ジパングへ向かう船に乗り込むという日、事件は起こった。それまで信頼していた船乗りの男たちが、フランソワを船室に捕らえて閉じ込め、強姦しようと謀ったのだ。
いつも親しく言葉を交わしている男たちであったがゆえに、油断したのが命取りになった。フランソワはあっという間に鎖で縛られ手足の自由を奪われた。
この状態では鏡の妖術は使えない。
どうするべきか。フランソワは、
思案した末に選んだのは、〈
一物をむき出しにした男が近づいてきたときに、その者を凝視しながら唱えた。
──視線転移!
すると、どうだろうか、見事に男は反対方向に動き始め、仲間の男を襲いはじめたではないか。
彼の行動によってその場は騒動となった。フランソワはその隙に、べつの男をまた〈視線転移〉で操り、鎖を解かせた。
身体さえ自由になれば、あとは錬金銃で黙らせればよかった。何しろ錬金銃の威力は通常の銃の幾千倍。
──気を付けろ。おまえの美貌は、今後も邪悪なる者たちを引き寄せる。妖術を駆使せよ。成功を祈る。
箆鷺が勃起した一物を突き立てて、そんなことを云っていたのを思い出した。
別れの間際などは、いちばん欲望に誠実なのは、じつはこの箆鷺ではなかったのか、とフランソワは訝しんだ次第だが、航海に出てからは箆鷺のそれは愚かな男たちの平均的な其れにすぎなかったのだと分かるようにもなった。
欲に
それでもフランソワはこの世界が美しいとまだ信じたい己を諦めきれなかった。
世界は黄金色の輝きを秘めている。
貧困のわびしさから遠ざける富の輝きを。
かくして──フランソワ・カロンはこの黄金の国、ジパングにやってきたのだ。
🐔
「嗚呼、この布団は無理! なんか体が痛い!」
室内のロウソクの灯をぼんやりと眺めながら、結局、眠れないのは、この布団自体が悪いのだという結論に達した。
カロンは阿蘭陀式の妖術で火薬球を投げ、簡易宿を組み立てた。この国のやけに薄い布団に無理をして寝て背中が悲鳴を上げてしまう前に、己の妖術で対処しようと決めたのだ。
と──其処へ窓辺に一羽の大鷹が舞い降りた。
「カロン様、ただいまタカ!」
「おかえり。遅かったじゃないか。心配したよ」
「申し訳ないタカ。いろいろと展開慌ただしく」
この国に来て以来、じつはこの大鷹がいちばんの話し相手である。
大鷹には名前はない。名前を付ければ、情が湧く。どこかで捨てられる命にいちいち名前を付ける意味を、カロンは見出せない。
カロンはすぐさま、大鷹に先刻捕らえておいた鼠を与えた。
この大鷹はカロンがこの国で入手した伝書鷹であった。
外来種ゆえに、かなり目立つのだが、それでも優秀なことは間違いない。
新鮮な鼠は大鷹にとって大の好物である。
「どう? あの火喰鳥はうまくやってる?」
「万事順調に、と申し上げたいところだけど──生憎、万事絶不調タカ!」
語尾にタカをつける安易さが気に要らない。
そんなもので個性を己に付与していいのなら、自分だって語尾にカロンをつけたいところだ。そんなことを考えながらもカロンは次をうながす。
「絶不調とは? ちょっと物云いが大げさでは?」
「大げさじゃないタカ!」
「やっぱりその話し方うざったいな」
大鷹を扱うのは慣れたものだ。とはいえ、べつにカロンは鳥使いというわけではない。ただ、〈視線転移〉によって和語を話せる大鷹を自在に操っているに過ぎないのだ。
「具体的に、何がどう絶不調なの?」
「甘白、拷問中! 火喰鳥、捕縛! 万事休す、万事休す」
「な……何?」
甘白に関して言えば、その正体は天草四郎時貞であるわけだから知ったことではない。だが、火喰鳥の捕縛はまずい。これでは〈金卵〉が手に入らなくなってしまう。
「状況を詳しく話して」
「そうしたいのは山々だが、いいのかタカ?」
「何が?」
「悠長なことは言っておられないタカ」
「だから、何が?」
「その、下に……」
大鷹がそう言いかけたとき、「頼もう!」と階下で声がして複数の男たちが一気に駆け上がってきた。足音は、ぜんぶで六つ。同時に刀の揺れる音がする。
やって来るのは侍だろう。恐らく江戸城からの使いの者に相違ない。案の定、現れたのは、江戸城で一度か二度見たことのある顔ぶれであった。
「おい、阿蘭陀女、カロンと言ったか? すぐに江戸城に参れ」
「騒がしいね。一体、いま何時だと思っているのだ? この国の倫理はどうなっている、レディの就寝時を訪ねるなど」
「知るか」と男の人が云い捨てて、これ見よがしに畳に唾を吐き捨てた。
カロンは大鷹を睨んだ。もっと早く教えてくれればよかったのに。
だが、大鷹は素知らぬ顔をして鼠を引きちぎっていた。此処で〈視線転移〉を用いてこの男どもの刀を動かして殺すことはいとも簡単だ。
然し、それではあとあとカロンの身が危うくなろう。
何しろ妖術というやつは、この国にも独自のものが存在している。
カロンより腕の立つ妖術師が此処にいれば、それで万事休すである。
「一つ確認するが、まさか私を花魁代わりにしようというのではないだろうな?」
「フン、ずいぶん我が国の言葉が達者じゃないか。やはり城では猫をかぶっていたか」
手前にいた男がそう云った。いわゆる同心という奴だろうか。
彼は汚らわしい笑みを浮かべてカロンに近づくと、あろうことかぐいと左の乳房を鷲掴みにしたのであった。
「良い体ではないか。城に連れていく前に少し遊んでいくか。へっへっへ」
その刹那──カロンは「ムーヴェ!」と一言唱えた。
すると、男の短刀が抜けて、その男の顔面を斬りつけた。
「うぐ!」
男は顔を両手で覆ってしゃがみこんだ。
残りの五人がひるむ気配があった。どうやらこの中には腕の立つ妖術師はいないようだ。恐れるに足らぬ。
とは云え、江戸城内で何が起こっているのかは気になる。
此処は、ひとまず従ってみるのも一興か。
「何かお話の途中だったのではなかったか? 続きは江戸城で聞かせてもらうので良いか? 出来れば、其方たちより、もう少しお偉い方から」