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《衝撃の事態》

 それからどれくらい経っただろう。

 永遠とも思える沈黙が続く中、私たちはヘビに睨まれたカエルみたいに身動きが取れなくなっていた。

 ツバを飲み込むこともできない、張りつめた空気が教室を覆っている。


 そんな状況だったから、いつもはみんなにうざがられてる拓也──さっきまで消しカスを飛ばしてたアイツ──が能天気に手を上げた時には誰もがホッとした。


「あの、オレわかっちゃったかも! 先生って実はうるう年の2月29日生まれじゃないすか?」

 これに対し、いつもは拓也とまともに口をきこうともしない優等生の春樹が珍しく同意してみせた。

「なるほど、そういうことか。実年齢わる4だもんな」

 これで拓也の説にお墨付きが与えられたことになる。


 でもその直後、隠し持ってたスマホをチラチラ見ながら、にわか知識で琥太郎が応戦してきた。

「ブーッ残念賞! 2月29日生まれだって、うるう年以外は28日過ぎに一つ年を取るって法律で決まってんだぜ。春樹、そんなことも知らねえのかよ」


 あからさまな個人攻撃に、春樹は顔を真っ赤にしながら「それは常識レベルだけど、先生はきっと冗談で……」と、言い訳めいたことを口にした。

 と、その瞬間だった。


 文明社会ではめったに聞くことのない、野蛮なオタケビが鳴り響いたのだ。

「ギャオ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ‼︎」

 その奇声はあまりにも衝撃的で、私たちの鼓膜に一生の傷跡を残すに十分だった。


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(※ここから先のメモは、事件の後で書き足したものだ )


 わけもわからずみんながパニックに陥る中、中島先生が、今度はいくらか遠慮ぎみに入ってきた。

「先生あの、どうしました? アアーッ!」


 悲痛な叫び声のあと、教卓から舞い降りた守谷先生のニードロップが命中し、中島先生はそのままあっけなく組み敷かれてしまった。


 そうしてしばらくの間、くんずほぐれつの攻防が続いていたけど、ようやくチョークスリーパーから抜け出したところで中島先生がしゃがれ声を出した。

「みんな避難だ。それから他の先生に応援を、はやく‼︎」


 これを受け、私たちは不審者用の避難訓練を思い出しながら後ろの引き戸へとなだれこんだ。


「ちょっとぉ、避難するときは『押さない・かけない・しゃべらない』だよ!」

 この期に及んでクラス委員のチカが金切り声を上げるけど、もちろん耳を貸す者など誰もいない。

 これは本番なのだ。

 訓練で想定されたどんな不審者よりも強烈にして凶暴な、正真正銘のホンモノが現れたのだから。


 調教されたはずのサルたちはたちまち野生の本性を取り戻し、右往左往しながら廊下を駆け回る。


「2組何やってんの。はやく昇降口から校庭に出なさい!」

 早々に危険を察知した3組の富田先生が、自分のクラスを誘導しながら私たちにもきつい口調で指示する。


 言われるがまま階段を降りていくと、男の先生たちがひと塊になって、地獄の鬼の武器みたいな棒──それをサスマタって言うのは随分あとになってから知ったんだけど──を持って、物々しく駆け上がってきた。


 そのすぐあとに続くのはハンプティダンプティみたいな校長先生だ。

 よろよろと手すりをにしがみつきながら、「ああ、この声はまずい。まずいなぁ……」なんて心許ないひとりごとをつぶやいてる。


 そうしてみんなが昇降口に到着し、出口を求めて大渋滞してるところで、だんじり祭りみたいな「ウォーッ!」という掛け声が上がった。


「すげーっ。オレちょっと見てくる」

 そう言いながら、拓也がまた階段を駆け上がろうとしたけど、富田先生にズボンを鷲掴みにされ、あえなく引き戻された。


「ふざけんじゃないっ!」

 普段の柔らかい雰囲気からは想像もつかない先生の野太い声に、拓也は一瞬泣きそうになった。

 でもやっぱり強がりたかったみたい。

 ちょっと間を置いてから、わざと憎まれ口をたたいた。

「わーっメスゴリラにパンツおろされた!」


 これにはみんな大爆笑。

 呼吸もままならないほど緊張してたから、こんなくだらないことでも笑わせてくれるだけでありがたかった。


 もちろんすぐさま富田先生の絶叫が続いたのは言うまでもない。

「あんたたち、いい加減にしなさい! もうどうなったって知らないから…」

 最後の方はほとんど涙声だ。


 私たちだって本当は小さな子どもみたいにワンワン泣きたかった。

 だってあんな恐ろしい光景を目の当たりにして、普通でいられるほどメンタルは強くないもの。


 でも涙を流したが最後、これ以上踏ん張りが効かなくなっちゃいそうで、わざとヘラヘラするしかなかったんだと思う。

 泣くってことは結局、安全が確保されてるからできることなのかもしれない。

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