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第40話:烏賊墨乙女

「ふむ……では、そろそろエステルを返してもらおう」


「は! あまりの噛み心地に意識がっ!? ってなんじゃそりゃぁあああ!?」


 目の前に突如現れた巨大な触腕。


 シアンは驚愕に目を見開き咄嗟に毒の牙を突き立てるが、


「————っぐふ」


 なんの痛痒も与えられず、触腕によって全身を巻き取られ拘束される。


「最初からそうしなさいよ……そして、なる早で私を地上に下ろして」


 ちょっと遠くを見ていたい気持ちだったスクイドは急かす宙吊り王女の下へと向かう。


「な、何者なんだ、テメェ!? こんなん、普通じゃねぇ! 触手? まさか召喚!?」


「召喚ではない。【固有空間】に存在している本体の一部を呼び出しているだけだ」


「ほぼほぼ召喚じゃねぇか!? 本体ってのが何かわかんねぇけど……テメェ人族じゃねぇな? どちらかと言うとあたいらよりの存在なはず。なんでコレだけの力があって、人族に味方してんだよ」


 スクイドはシアンの質問に立ち止まり、考える。


「ちょっと、そろそろこの体制限界なんですけど!? その話、私を下ろしてからでも——」

「……ふむ」


 スクイドはエステルからシアンに視線を切り替え騒ぐ宙吊り王女を無視して応えた。


「人族の味方、という概念が自分にはわからない。

 スキュラ族のシアンも同じ人種であり、そこに差はないはずだが? 自分の感覚では『心臓と魂』から成るのが人種。『魔核と魔力』から成るのが魔獣。


 シアンもエステルも同じ人種だと自分は考える。つまり種族の味方、と言うよりスクイド・ホオズキという個体がエステルという個体と契約関係にあり、利害の関係と一部感情的な理由により助ける、もしくは味方的な行動を取る。という認識であるはずだ」


 理路整然と言葉を紡ぐスクイド。


 シアンはなにやら唇を噛んで俯き、チラリと視線を向ければ静かになったエステルもどこか苦い顔をしている。


「ひ、ひひ……テメェが何者か、しらねぇ。ただこれだけはわかる。テメェは何にもわかってねぇ!

 ただのおめでたい馬鹿野郎だった!! ああ、人種さ!あたいもそこの姫さんも、あたいらはそう思っている。だがな、世界評議会にとってあたいらは『異形種魔族』って括りの珍獣同然なんだ!」


「違う! それはあなた達が犯罪行為や魔王崇拝なんかを」


「追い縋るもんが他にねぇんだよっ‼︎ 夢見て、希望抱いて、生きるための未来をあたいらは、でしか見れないっ!」


 僅かに反論しようとしたエステルの言葉を更に強い感情で塗りつぶすシアン。


 エステルは口を噤む。


「あたいは負けた、それはもう死と同義。じゃあ最後まで足掻いてやっから、守ってみろや!!」


 触腕に締め上げられて身動きの取れないシアンかと思ったが、四頭の獣はシアンから離れ、その首が勢いよくエステルに向かい飛びかかった。


「———っちょ、いやっ!?」


 未だ宙吊りのエステルは身動きが取れず、迫った四頭の毒牙によってその身を噛み貫かれ、


「心配する必要はない。その身には【黒水】が宿っている。その程度の毒は無効化される」


「——っ⁉︎ ちっ!」


「え、な、なにこの黒い膜? どういう事?」


 エステルの表皮を覆うように現れた【黒水】が触手の牙と毒を弾いた。


「ソレは【黒水】、簡潔に言えば……自分の『体液』だ。エステルの体に注入しておいた」


「は……たい、えき? え、え? ちょっと待って、え? 注入? ん!?」


 困惑の表情を極めているエステルに向けてスクイドは説明を続ける。


「【黒水】は魔力の伝導率も非常に高い。自分の意思に従って自由自在に動き、高質化、粘着化、液状化、気化、と汎用性もある。例えばこのように」


 スクイドは【黒水】を手元に生み出し、一部を高質化、形状を弓矢へと変化させた。


 軽く引き絞った漆黒の矢は真っ直ぐに飛んで、見事エステルを拘束していた縄を射抜く。


 逆さまに落下するエステルだったが、そこは持ち前の身体能力を駆使して見事に受け身を取る。

 王女という生き物の成せる技ではない。


「形状を変化させて武器に、また身を守る盾にも————」


 手足を拘束されているにも関わらず転げるように近寄ってきたエステルは手枷のついた両腕でスクイドの胸ぐらを掴み上げて静かに問いかけた。


「いつ、どこで、どのように? 誰の許可を得て私の体に何をしたの? 答えなさい」


「夜、エステルの寝室で、胸元から直接、イザベラの許可を得て自分の体液である【黒水】を注入」


「い、い、い」


 ブルブルと震え始めたエステルを不思議そうに見つめながらスクイドは続ける。


「魔力の滞りを起こしていた『異物』を除去し【固有能力】の開花を妨げていた原因を取り除くのに必要だった。思いの外【黒水】も体に馴染んでいるようだ——」


「HiYAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!?!?」


「……ふむ?」


「なんてものを!? 無断で、なんて所から、ナニしてくれてんの!?!?

 というか、あのクソメイドォおおおおッ!? 今度会ったら今回の件も含めて絶対にっ!!」


 興奮で表情が王女として限りなくアウトに近づいていくエステル。


 シアンすらも引き攣る恐るべき形相にスクイドは震える声で辛うじて声をかけた。


「……イザベラは、このような事態を予期していた。しかし、その時はイザベラが動けない可能性が高いので、エステルには最低限の自衛の手段と、自分にはその支援をと、頼まれた」


 ぴくりと怒り猛る王女の動きが止まり、咳払いを一つすると、スンっと表情が消えスクイドに向き直る。


「まぁ、なんとなくわかるわよ。付き合い長いし、イザベラの本当の過去、みたいなのは知らないけど、普通のメイドじゃないのはわかってた。今回も完全な裏切り、とまでは思ってない……」


「ふむ」


「ただ、私の周りってそんなことばっかりだなって……」


 冷め切った表情で遠くを見据えるエステル。スクイドは、しばらく無言で待った。


「……」

「……」


「……ふぅ、助けに来てくれてありがとう。そこは、感謝しています」


 肩の力を抜くようにふんわりと微笑んだエステルの表情にスクイドの奥深くから何かが込み上げてくるような気がした。


「……ああ、ふむ。そうだな。不思議な、気分だ。この感情は、なんと言い表せば適切なのか」


「? 珍しいわね? あなたが、そんな表情をするなんて……」


「……ふ、ふむ。今自分もこの感情的記憶の表現を素体情報から——近い、その顔で覗き込まないでもらいたい」


「え〜? アレアレ? なに、この感じ。 何この感覚っ。ふふ、ふふふ」


 揶揄うように笑顔を覗かせるエステル。


 何故かスクイドはその笑顔を直視できずにいた。


「おぉおいっ! いきなりイチャついてんじゃっねぇええよっ! おら、殺すなり、国に突き出すなり好きにしやがれ!」


 放置されて居た堪れない感じになった暴れ回るシアンをスクイドは一頻り眺める。


「エステル。一〇秒ほどこの場を離れる」


「え? 一〇秒? べ、別に大丈夫だけど、一体なにを」


 言い残してスクイドはシアンと共にその場から一瞬にして姿を消し、きっかり一〇秒後、再びエステルの前に姿を表した。


「え? 何が起きたの!? 今のって、確かジャネット先生の時も」


 困惑するエステル。だがその視線はスクイドの隣に居るシアンを見て凍りついた。


「オ、オホォ、オホッ——至高、しこうぅッ、ごひゅじんしゃまぁ〜、シアンに、シアンにもっと」


「……」


 ぐでんぐでんに茹で上がった蛸のようなシアンと、眩しそうに傾きかけた夕陽を見つめるスクイド。


 エステルは、ジッとスクイドを見つめる。


「あなた、ジャネット先生に変なことしてないでしょうね?」


「……勉強を、教わった」


「アイリスには?」


「あの見た目は倫理的にアウトだった。

 しかし急成長した今のケモ耳、尻尾姿には確かに惹かれる部分も多いが、修行中はイザベラの監視もあり、今となってはこれ以上の関係はアイリスの心身の成長に支障を与える恐れがあるため臨むべきではない、と判断している」


 じっとりとしたエステルの視線を明後日の方向に交わしつつ捲し立てるように正当な部分を主張するスクイドの姿に、どこか残念な生き物を見るような視線を向ける。


 エステルは諦めたように肩を竦めて視線を再びシアンへと向ける。


「で、何をしたのかは正直全然聞きたくないけど。そんなに懐かせてどうする気?」


「エステルの近衛軍としての戦力を増強させる。シアン」


 ジト目で疑問符を浮かべるエステルから視線を外し、ぐでぐでの軟体美少女へと呼びかけた。


「ふぁいっ、ごひゅじん様」


「魔族の中でシアンの部下となる者を集め、自分のもとに連れてこい」


「———‼︎ ふぁっ! はいっ! あたいにお任せくださいっ! 全てはご主人様の仰せのままに」


 一体どこの誰だこの子は、というエステルの眼差しを完全に視界から外し、キラキラした双眸のままビシッと敬礼を決めたシアンは颯爽とその場から走り去っていった。


「……」

「……」


 なんとも言えない沈黙が二人の間に流れていた。

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