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第伍幕:紙月、鳥奥にて探偵す 其ノ参

 秀吉は──有頂天になったものか、周辺をうろうろと落ち着きなく歩き回った。


「待て待て待て。そうくなって」


「誰も急いてはいないのだが……」と紙月は淡々と応じる。


 どうやら高麗雉の姿をした己が秀吉だと認めてもらえたことが余程うれしいのだろう。


「ち、朕はな……朕はさっきこう云ったのだ。子分になるならば、と。子分になるのか?」


「ああ、貴公さえかまわないのなら、喜んで子分となろう」


 本気ではなかった。とりあえず、今この瞬間は少しでも城内の情報を手に入れる必要があり、それにはこの秀吉の懐に入り込むのが存外有効だと感じているまでの話である。


 だが、むろん、そんなことは秀吉はまったく気付いていないようだ。


「では教えてやろう」上機嫌になって、不意に格子に顔を近づけてきた。


「朕はな、家康を暗殺すべく此処にいるのだ」


「なるほど」


「……驚かないのか?」


「貴公が秀吉ならば、さもありなんだと思ったのだ。聞くまでもなかった。豆腐屋に説法というやつだな」


「そんな云い方はないだろう。比喩も滅茶苦茶だ。もはや何を譬えようとしたのかすらわからぬ」


「それで、秀吉殿、勝算はあるのか? 家康というのは、尾長鶏に転生していると聞いたが?」


 その刹那、秀吉に驚愕の表情が浮かんだ。


「……貴様、ただの化け物鳥ではないな? その話をどこで聞いた?」


 紙月はハッとした。そうだ。鳥ならばこんな話は知るわけがない。うっかりした。


「いや、さっき家来たちが話しているのを聞いたのだ。壁に穴あり、だ」


「ますます化け物鳥だ。比喩は下手糞だし慣用句も出鱈目だが、人間どもの言葉はわかるようだな……さては貴様も転生鳥か?」


「俺はただの比喩が下手糞で慣用句が出鱈目な巨鳥にすぎない。それに、もし仮に人間なら、俺は正直には答えまい。何しろ、貴公とはまだ会ったばかりで、何の信頼関係もないのだ」


「だが貴様は主従関係を結ぶと云った」


「さっきまでは貴公の従者だった。だが、今も主従関係を結んでいるとは云っていない。それより聞きたい。貴公の計画に勝算はあるのか? 勝ち目があるのなら、その子分として役に立とう。だが……勝ちうめまたがれないとなると」


「……梅じゃなくて馬だろう。むろん、勝算はある。尾長鶏など朕のくちばしにかかれば障子よりもろい。


問題は、尾長鶏の小舎が我らのいる場所からやや隔離されていることだ。其処に侵入する方法を今は思案しているところよ」


「秀吉殿、鳥は皆この〈鳥奥〉ではないのか?」


「ふふん、貴様はいま来たばかりで何も知らぬのだな。一言で〈鳥奥〉と云っても、かなり細かく区分けがされている。いま貴様のいる此処は雉舎と呼ばれる区画だ」


「雉……孔雀もいたようだが」


「孔雀も雉の仲間である。雉は鳥のなかでは高貴な血だが、徳川のお膝元ではその価値観が逆転していて鶏こそが優遇される。ただし、我々は〈側鳥そくちょう〉の中でも下位に甘んじている。


〈側鳥〉の上位にある鶏舎は雉舎のさらに奥に位置付けられているのだ。雉舎と鶏舎の間には、金網が仕切られていて人の後についてうっかりを装うのでなければなかなか難しい」


「なるほど……それは難儀だな」


「鶏舎には軍鶏しゃも金鶏きんけい声良こえよし赤色野鶏せきしょくやけい錫蘭野鶏せいろんやけいと、さまざまな鶏がいる。


その中で、〈正鳥〉に位置づけられ、別格扱いを受けているのが尾長鶏どもだ。奴ら七羽の尾長鶏どもは我ら〈側鳥舎〉とは隔てられ、ひときわ重宝されて〈尾長の舎〉という藁の寝床もあれば餌も豊富な小舎に囲われている。


そのさらに奥に──〈御長みなが〉と呼ばれる部屋がある。部屋付きだぞ? 信じられるか。鳥ごときに。格子牢ではないのだ。其処に、家康がいるという噂だ」


「なんだ、噂ということは見たことはないのか」


「見たことはなくとも、その丁重な扱いから察することはできよう」


「だが、家光公が家康と思い込んでいるだけかもしれんだろう?」


「転生に関しては朕という実例がある。事実、家光は莫迦に似つかわしくない狡猾な決断を時々するという話だ。転生した家康の存在なくしては理解できまい」


 此処へ来て、転生といういかがわしいものが「ある」という前提で物事を考えねばならぬことになった。


 その展開に、いささか紙月は戸惑っている。然し、それが受け入れるべき前提なのもわかる。


 何故と云って、己自身が転生鳥であるわけだから。


「ふむ……然し……七羽もいたのでは、どれが家康かわからんのじゃないか? どれもただの鶏なわけで」


「然様。それゆえ、苦労している。貴様、そのうちのどれが家康なのか、調べるのを手伝ってはくれぬか?」


「この新参者には荷が重すぎる。貴公にできぬことを俺ができるとも思わない」


「その無駄に大きい図体は何のためにある? 貴様の目の高さなら、朕より遠くのものが見えるはずだ」


 よおく考えろ、よおく、な──そう云い捨てて、秀吉は去っていった。おそらくは他の鳥どもの気配を察知したせいだろう。


 🐔


 やってきたのは黒い鳥の集団だった。鴉のようにも見えるが、目の感じに愛嬌があり、羽を開くと白い斑点がやたらに際立つ。


 八哥鳥はっかちょうか。


 声は何処までも甲高いが、愛嬌のある目のせいでそれほど不快感はなかった。


「おまえ化け物か? 化け物鳥! 化け物鳥!」


 騒ぎ立てる八哥鳥の群れに、なんと答えるべきか考えあぐねた。そもそも此処にいる鳥たちすべてと会話をする意味があるのかないのか。


 だが、すぐに先ほどの秀吉の言葉を思い出す。なるほど、此処に長くいる秀吉には云わぬことも、この新参者になら口を割るかもしれない。


「貴公ら、家康公を存じ上げないか?」


「……いえ……やす……知らぬ! 知らぬ!」


 なにやら急に慌てだし、八哥鳥たちはほうぼうへと散っていった。まるで何者かの監視の目でも恐れるようだった。


 一体……誰を恐れている?


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