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第31話

 芙美子が元の住所にいないこと、彼女の母親は施設にいるということは分かった。おそらくもう芙美子のことも認識できないくらいに認知症は進んでいる。嘗めた辛酸が彼女の頭脳を早期に破壊したのかもしれない。私は帰路につく。帰りの電車の窓から、今度は異様に輝く青いスカイツリーの胴体が見えた。


 その夜は敢えて芙美子にも電話はせず、早めに床に入る。

 芙美子の狙いが分からない。同時に、赤根翔太の誘いをどう断るか。

 それを考えるべきなのに、芙美子のおばから聞いた子供の頃の芙美子に頭がいってしまう。

 いたずらをされていない工作や絵画などを、母親に見せる芙美子。それを見る母親。会ったこともないのに、その情景が思い浮かぶ。母親はそれらを大事に保管さえしていた。

 私が教室で知っていた、地味で冴えなくて、いつも陰湿なイジメにあっていた芙美子。

 やり切れない。

 部屋の天井の丸いライトを凝視しつつ、意識はまた現在の芙美子へと飛ぶ。

 私が想像した「家族のいる地獄」とは違った母子家庭だったようだ。あの芙美子が母親に甘えたりしていたのだろうか。

 だとしたら。

 背筋が冷える。私はまだ警戒心が弱かったのではないか。芙美子の中には、筋道たった計画があるのかもしれない。芙美子は私以上に世の中を、いや自分を苦しめた者たちを憎んでいるのかもしれない。そう思い当たる。彼女はちゃんと標的を見ている。そして赤根翔太を堕とすために私の美貌が役に立つと考えたから私に近づいた? 

「好きだから」

 芙美子が私に投げかけた言葉がよみがえる。芙美子はどういう思いを内に秘めてあの言葉を言ったのだろう。

 赤根翔太の顔を思い浮かべる。赤根眞理子にそっくりな造作だが、私は彼を憎み切れていない。

 真剣に私を好きだと言ったその言葉に一瞬心が揺らいだ。私の美貌を、そして身体を求める男たちには一片の同情もない私なのに、翔太はそれを巧妙に回避している。

 翌日、私は大学図書館にいた。福山亜美や鈴木優香や井上真理以らの新しい「お友だち」の誘いは丁重にかわして。

 図書館は、芙美子を招き入れての密談に最適であるが、同時にこの大学の学生ではない芙美子は、私の助力がなければ入ることが出来ない場所。

 あまりこの件に関係がないと思われることまで念入りに調べた。赤根眞理子の運営する修道院と児童養護施設の記事は、古い新聞に出ていたと分かった。さっそくその記事を探す。本当に古い記事、私が入所してすぐの頃の記事。18年前のものだ。それから、最近の記事もあった。赤根翔太が言っていた、子供たちのためのイベントの紹介記事らしい。

 最初の古い記事では、赤根眞理子はまだかなり若く、いかにも優し気な笑顔を必死でつくっている。正体を知っている私は苦笑する。おそらく勘の鋭い人なら感じとるであろう。

 次の記事は、大学生、つまり今の赤根翔太のインタビューを交えた記事だった。

 記事は記者によって加工されているものだ。いかにもこのような施設の関係者が言いそうな言葉が連ねられているだけ。写真は子供たちがこちらを向いて手を振っているという、おぞましい写真。赤根翔太の姿を前景に、バックに配された子供たちは満面の笑顔。いたずら盛りの無邪気な少年少女たちのようだ。でも私には分かる。彼らは、この施設で従順であるべきことを、痛みをともなって訓練される。大人が思いもよらないような演技をすることも可能だ。

 それに応じなかった私はたびたび折檻を受けたけれど、大概の子はすでに親からの何らかの虐待を経験済みだ。「よい子」でいなければ自分がどう扱われるのか知っている。私は目頭が熱くなるのを抑えて、その記事を何度も何度も読んだ。

 資料室を出て、机に向かい、努めて自分の気を紛らわせながら古い記事と新しい記事を組み合わせる。

 それにしても、芙美子のことで初めて私も意識に上ったが、レイプ犯の父親、眞理子の夫・久信とはどういう人物なのか。考えてみると分からないことばかりだ。私とて、離れにあった赤根家の家のことは知らない。眞理子の夫も、遠くから見たことがあるだけだった。私は眞理子を憎んでいるが、芙美子は父親を憎んでいる。





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