「えー、つまり、この昇陽の丘で、祖国のために戦わんとする心を涵養するものであり──」
講堂の壇上から、つるりと髭を剃った老人が言うのを、湊は最前列で静かに聞いていた。退屈、というのは確かにあった。だが、万が一にも眠ってしまえば一生目を付けられるだろう。
「えー、続いて、新入生代表挨拶です。セラ・ユイナ、前へ」
儀仗隊のドリルも終わって、彼の頭はぼんやりしたままだった。自分がなり損ねた首席の銀髪を誇る女子が、前に出ていくのを姿勢だけの気を付けで見る。
季節の挨拶、軍学校の学生になるということの意味、そして帝国によって自由が奪われていることの事実。教科書通りの宣誓だった。盛大な拍手が送られ、彼女は席に戻る。湊から見てそれなりに後ろの席だった。
青を基調とした制服に身を包んだ彼らは、改めて名前を呼ばれる。五十音順に並んでいるのだから、湊が呼ばれるまではそう待つこともなかった。
「大原湊!」
「はい!」
そう、学長の声が響けば、学生たちの視線が一斉に彼へと集まる。あの大原、まさかあの大原か、とざわつきだす。
「静粛に!」
次々と点呼が行われ、その度に一人ずつ立っていく。やがて、サ行に入った。
「セラ・ユイナ!」
首席らしい女子の名前。芽吹は振り向くわけにはいかなかった。
「以上、三八五名。ようこそ、空軍学校へ!」
◆
入校式が終わって、別の会場に向かう。午餐会だ。皇国伝統の鶏料理が並ぶ中、共和国からの避難者向けに豚料理や魚料理も結構な量が揃えてある。
だが、湊は行かなかった。行きたくない、というわけではなく、また別の用事があったのだ。
校門の前に止まる、黒塗りの自動車。軍が手配したものだ。それに、彼は乗り込んだ。
「注目されたでしょう」
女の運転手が言う。
「慣れてるよ。小学校の時からそうだったから」
「英雄のご子息、教官たちも困るでしょうね」
「特別扱いするなら、文句を言うよ」
父、大原芽吹。ライハを打ち取り、多くのアルシリーズを落としただけでなく、解析可能な状態のパーツを齎した。故に英雄と呼ばれる。西部諸島を守り切れなかった事実を覆い隠すように。
十五分ほど車で進んで、工廠の地下へ。空技廠の保有する、機密工廠だ。そこに、焔輝の胸ブロックが置かれている。一般的な新緑の飛行服ではなく、灰色の、体に密着するようなスーツを着て、湊はそれに乗り込んだ。
同時に、まるで太陽そのものを持ってきたかのような眩い光が、それに投げかけられる。ヘルメットを被った湊に、その灯は見えない。
「光増幅システム、起動」
その輝きを吸収して、焔輝の断片は光を魔力に変える。
「変換効率、四十パーセントを維持」
「湊さん、起動シークエンスを開始してください」
股座にある機械に手を当て、彼は魔力を流し込んだ。
「魔力パターン認証──大原湊。起動か──か──か──」
接続器が起動できず、機体のシステムがダウンした。諦めて、彼は胸から出た。
「増幅システムの効率が低すぎる。これじゃ無理だ」
待っていた研究スタッフに抗議した後、ヘルメットを脱ぐ。
「来月までに五十二パーセントだ。起動だけならそれでどうにかなると思う」
「わかりました。指示をしておきます」
根本的には、自分の魔力が少ないせいだ、と湊は思っていた。焔輝そのものの起動は可能だが、来る次世代機の起動には足りない。それを補うため、古代兵器の光増幅システムを、現代技術でコピーしようとしているのだ。
「月光レベルの光量でも起動できるようにするんだろう? これでは間に合わない」
「わかっています。わかっては、いるんですが……」
将来、彼自身の命を預けるであろう兵器だ。どうしてもシビアな言葉を発してしまう。そこから、暫く意見を交換した。
「精が出ますな」
そんな彼に声をかけたのは、知性を思わせる瞳の上に眼鏡をかけた、定年の近い軍人だ。
「外岡拉薩さん」
「湊さん、お父上のようになりたい、という気持ちはわかりますが……そう焦ってはいけませんよ」
「別に、焦燥なんてありませんよ。僕は母と妹が幸せに生きられる世界を作りたい。それだけです」
「ええ、ええ。よくわかっておりますよ」
鞭は、手を腰の後ろで組んで、何度か頷く。
「増幅システムは、この国──いや、帝国の脅威に晒されている全ての国家を救い得る、希望の力です。あなたには、よく頑張っていただきたい」
「今更言われなくたって、やりますよ」
「勉学も大事ですが、決して、決してこの任務を忘れることがないように。耳に胼胝ができるほど聞かされているのでしょうが、どうか、心に刻んでくださいね」
湊は情報局のお偉いさんを睨むような眼で見た。
「芽吹大佐は偉大でした。特に、ほぼ完全状態でアルシリーズのデータを齎した。その結果、我々は増幅システムを手に入れた……次は、それを我々の力で量産するのですよ」
「今更何です」
「あなたの両肩に与えられた使命は、何より重いということですよ」
増幅システムの研究をザハッドナに悟られぬよう、情報や人員は厳密に管理されている。その上で、サンプルを増やし、少しでも早く形にしなければならない。矛盾でさえある。
「入校から一か月、外出は許されません。その間、解禁後最速での外出が許されるよう、励んでください。できれば首席であってほしい」
「大原芽吹の息子だから、ですか」
鞭は敢えて答えなかった。
「わかってますよ、僕に父の再来となってほしい、ってことくらい。でも、僕は父とは違う。焔輝を起動するのが限界なんです」
「だから増幅システムの実験に参加した。結局は、父のようになりたいのでしょう?」
「母と妹に金銭的な支援が行われるから、です。父のようにはならない。家族を遺して死ぬようなことはしない」
ニコニコとしている鞭の態度が癇に障ったが、反抗しすぎて実験から除外されるのは避けたかった。故に、湊は溜息を一つ吐き出しただけで済ませる。
「一つ、追加の実験をしておきたい、と技術部から連絡を受けています」
「……なんです」
「使い魔──オットガムールルの使用に耐え得るか、見ておきたいとのことです」
皇国はムールルにあまり関心を向けてこなかった。それを今更、ということが、それだけ個の力を欲していることの証左であることを、湊はすぐに見抜いた。
「いいですよ。で、どう実験するんです」
一通り説明を受けた彼は、コックピットに戻る。
「少しずつ負荷を上げていきます。脳の状態はモニタリングしてますから、気絶する前には止めますよ」
ヘルメットの中で、技術者の声が響く。
「実験開始」
湊は空に放たれた。外部からの魔力供給を受けて起動したシミュレーション上の機体は翼のような形でムールルを搭載している。
「ムールルを分離させてください。一つずつ、お願いします」
搭載しているのは四基。右の一基を放出し、自機の周りで飛ばす。それを四回繰り返した。湊は特に辛い思いはしていない。
「戦闘機動を行ってもらいます。ダヌイェルを撃破してください」
画面に緑のクーウナが現れる。五機だ。
「行け、ムールル!」
四基の遠隔攻撃端末は、一斉に敵機に襲い掛かり、数発の魔力砲で微塵と消し去った。エネルギー切れのムールルを呼び戻し、最後の敵は湊手ずから斬り捨てた。
「……素晴らしい」
鞭の声が聞こえてくる。
「やはり、あなたは金剛石の原石です。次席入学の実力は伊達ではありませんね」
「首席の成り損ないですよ」
頭に少し痛みがある。そのことは、すぐに監視している技術者の目に留まった。
「ですが、脳に負荷がかかっていますね。まあ、初めてなので、繰り返していけば慣れるでしょう。お疲れさまでした」
フウッ、と息を吐く湊。
「午餐会も終わる頃です。学校に戻りましょう」
なるべく目立たないようにして、彼は所定の教室に入るのだった。その途端、一人の女子に話しかけられた。その少女の名は、セラ・ユイナ。