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十年後

「酷いもんだねえ」


 帝国と皇国の国境地帯、ヤガ地方のスラムで、汚い身なりの男が焚火にかじかんだ手を当てながら呟いた。


「上が変わっても俺らの暮らしは何も変わりゃしない。全く、あんなものを飛ばすくらいなら……」


 暗い空を、赫灼騎兵が通り過ぎていく。細身の灰色のシルエットに、大きめのスラスタユニットを背負ったそれは、赫天だ。


「うちのガキがパイロットになれりゃいいんだが」


 別の男が言った。


「無理さ。どんどんパイロットの採用基準は厳しくなってるって聞くぜ」


 終戦に端を発する軍縮により、皇国はパイロットの採用定員を減らした。


「一発逆転もねえ。誰か、変えてくれないもんかねえ……」





「こちら黒鷲一番。所属不明機を視認した」


 黒い右肩に一〇八と刻まれた赫天が、荒れる海の上でブルガザルノを射程に捉えた。秋空の下、山の木々も葉を紅くする頃の出来事だ。


「隊長、オレがやりますよ」


 黒鷲二番が軽快な口調で言う。


「今回はパイロットを確保する必要がある。四肢を捥いで拘束しろ」


 感情のない淡々とした指示を受け、一番は背部魔力砲の照準を行う。思惟に忠実に機体は動き、両肩に狙いを定めた。


「二番は脚だ。その後、シャフトを斬る」


 隊長は温和な声音で、冷たい命令を下す。


「三十秒後に斉射する」


 どこからはぐれたのかわからない敵機は、右手に持った魔力砲を乱射する。それが当たることもなく、タイミングが訪れた。


「今!」


 二機の赫天が、一斉に背部の砲のトリガーを引いた。両手両脚を奪われて抵抗できなくなった機体に接近し、隊長が胸と腰を繋ぐシャフトを切断した。荒れ狂う風の中、落下を始めたコックピットブロックを二番機が受け止める。


「こちら黒鷲一番。対象を確保。これより帰還する」


 なんてことのない、領空侵犯の邀撃。簡単だ。これで手当が出るなら美味しいものだ。だが、そうはいかなかった。


 一番機の魔力探知機に、急速に接近する機影。


「こちら司令部。一番、次の敵だ」

「こちらでも捕捉。迎撃に移ります。二番機は帰還せよ」


 反応は五つ。大きなものが一つと、小さなものが四つ。


(ムールル?)


 前戦争で苦しめられた遠隔攻撃端末。製造にはかなりの技術が必要とされるはずだ。


 上空に見えるのは、二刀流の青い機体。隊長の脳裏を、一つの名前が駆け抜ける。マイ・オッフ。


(あり得ない。俺が殺したんだ)


 各部駆動系に異常なし。出力も安定。接続器は絶えず魔力を供給している。ならば、勝てる。胸部から放たれた収束魔力砲を避け、最大出力へ。グッ、と体を押し付けるGに耐えながら、相手を視界に収め続ける。ムールルの張る弾幕も、前戦争の英雄を止めるには至らない。


 だが、相手は逃げるばかりだ。斬り結ぼうとしない。腕部魔力砲の牽制が意味を為しているのかは置いておいて、隊長は予想以上に速い敵機に舌打ちした。


 ふと、相手が足を止める。背中のボックススラスタユニットに、彼はハダナを想起させられた。


「私はオ・ジガ。貴様を殺す者だ」


 幾重にも加工された、人間らしくない声が国際救難チャンネルから聞こえてくる。


「貴様は、自分が生み出した憎悪に向き合う覚悟があるか」


 答えない。


「……そうやって黙殺してきた憎悪が、この世界を歪ませているのだ。何故それがわからん!」


 少なくともマイ本人でないことを確認した彼は、軽く安堵した。亡霊やゾンビの類ではない。肉と魂を持った人間だ。


「何者だ」


 静かに、そして感情を殺して彼は問い返す。


「オ・ジガと言ったろう」


 帝国語で十五を意味する言葉。そこに何が含有されているのか、HMDと酸素マスクで覆われた頭で考える。トリガに指を乗せ、両肩に狙いを定める。


「いずれ知る。また会おう」


 未確認機は急速に高度を上げる。


「追いますか」

「いや、相手の戦力がわからない。お前一人では無理だ。帰投しろ」

「了解」


 赫天が碧海島の格納庫に入り、そのコックピットを開く。どこか憂げな瞳をした青年が現れた。深緑の飛行服と、左手に引っ掛けてある黒いヘルメット。右腿のホルスタには拳銃が入っている。大原芽吹、二十八歳。


