっていたのだ。