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第肆幕:甘白、家光公と色駆け引きす 其ノ弐

 風呂場へと案内されていった甘白の背中を見送りながら、家光はニタリと笑っていた。

「何とも美しい。新しい玩具おもちゃが手に入ったなぁ。楽しみで酒が進むわ」

 家光はそう云いながら酒をぐいと一気に飲み干した。

「おい、この助兵衛めが。色香にうつつを抜かすは、天下人にとって命取りぞ」

 肩に乗った尾長鶏が、そう人語を発した。

 声は、しわがれた高齢の男のそれである。

「……わかってるよ、爺や」

「おまえ、ちょっとはわしうやまえ」

「敬ってるさ。俺は爺やが大好きだ」


「好くのと敬意とは同じではないぞ」

「で、何だよ? 俺はいま美しいものを見て久々に酒が旨いんだ。邪魔するなよ」

「やれやれ。そんな気分のよい酒を不味くするようで悪いがな、儂の直観では、あの甘白とかいう男女おとこおんなは匂うぞ」

「匂う? ああ、長旅で汗をかいていたからな。まあ俺は本当はああいう汗くさい匂いが堪らんのだがな。そんな趣向を明かせば変態とバレてしまうゆえ、風呂に行ってもらった」

「莫迦者、その匂いではない。もっと、本質的な存在のいかがわしさの匂いだ」

「いかがわしさ?」

「そうとも。その者が何を信じ、何に背を向けて生きているのか、そう云うものが、匂いに染み込む」

「ふうん? そういうもんか? 俺にはさっぱりわからぬが、まあ爺やが云うならそうなんだろうさ。俺は爺やの云うことは信じているからな。何でもいい」

「少しは己の頭を使う癖をつけたらどうだ?」

「それじゃあ、爺やの役目がなくなっちまうだろうが。で? 爺やの見解じゃ、甘白からはどんな匂いがするっていうんだ?」

「どうも、切支丹キリシタンの気を感じる」

「切支丹……!?」

 家光はいっぺんに酔いが醒めた。


 と同時に、昨今のあれこれの忌まわしい記憶がよみがえり、はらわたが煮えくり返って来た。 目下、家光は島原の乱の制圧が完全鎮火といかずに苦しんでいた。


 信仰というやつを胸に秘めた叛乱の何が厄介といって、奴らは単なる抵抗勢力ではなく、ある種の呪いのかかった人形のような攻撃力をもつということだ。


 斬られても簡単には死なぬ。ある農民などは、首を斬られてなお兵士に襲い掛かったという。それほどの執念であるので、高々数百という数であるにも関わらず、いまだに手こずっているのだ。すると、そんな内心を見透かしたように家康が云った。


「それに、乳香の香りも僅かにした。そう云えば、いまお前が手を焼いている天草四郎とかいうのは、絶世の美形と噂に聞いたが?」

 家光は、その言葉にハッとした。そう、たしかに天草四郎時貞は絶世の美少年と噂されている。そして、今しがた此処にいたあの生白いうりざね顔の少年もまた、目も醒めるような美少年だ。


「まさか…奴が天草四郎?」


 さあな、と家康は云ってくっくっくと喉を震わせた。


 呼結こけっ、呼呼呼呼呼こう


 笑い出すと、ただの鶏みたいになってしまうのが、祖父の情けないところだ。

 ひとしきり笑った後で、咳払いを一つしてから家康は威厳を取り戻すようにして云った。

「慌てるな家光、儂に秘策がある」

「そうこなくっちゃな、爺や。で、どうすればいいんだ?」

「なに、簡単なこと──このまま騙されたふりをせよ」


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