 身体強化をかけた体で飛び降り、着地。駆け寄ってきた整備班長の田畑菱形と軽く打ち合わせをしてから、パイロットルームに入った。


「あ、お疲れさまっす!」


 扉の開く音で雑談をやめた長髪の男が、慌てて敬礼した。田畑隼人はやと。二番機のパイロットだ。


「ご苦労様。尋問は始まった?」

「俺はよくわかんないんすけど、引き渡しは確かにしました」

「じゃ、司令に確認してくるよ。機体の調子は? スラスタユニット交換したばっかりだろ」

「問題ないっす」


 芽吹は柔らかに微笑んで、緊張した面持ちの新米女パイロットに視線をやる。顔を真っ赤にしていた。赫天が配備されている白狼隊の新入りらしい、という程度の認識を彼は持っていた。


「来る?」


 部屋を出ようとした時、隼人が背後にいるので彼はそう尋ねた。頷きが返ってきた。


「そろそろ新型が出るって噂、聞いてます?」

「噂は噂だよ。当てにしない方がいい」


 エレベータを待っている間の会話だ。


「何を加えたら、強くなるんすかねえ」

「機動力があればなんとかなるし、赫天の改良型で大丈夫だと、俺は思う」

「そりゃ隊長くらい操縦上手けりゃそうですけど……オレは一発で小隊全滅させられるようなのが欲しいっす。ムールルとか」

「ムールル、ねえ」


 皇国はムールル開発よりも、赫灼騎兵そのものの生産性を上げることで部隊としての戦闘能力を向上させることを択んだ──というのが表向きの理由。実際のところは、軍縮傾向にある現在、新兵器の開発に割く予算などないのだ。


「そうだね、火力を上げるなら、僕は胸部魔力砲が欲しい。ラウーダとか、ハダナみたいな。収束と拡散が撃てる奴。中々便利だと思うんだよね」

「あー。いいっすね。オレも上申してみようかな」

「隼人なら通るよ」

「隊長だって我儘言える立場じゃないっすか」


 来た。乗る。


「我儘って言っても、基礎設計を変えたりなんてできないよ。ちょっと優先して回してもらえるくらいだ」

「それが凄いんすよ。国が認めるエースパイロットってことなんすから」


 持ち上げられるのも慣れた芽吹は、特に返答もしなかった。隼人は二十四。六年のキャリアの中で経験した実戦は、確かな自信を与えていた。


 質素だが綺麗な廊下を歩き、黒檀の扉の前に立つ。ノックして、


「大原です」

「田畑もいます」


 と言う。


「入れ」


 中で待っていたのは、この十年で急激に老けた東果冬弥。空から離れ、机に縛り付けられるようになった途端歳を取った上司に、芽吹は憐れみさえ抱く。


「なぜ隼人がいるかは知らないが……まあ、いい。尋問のことか?」

「ええ。できることなら同席したいと思いまして」

「いいだろう」


 そう言って冬弥は机の引き出しから二枚の紙を取り出してサインした。背後の窓から差し込む陽光。


「ああ、そうだ」


 その紙は尋問室への入室許可証だ。情報局の管轄する場所ヘは、芽吹少佐と雖も無許可では立ち入れない。


「例の青い新型、解析に回した。事後承諾にはなるが」

「構いませんよ。俺としても早く正体を掴みたいですし」


 紙片を受け取る二人。冬弥は眉間を押して背凭れに体を預けた。


「……芽吹、この戦いに終わりがあると思うか」


 終戦から十年。各地で起きるレジスタンスの活動に、軍は振り回されていた。時折赫灼騎兵をどこからか持ち出して、酷い時は街に自爆を仕掛けてくる。


「多分、こういう戦いはずっと続きます。それでも、戦うことをやめれば、何の罪もない人たちが傷つく。それなら……俺は、戦場に立ちます」


 真っ直ぐな答えを受けた冬弥はそれに満足して、彼らに背を向けた。


「尋問はもう始まっている。急げよ」


 その尋問は、すぐに何かを変えたわけではない。だが、既に歯車は動き出していた。復讐を越えた、大いなる歯車が。

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