翌日。いつものように朝食を食べた後、旦那様は執務室で仕事をこなし、私は傍の簡易机でプレゼン資料とレシピ作りに勤しんでいる。プレゼン資料は昨日のうちにある程度できているので、あとは推敲するぐらいだ。
レシピ作りは結構楽しくて夢が広がるばかりで、オープン用のスイーツを厳選するのが難しい。贅沢な悩みだけれど。
ふと旦那様の仕事姿を見たら超スピードで書類を確認、サインを繰り返していた。しかもしっかりと赤ペンで問題事項は丸を付けつつ、コメントを残している。有能すぎません?
白銀の長い髪が微かに揺らぎ、眼鏡をかけた姿は貴重かつ美しい。姿勢も良いのよね!
うっとりしていると、私の視線に気付いたのか書類から目を逸らして目が合った。口元がもしかしたら数ミリほど吊り上がったかもしれないが、実際は無表情だ。もっとも尻尾がそれを補うぐらいにパタパタと動いているので、間違いなく上機嫌だわ。
「フランカ、なにか気になることでも?」
「仕事をしている旦那様が格好いいなと見惚れていただけですわ」
「そうか──私にみ──っ!?」
相当嬉しかったのか、ブンブンブンと激しく尻尾が揺れて床を叩いた。痛くないのかしら?
今日もロータスから付けて貰ったブレスレットを着けているけれど、心の声は聞こえてこない。あれは一時的なものだったのかしら?
あの時の私たちには必要だったものだけれど、今は心の声が聞こえなくても意思疎通ができている。落ち着いたら、どういうことだったのかロータスに聞いてみましょう。
ほんわかしたことがありつつ、お昼を一緒にとって午後は中庭でのんびり過ごす。私はレシピ本で、旦那様は旅行雑誌を見ている。付箋がたくさん貼っていてびっくりした。私と一緒に行きたいところがたくさんあると言ってくれて、また胸がキュンキュンする。
どんどん旦那様の素敵な所を見つけて、好きになっていくわ。
「オーロラが見られる北の魔法都市もいいし、一年に一度しか咲かない桃色の大樹を見に行くのも面白くないか?」
「まあ、素敵な町並み。あ、旦那様。ここの場所だと中々手に入らない紅茶があるみたいですよ。こっちは桃色の大樹の花びらを使ったスイーツが人気で、夫婦や恋人が食べると永遠の愛を得られるとか言い伝えがあるんです」
「絶対にいこう」
「ふふっ、はい」
次々に約束ができて、お互いの興味や関心のあるものが分かっていく。旦那様は緻密なガラス細工が結構好きで、美術館や雑貨店を巡るのが好きらしい。それは私も知らなかったので、「じゃあ次の誕生日は旦那様の好きな物を贈りますね」と言ったら、嬉し泣きしてしまった。それにつられて私もちょっとだけ涙ぐんだのは秘密だ。
庭でのお喋りはとても楽しくて、また昼下がりにお茶をしましょうと旦那様と『次』の約束を取り付ける。そうやって積み重ねていこう。
食休みも終わってから、一緒に手を繋いで厨房に向かった。旦那様が厨房に入るのは初めてだったようで、使用人や料理人たちは涙ぐんでいた。思えば最初から屋敷の人たちは優しかったわ。使用人たちはほとんど私たちより年配で、親子ほどの歳が離れていて、旦那様のことを大事にしているのが伝わってくる。
私は動きやすい侍女服に似た恰好に着替えて、自前のエプロンを着ける。その姿に旦那様は目を細めた。
「その姿も可愛らしい。ギュッと抱きしめて離したくないぐらいに良い」
「ありがとうございます。でも、スイーツを作るのでハグは後で、ですわ」
「う……わかった」
コクンと素直に頷く旦那様が可愛いいし、腕まくりをする姿も素敵だわ。今回は旦那様も一緒に作るので、簡単なチョコブラウニーだ。
下準備には旦那様に手伝って貰って、薄力粉にココア、ベーキングパウダーを合わせてふるってもらった。その間に私は溶かしたチョコレートとバターを混ぜ混ぜ。旦那様にはボウルに卵、砂糖、牛乳を投下したものを混ぜて貰った。ここまで終わったら、旦那様に手伝って貰ってちょっとずつ私のボウルに卵をといたものを入れていく。それから艶が出るまで更に混ぜ込んで、途中でラムエッセンスを二滴たらした。
「あとは旦那様が合わせてふるった粉を加えてください」
「ああ」
「あとは混ぜるだけです」
「こんなに工程を踏むのだな」
「ふふっ、いつも私たちが食べている料理はもっと複雑で下準備やら色々してくださっているのですよ」
「そうなのか」
「はい」
貴族が厨房に入ることなど殆ど無い。知らないことを旦那様は興味深そうにしていて、表情は硬いままだけれど、その目はとても優しいものだった。それからオーブンで二十分ほど焼いたら完成となる。
生クリームを用意して、お茶の時間に出して貰うことにした。たくさん作ったので、半分は使用人たちに振る舞うことに。
やっぱり、使用人たち──顔見知りには私が作ったものでも不服そうな顔はしないのね。「ふむふむ」とその様子を見ながら、これなら妥協点を見いだせそうな気がした。
定番の旦那様の膝の上で、できあがって少し冷やしたチョコブラウニーを食べさせる。いつになく嬉しそうで、味わって咀嚼していた。
「んん……。妻の手作り。至高の一品だといっても良い」
「ありがとうございます。でも旦那様との合作ですよ」
「一緒の、共同作業!」
「そうですわね」
こんなに喜んでくださるなら、もっと前から自分で届ければよかったわ。
「妻がスイーツを作って私に食べさせてくれるなんて……夢のようだ」
「ふふっ。食べさせるのは最近ですけれど、これまでも時間がある時に旦那様の職場に送っていたでしょう」
「は?」
「え?」
瞳孔を開いている上に、旦那様の低い声によってその場が一瞬で凍り付いた。傍に控えていた使用人たちも、背筋に凍るような寒気を感じたようだった。
「……フランカ、もしかして以前から王城にスイーツを届けてくれていたのか?」
「はい。日持ちするクッキーやマフィン、フィナンシェとかですが……」
私もハッとなって嫌な予感がした。呪いの件で王城がピリピリしていた頃でもあったのだろう。
「月にどのくらいで、いつから?」
「え、ええっと……。一年ぐらい前から、だいたい月に一度の頻度でしたが……」
「スイーツはロータスが届けたのか?」
「ええ」
「ロータス」
「はい。私が責任を持って届けましたが、旦那様が不在と言われたため財務課のカストという部下の方にお渡ししました」
「カスト……。カスト・フォルジュか。ああ、なるほど」
旦那様の顔が険しくなっていく。部屋の空気が一気に氷点下になりそうだったので、旦那様のギュッと抱きついた。
「旦那様、殺気を抑えてください」
「あ。すまない」
「イライラした時は甘い物が一番なのですよ」
「もぐっ…………ん、幸せの味がする」
「じゃあ、私にもお裾分けしてください」
そう言ったら旦那様から唇にキスをされた。違う、私はブラウニーをたべさせてほしかったのだ。そう思ったのだけれど、旦那様とのキスはとても甘くて、たしかに幸せの味がした。だから私に魔の手が忍び寄っているなんてことに、まったく気付いていなかったのだ。