目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第44話

 アースレイン侯爵家の南門。


 領地から王都へ出立の際にだけ使われる門であり、逆に戦になれば堅牢で重厚な扉が、ゆっくりと開かれていく。


 朝露の残る石畳の道が、王都へと続いていく。


 僕はその道の先を見つめながら、馬車の前に立っていた。


 アースレイン侯爵領を離れ、王都の中央学園へ向かう。


 それは、新たな舞台への第一歩。


「……随分と立派な馬車じゃないか」


 手を組んで感嘆する声が背後から聞こえた。


 朝から完璧に整えた執事服に、無駄に張り切った表情で近づいてくる。


「ご主人様の門出にふさわしい馬車でございます! 中には柔らかな羽毛のクッションを敷き詰めておきました! 緊張でお疲れの体を癒していただけるかと!」


 ドイルは専属執事として、今回同行することになっている。


「緊張はしていないが……まあ、ありがたく使わせてもらう」

「ご主人様、緊張してないなんて……ふふ」


 その横から、黒のマントを翻して現れたのはリュシアだった。


 相変わらず赤い瞳は深い夜のように光り、白銀の髪が風にそよぐ。


 ドイルの視線が一瞬で吸い寄せられていくのを見て、僕は軽くため息を吐いた。


「リュシア。準備はできているか」

「もちろん。ご主人様“破壊を重ねていく姿を見るのが楽しみで仕方ないわ」


 この女はいつも平然と物騒なことを言う。


 ただ、実際に役に立つ場面も多く、戦闘力、情報収集能力、交渉術、どれも一級品だ。


「それに、もう一匹……忘れてもらっちゃ困るわ」


 リュシアがそう言って振り返ると、森の奥から重々しい足音が響いてくる。


 鬣を風になびかせながら現れたのは、漆黒の巨大な獣ダイワウルフのエリザベスだ。


「……よく来たな」


 俺が声をかけると、エリザベスは鼻を鳴らし、ゆっくりと僕の傍へ近づいてくる。


 全長二メートル以上あるその巨体は、威圧感を放ちながらも、僕の前では子犬のように従順だ。


 元々は侯爵領の山中で発見された魔獣だった。


 通常なら討伐対象となるはずだったが、リュシアの服従の魔術で従えることができた。


「エリザベスもご同行とは……なんという威容! 学園が戦場と化すのでは!」

「お前が騒がなければ、誰も気づかん。面倒はドイルが見ろよ」

「はっ!」


 エリザベスはテイムモンスターとして、冒険者登録も済ませてある。

 侯爵家の紋章が掲げられた馬車に、ダイワウルフを護衛に添えて、リュシアと共に馬車へと乗り込む。


 ドイルは御者に乗り、数名の護衛が付き従う。


 護衛など必要はないが、これもアースレイン家格式を守るために必要な処置になる。


「ふふっ、でも素敵よね。ご主人様の足元に従う黒き魔獣……まるで、世界を踏みしだく悪の王のよう」


 リュシアがうっとりとした声で呟く。


「お前の脳内はどうなっているのか不思議でならないな」

「それじゃあ……行きましょうか、中央学園へ。待っているのでしょう? 未来であなたを裏切る者たちが」


 リュシアは俺にしか聞こえてない声で、馬車の扉に手をかけた。


 出会い、信じ、裏切られた者たち。


 残っているのは四人。


 ・レオ・シュバイツ侯爵

 ・軍師のジェイ

 ・賢者マーベ

 ・魔法使いエリナ


 最初から彼らを試す側として、俺が歩く。


「……そのすべてを、この手で見極めるためにな」


 馬車の扉が閉まる音が、侯爵領の中庭に響いた。


 かつて追われるように出て行った場所。


 今はその門を、堂々と通り抜ける。




 王都までの道のりも、いよいよ終わりが近い。


 街道沿いに並ぶ古木の合間から、遠くに王都の城壁が見えてきた。灰色の石で積まれたその壁は堅牢で、かつての戦乱を思わせる威容を誇っている。


 馬車の天井から視線を戻し、俺は静かに溜め息をついた。


「もうすぐ王都ですな、ヴィクター様」


 手綱を握るドイルが振り返りながら言う。


「何事もなく着けばいいが、そうもいかないようだ」

「えっ?」


 俺がそう呟いた矢先だった。


 道の先、茂みの陰から、悲鳴が上がった。


「た、助けて……!」


 女の子の叫び声。瞬間、俺は馬車から飛び降りていた。


「ドイル、エリザベス馬車を守れ! リュシア、後方の監視を!」

「承知しました!」

「……ふふ、まったく。慌ただしいご主人様ね」


 指示を飛ばしながら走る。森の端、騎獣に絡まれるようにして倒れていたのは、一人の少女だった。


 体毛の黒い三眼の狼型魔獣が一体。


 人を狩るために調整されたような禍々しい動き。見れば、少女は腰を抜かして動けないらしく、身を守るために小さな魔法障壁を張っている。


 護衛が俺の後に続いてくるが遅い。


「そこまでだ」


 冥哭を抜き、疾駆する。


 空を裂いた一閃が、魔獣の胴を斬り裂いた。


 断末魔のようなうなり声を上げて、黒い獣が地面に沈む。


 少女は呆然と俺を見つめていた。まだ十代半ばほどだろう。栗色の髪に、鮮やかな青の瞳。泥だらけの服を身に纏い、必死に体を起こそうとしていた。


「だ、大丈夫……ですか……?」


 か細い声で、彼女が俺に問いかけた。


 僕は無言で頷き、手を差し出す。


 彼女はおずおずと、その手を取った。


 小さな掌。触れた瞬間、過去の記憶が疼いた。


「……君の名前は?」

「え……あ、エリナ……です。魔法使いを目指して、王都の学園に行く途中でした……でも、途中で魔獣に……!」


 確かに、未来にいたエリナと同じ名前。


 僕のそばで、最後まで信じてくれたと思っていた少女。


 最期、処刑台の上から見えた、涙に濡れた顔。


 この形で再会するとは。


「……そうか。偶然だな。僕も王都の学園に向かっている」

「えっ? 本当ですか……! すごい……」


 ぱっと顔を明るくする彼女。


 笑顔は、どこまでも純粋で、何の混じり気もない。


 この時代のエリナは、まだ僕を知らない。


 だからこそ、この出会いは運命だと思った。


「馬車まで来られるか?」

「はい……た、多分……」


 彼女に肩を貸しながら戻った。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?