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第玖幕:江戸城、真夜中の策謀と死神 其ノ壱

 同じ頃──江戸城の一室では、潔癖症の阿部忠秋と女好きの松平信綱が推理合戦をしていた。酒が入っているのは信綱だけで、忠秋のほうは茶ばかりを啜っている。


 信綱はそのことが少しばかり気に食わない。「〈闘鳥の宴〉の支度が夜な夜なあるのに酒など」と丁重に断られたのだ。まったく付き合いの悪い奴だ。


「それにしても、どうも匂うな、そうは思わぬか? あの火喰鳥だが」


「わかりませぬな……それがしは生き物と接する時はだいたい息を止めておりますゆえ」


 忠秋の正直な返答が、信綱には少し腹立たしかった。


「その匂うではない。火喰鳥が何故〈御長の間〉の前にいたのかという話だ。近頃は生き物に芸を仕込む大道芸の乞胸ごうみねも増えているが、あの阿蘭陀女が異国の妖術を用いて火喰鳥に金卵を盗ませようとした──などということは考えられぬか?」


「ふむ……金卵でござるか……そもそも、信綱殿は金卵を信じてらっしゃるので?」


 それである。なかなか鋭いところを突いてきた。


 実のところ、信綱は一度もこの目で〈金卵〉なるものを確かめたことはないのだ。


「半信半疑ではあるが、実際、あれほど続いていた戦乱の世がぴたりと収まった。そこには何らかの人知を超えた力が働いている、と云われても不可思議ではなかろう」


 信綱に限らず、江戸城の中でも、〈金卵〉の存在を目にした者はこれまで皆無であった。


 だが、噂だけはずっと小蝿のごとく漂っていた。


「仮に〈金卵〉なるものが実在するとしてであるが──また、火喰鳥が阿蘭陀女の意志で動かされているのだとしたら、その目論見はもっと前から続いている可能性はござらんか?」


「もっと前から?」


「あの尾長鶏〈家康〉の首切り事件にございます」


「ああ……あれか。あれが、つながっているというのか?」


「あるいは。その場合、阿蘭陀女が城内の何者かと事前に関係を持っていなければなりませぬが──」


 むむっと、信綱は唸り、それから声を潜めた。


「今の推測、まだ家光公の前では話さぬほうが良いな。ことによれば、罪のない家臣があらぬ疑いをかけられて首を刎ねられることにもなる」


「無論。そもそも〈家康〉の死自体を内密にしていることをお忘れなく」


「おお、そうであったそうであった」


 あまりに影武者の尾長鶏が馴染んでいるので、影武者を自分たちで用意したことをうっかり忘れるところであった。


「然しあの時、〈御長の間〉は密室に近い状態であった。鳥見役の門左衛門や弥助以外に、人の入り込む余地などあろうはろうはずがない」


「然様。すると、答えは一つではござらぬか? 


あの阿蘭陀女が、これまでに場内に送り込んだ鳥は火喰鳥だけではござらぬ。ざっと弐十種以上の珍鳥をこれまでに献上している。そのどれかが、事前に〈家康〉の首を刎ねた」


「なるほどなるほど、これは旨い推理でござるなぁ。この考え方であれば、家臣の誰かの首が飛ぶこともまずござらぬ。すぐに家光公にこの推理を──」


「ですから、信綱殿……家光公には〈殺鳥事件〉自体内密にしているので」


「ああそうであったそうであった」


 忠秋が訝るような目をしてくるのが煩わしかった。おまえだってだいぶ抜けているところがあろうに。


 信綱は考える。


「だが、〈殺鳥事件〉の一件は明かさぬにせよ、あの阿蘭陀女を大悪人とするというのは、筋が通っていて良い。然し問題もあるぞ。家光公はこの真夜中に阿蘭陀女を江戸城に呼びつけた。


恐らく、これから謀反を起こそうとしていたのか問い詰めるおつもりであろう。万一、あの女が〈殺鳥事件〉に触れることがあればどうなる? 〈家康〉を殺した、などと白状したら──」


「それを隠蔽した我々の立場が危うくなりますな」


「……どうすれば良い?」


 左様でございますなぁ、と云って忠秋はため息をついた。


 こう云う時、存外信綱は何も考えが浮かばぬ。酒を飲み過ぎたせいもあろうが、ここぞという時は忠秋のほうが冴えているのは慥かだ。


「できるだけ、多くを語らせぬが肝要かと──」


「多くを語る語らぬを我々に調節ができるか?」


「すれば良いではないですか」


 その時、不意に忠秋の顔がいつもの生真面目な様子から変わり、底意地の悪い笑みが浮かんだ。


「早い段階で、殺せばよいのです。これで──」


 忠秋が手にしていたのは、一粒で吐血して死に至る、液体に溶けやすい、青色をした顆粒の毒薬であった。


「きれいな青よのう」


「然様、青は良き色にござります。じつに万能で」


「然し、惜しいな。あの女、一度抱いてみたかった。興味本位ではあるが」


「阿蘭陀女が好みでございましたか?」


「いや、阿蘭陀女とか云う問題ではなかろう。其方とて、あの美貌、あの豊満な身体を見て何も思っておらぬはずはないが?」


「おほん……信綱殿、少々お酒が過ぎるようでございますな」


「ふふ、まあいい。家光公のお目見えを目見えを短時間で済ませ、あとは我々で少々拷問を愉しんで、その後で殺すという手もある」


「またそのようなあくどいことを……」


 殺しの提案をしておきながら生真面目ぶる忠秋が可笑しかった。


「では、殺鳥事件真犯人の捕獲に、乾杯と行こうではないか」


 二人は、それから静かに、信綱は酒を、忠秋は茶を呑み干した。


 だが、内心で信綱はこんなことを考えていた。


 ──とは云え、果たして鳥如きに、鳥の首を斬り落とすなどという芸当ができるのか?



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