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嵐の前

「諸君、これを見てくれ」


 大会議室、段々に机と椅子が並んだ部屋で、奥のディスプレイにあの青い機体が映し出される。それにポインタを飛ばす冬弥の脚の動きは、ぎこちないものだった。


「先日、黒鷲隊が遭遇した機体だ。情報部は、ムールルや背部ボックススラスタユニットの形状から、前戦争で確認された特別機『ハダナ』のコピー、乃至、改良型と判断した。性能の詳細は不明だ」


 芽吹の隣、茶色い髪の先を指で弄る女がいる。鈴木玲奈れいな


「怖いですねぇ」


 間延びした口調で、彼を上目遣いで見る。端正、というよりかは可愛げのある顔だったが、意中の相手は見向きもしない。彼女が机の上で組んである指にそっと指を近づければ、僅かに離れてしまう。


「尋問中の者も、口を割らない。全貌を知るには時間がかかるだろう」


 芽吹はマイ・オッフの亡霊について、ひたすら記憶をループ再生していた。マイ本人でないことはわかっていても、なにゆえ積極的に攻撃を仕掛けてこなかったのか、という点が気になって仕方がない。性能テストなのか、という疑いが、彼の中で一番大きな可能性だった。


「だが、一つ確定していることがある。ハダナと同等以上の性能を有しているならば、赫天でなければ対処できないということだ。黒鷲隊、白狼隊! 起立!」


 呼ばれた十二人は素早く立ち上がる。


「お前たちが要だ。託したぞ」


 敬礼に、返礼。


「座ってくれ」


 と言ったその瞬間、画面にノイズが走る。五秒ほど後、血涙が流れるような仮面をつけた、赤髪の人間の顔が表示された。


「私はオ・ジガ」


 芽吹は名乗りを受けて、画面に視線を釘づけにされた。何重にも加工された、人間のそれとは思えない声だ。


「皇国に対し、ヤガ地方返還を求める政治結社『ザハッドナ』の実行隊長である」


 パイロットたちのざわめく声が会議室を満たす。ある者は怒り、ある者は不安を露わにする。だが、赫天部隊は、冷静に次の言葉を待っていた。


「我々は、多数の赫灼騎兵を保有している。見よ! 最新鋭の機体、ハミンナである!」


 シーンは切り替わり、先日の青い機体が現れた。恐らく実写ではないが、次々に九一式を破壊する映像だ。その機動性によって翼に縛られた旧型機を寄せ付けず、同時に、高い運動性によって容易に死角に回り込む。圧倒的だ、と芽吹は思ってしまった。


「我々は皇国の民に危害を加えるつもりはない。しかし! 腐った葡萄のような天子が、その聖断を以て抵抗をするというのなら、罪なき子供たちが戦火に呑まれ焼き尽くされることであろう」


 卑怯だな、と彼は感じた。外道が外道らしいことを正当化するために子供を盾にする。それは、彼にとって最も唾棄すべきことのように思えた。


「この力を以て、我々は皇国を叩く! 徹底的にだ! 帝国臣民よ、諸君の──」


 そこで映像は強制的に切り替えられた。


「……一旦解散とする。黒鷲隊と白狼隊は残ってくれ」


 銘々話しながら出ていくパイロットたち。指名された十二人は、大凡言いたいことを察していた。


「勝てるか」


 単刀直入すぎる質問に、芽吹は失笑するところだった。


「赫天部隊の練度は高いですから、十分やれますよ」


 彼は確信を持って言う。前戦争で多くの死傷者が出て、それからの月日の間に退役者や出世して前線を離れた者もいるが、実戦経験はそれなりにある者が多い。


「ただ……ハミンナ、でしたか。あれか、それに準ずるものを量産化していた場合はわかりません。赫天と雖も十年前の機体。隠し玉を用意しているかもしれませんしね」


 冬弥は腕を組んで考え込む。


「……わかった。白狼隊はどうだ」


 一通りの会話を終え、解放された芽吹の傍に玲奈が近寄る。


「たいちょお、ご飯行きませんかぁ?」

「いいね。隼人!」


 呼ばれた隼人は、細身で筋肉質な隊員と話すのをやめて振り返る。


「飯!」

「いいっすね。斗真も来いよ!」


 既に太陽は沈んでいる。夕食時だ。


「じゃ、いつもの所で。俺は家族に連絡してくるよ。先に行っといて」


 芽吹は魔通室に向かう。要は家庭用の通信機だ。有線式魔導通信ケーブルが繋がっている所へ、ほぼラグなく通話が行える。


「隊長ってすげーよな。強い上に美人の嫁さんいるんだぜ」


 ゲートを抜けて、近所のカレー屋に向かう道中、隼人は頭の後ろで手を組んで言った。


「強いから、じゃないですか?」


 そう言ったのは、右左みぎひだり斗真とうまだ。黒鷲五番の、十八歳。


「確かにそうかもな。オレも強くなりゃいい嫁さん見つかるんかなあ」

「頑張ってくださいねぇ」


 笑いかける玲奈だが、内心穏やかではない。


(ケッ……隊長と二人になるチャンスだったっていうのに……もっとタイミングを見るべきだった)


 そういう黒い心を隠して、ニコニコとしている。


「あーあ、とっととカノジョ作りてえよ。優良物件だと思わねえか? パイロットで、しかも大原芽吹のバディだぜ? 絶対死なねえ軍人って珍しいだろ」

「そういう慢心、足元を掬われますよ」

「慢心じゃねえ、事実だ。隊長の隣にいて死ぬわけねえだろ」


 十分ほど歩いた彼らは、カレー屋に入る。手頃な価格と豊富なトッピングが売りの店だ。隼人が散々悩んだ末にチキンカツをトッピングで頼んだ頃、芽吹が来た。


「丁度良かったのかな」

「すいません、この人に豚しゃぶカレー、大盛りで」

「勝手に頼まないでよ」


 わざとらしく舌を出す隼人。芽吹は諦めてウェイターに、


「それでいいです。ありがとう」


 と言った。適当に座った席は、玲奈の隣だった。


「たいちょお、今度試合しましょうよぉ」

「そうだね、対ムールル戦闘も練習しないといけないし……みんなでやろうか」


 彼女は薄暗い感情が目覚めるのを感じた。


「拓海も誘えばよかったですかね」


 斗真が水を片手に、上司へ問う。


「彼は僕のこと信じ切ってないよ。無理に連れてきても迷惑なだけだ」


 芽吹はそう言いながらテーブルの上の広告を読んでいた。


「隊長、ザハッドナ、どう見ます」


 右腕の問いかけだ。


「……ここで話せることとしては、一つ」


 同席する者たちの視線が部隊唯一の妻帯者に集まる。


「奴らは、無抵抗な人間を殺すと思う。そして否定する。テロってのはそういうものだと思ってる」


 この十年、散発的なテロが実行されてきた。聖戦だの何だのと言って、何の罪もない人間の命を奪ってきた。芽吹らが対処するのは赫灼騎兵だけだが、市井に流布する以上に鮮明で質量のある自爆攻撃の情報は、聞くだけで精神を擦り減らされる。


「俺たちは戦わなければならない。ついてきてくれ」

「地獄の果てまでお供するっすよ」


 地獄行きは確定か、と芽吹は苦笑した。


「ザハッドナがどんな赫灼騎兵を作っても、オレの赫天の前じゃ紙切れっすよ。スパッとズバッと、ま、楽勝ってところっすかね」


 誰も頷いた。


「そういえばぁ、ハミンナ、青かったですよねぇ。マイ・オッフなんじゃないですかぁ?」

「頭を撃ち抜いたんだ。即死したのを確認してる。あり得ない」


 きっぱり否定する想い人を、玲奈はうっとりとした視線で見つめていた。


「でも、あれは奴の亡霊なんだと思う。俺が生み出した、憎悪に飲まれた亡霊。だから向き合わなきゃいけない。多分、みんなには無理をさせるだろうけど……死んでくれるなよ」

「死にませんよ」


 この場で一番若い、十八歳の斗真が言った。


「人生は捧げても、命を捨てるってわけじゃない。ボクは、そう思ってます」

「いいこと言うじゃねえか。パクっていいか?」

「どうぞ、ご自由に」


 戦場を知る者としての、ある程度の温度感を持った会話が続き、種もなくなってきた頃にカレーが来る。


「いっただきまーす!」


 上司に気を遣うこともなく、隼人は匙を握った。





 少し時は遡って、どこかの一室。血涙の仮面を着けているのは、オ。背丈は百五十センチに届かないほど。重たい生地の白い服に、黒い手袋。鼻から上を完全に覆う仮面。見えている口の周りの肌は、白かった。


 真っ赤な長い髪を掻き上げ、青白い長椅子に腰掛ける。とある空中戦艦に設えられた、パイロット用の休憩室だ。その手には紙パックのオレンジジュースが握られている。


(私、上手くやれたかな)


 先程皇国と帝国、両国全土に送った、複雑にフィルタがかかった声。あれを使う度に、彼女は自分という存在が削られていくような感を覚える。


(忘れてないよ、みんな)


 世界は、まだ回っている。

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