「
声を発するたびにぎょっとした顔で家臣たちが見るが、紙月としては意図してのことではない。ただ何か喋ったつもりが、このような奇声になるのだ。
「甘白はどうなるので御座いますか? あとで来るのでしょうか?」
そう問うたつもりが、家臣たちには言葉とは聞こえず、奇声として捉えられているのである。
この江戸城なる要塞は、山上から眺める星空の如く広大であった。
肥前にいた頃、その広大さについてはあれやこれやとまことしやかに語られていたものだが、実際に足を踏み入れてみると、それらが決して大袈裟な物云いなどではなかったことがわかる。
このいつまでも続くだだっ広い廊下自体が、何かの罠であるかのように感じられるほどだった。
だが──不意に、人ならぬ者の気配が強くなった。
最初にその気配を教えたのは匂いだ。
次いで音。
屋外に面している廊下であるから、周囲の木々にとまった
奇異異異異異異異異異異異異異異!
それは、はじめのうちは音として認識された。
だが、しばらくして、徐々に単なる音ではなく、生き物の声であると推し量られてくる。というのも、音と匂いが分かちがたく結びついていることが、近づくにつれてはっきりとしてくるからだ。
紙月はもともと鳥見役に任ぜられていたくらいであるから、鳥には詳しい。幼少の
下級武士の家柄で家禄も殆ど奪われながら、紙月は鳥見役となることで、何度か藩主と顔を合わすことにもなった。然しだからと云って、自身が鳥にされて江戸城に送り込まれることになろうとは思わなかった。
だが、いまこうして鳥たちの気配を肌で感じると、存外その狙いは当たっていたのではないかという気がしてくる。
金切り音の正体は恐らく雉の仲間だ。ただし、和雉とは何かが違う。
「気色の悪い鳥め、さっさと中に入れ。此処が今日から、おまえの家ぞ」
庭園の石段を渡る先が、不意に
家臣たちに続いて中に入ると、予想だにしない世界が広がっていた。
見渡すかぎり、鳥、鳥、鳥……。
昔から鳥が好きな紙月でも書物の中でしか見たことのない珍鳥ばかりがいる。天井に網を張られたその空間には、明らかにこの国の理では抑えられぬ狂気が転がってみえた。目をみればわかる。彼らはこの国で何が恐れられ、何が禁じられているのか、何も理解していない。
国内のどの生き物も、おおよそ身の程を理解している。たとえ家畜でなくとも、刀にしみ込んだ恐ろしい血の匂いがわかるものか、武士には殊更従順なものだ。その一太刀が己の頭部を飛ばす可能性を孕んでいることが想像できるのであろう。
ところが、此処にいる
鳥の種類はおおよそであれば理解できた。
書物でしか存在しえぬと思われた鳥たちがまさか一同に会する場があろうとは。これが〈鳥奥〉か……。
「奇異異異異異異異異異異異異異異! 奇異異異異異異異異異異異異異異!」
金属音の如き声で啼く者の正体は、高麗雉であった。その色鮮やかなること、日本雉が地味に見えるほどであった。雌より雄の模様が派手であるのは、和雉と同じか。
案内役の家臣は、亀甲金網から見て一番手前にある薄汚い木格子牢に、紙月を押し込めた。火喰鳥の体に比して少々狭すぎるほどであった。
その時、幻聴か。慥かにこう聞こえた。
「醜悪な鳥だな」
家来たちの口が動いた様子はなかった。というより、家来たちはみな、鳥を毛嫌いしているのか、網を潜ろうとはしなかった。紙月を檻に入れると、即座に網の向こうへと逃げたのだった。
では──いま言葉を発したのは一体何者だ?
見渡すかぎり、此処にいるのは鳥、鳥、鳥、鳥ばかりだ。
然し──。
「お似合いだな、へっへっへ」
嗚呼、幻聴ではない。
これは、まごうことなき人語。
それが、鳥たちのほうから聞こえる。
この中の誰かが──喋ったのだ。
紙月はじっと周囲を見回した。雄の孔雀が一羽、紙月の前に現れ、威嚇のつもりか盛大に羽を広げてみせた。
だが、ひとたび紙月が地割れを起こすほどの奇声で啼くと、その声に恐れ慄いて逃げ去った。先ほどの声はあの孔雀ではなかったのか。
すると、また笑い声がする。
鳥に隠れて人がいるのか……どこだ?
「間抜けな声だぜ」
いや──これは人語ではないのか……厳密にいえばこれは音であるに違いない。だが、にも拘らず、それは従来の鳥のそれとも違っている。
しいて云えば、鳥の共通語のようなものか。おそらくこの声を聴いても、人間はそれを人語とは思わぬに違いない。ただ、自然に理解できるがゆえに、己の頭が人語であると錯覚してしまうのだろう。
「おい、醜い新入り。奇異異異異異異異異異!」
今度は声の末尾で本来の声を混ぜてきた。間違いない。これは人語に似せた鳥語なのだ。鳥だからそれが分かってしまうだけだ。
喋っているのは──先ほどから断続的に奇声を上げている高麗雉だった。