ともかく私は、自分に焦らないことを命じた。ゆきずりでないターゲット。私のあらん限りの憎悪を当てられる対象がいるのだ。私は、復讐のために生きると決めたのだから。
その日は4限の講義が終わって、私は帰路に就いた。なぜだか、大学構内に残る気がしなかった。メトロの階段を降り、エキナカの物産展が催されているのをわき目で見たとき、私は目を瞠った。その売り子をしている女の子は、あの修道院にいた私の一つ下の子だ。
逡巡する。声をかけるべきか否か。
向うは全く気がついた素振りもない。それはそうだろう。行きがかりの人々が、珍しい地方の餡菓子や漬物にたかっている。こういう仕事は短期の派遣だろう。彼女は、お仕着せの制服を着てエプロンをかけ、忙しそうに立ち働いている。頭には三角巾をつけて。
私は目を逸らしてその場を立ち去った。
決めたでしょう。
過去の私を知っている人間とはかかわりをもたないと。芙美子を除いて。
その芙美子はあの美術展のとき以来、連絡を寄こしてこない。私から連絡をする気にもなれず、3日が経っていた。うまくいっていない自覚がある分、私は気にはなったが、こちらからはアクションを起こさない。芙美子は何を考えているのか分からない。今は相手の出方を見ることに決めていた。
帰宅すると私はあの日美術展で購入した画集を開いた。ブランド物の衣類やバッグやアクセサリーを除けば、この部屋で唯一華やいだもの。私自身が気に入ったあのオフィーリアのページを開く。ウォーターハウスという画家が美術史においてどういう位置を占めるのか、その生涯や人間性はいかなるものだったのか、そういうことにはまるで関心はなかった。けれど、この絵は気に入った。画集の絵は縮小印刷なので印象が違って見えてしまう。それでも、こちらに目を向けるオフィーリアは魅力的だった。本物の絵画では、私は「確かに狂死している」と確信したのだが、画集のそれはまるで生きてこちらをねめつけているようにも見える。どちらもよい。いずれにしても私はこの絵が気に入ったのだ。
その時スマホが鳴った。テーブルの上に投げ出してあったそれを手に取ると、赤根翔太からだった。私はがばりと体を起こして背を丸めながら画面を見る。着信の表示の伸縮するさまをしばらく見たのち、通話ボタンをタップした。
「赤根さん? どうしたの」
明るい声で答える。
「日野さん、今電話いい? 急で悪いんだけど、明日3限の後空いてる? 会いたいんだ」
「あ、ちょうどよかったわ。私も会いたかったの。でも、何か用事かしら」
「いや、用事っていう訳ではないんだけど、話がしたくなって」
翔太の声は、すこし緊張しているようだった。いい方向に来ているのかもしれない。翔太は以前より私に会いたいという気持ちを昂じさせているのだ。少しずつ、私に近づいてきている。電話を切った後、私はほっとして息を吐いた。もし本当に、赤根翔太が私に女性としても関心を持たないままだとしたら、私はやり方を変更しなければならない。それは少し癪だった。
さっき見た物産展の売り子をしていた後輩を思い起こす。施設出で、とくにこれといった才能のない子は、まさに日々を食いつなぐような仕事をしなければならない。今はスポット派遣も制約が増えている中で、何とか見つけた仕事なのだろう。あんな場所で一日立ち通しで漬物や飴を売る。たかっていく人たちは彼女の境遇などには無関心だ。ただの売り子、人として見ていないかもしれない。
それは自分にとっては我がことのように悔しかった。
彼女も私の一つ下の後輩だから、私と同様、赤根眞理子には苦しめられてきた。私ほどではなかったかもしれないけれど。
彼女は要領は良いほうではなく、よく食事の皿やカップを落としては眞理子に罵られていた。
自分は大金持ちのくせに、粗末なカップでも破損されると異様に怒る。赤根眞理子はそういう卑しい女だった。壊したのは自分、というところで反論できないのをいいことに、罵声を浴びせる。私たちの食堂では、食事のときでさえ寛ぐ雰囲気はなかった。皆厄介ごとを避けたいので、黙々と自分の食事をして、食器をきれいに洗ってそそくさと食堂を出ていく。
私は彼女とさほど話したことさえなかったが、いつも大人しく従順で、けれどうまく立ち回るのも苦手な彼女を嫌いではなかった。彼女は正直だったのだ。そして彼女は私とは違って、両親のネグレクトを受け、赤根眞理子の施設に入居してきた子だった。ある意味私には初めからなくてすんでいた、「家族の地獄」を身をもって体験している。
施設の子たちはさまざまな背景から入居していた。私のような孤児もいたが、むしろ少数派で、その多くはネグレクト、性的虐待、暴力、などの何らかの親からの虐待を受けた子どもたちだ。
決して笑わない子もいた。外からのイメージはどうか知らないが、内部では赤根眞理子の専制支配もあり、子供たちは子供である権利を奪われる。そのくせ、大人として生きていくこともできない。それが、あの施設に入る子供たちを待ち受ける第二の地獄なのだった。