エリナの小さな肩を支えながら、僕は馬車へと戻った。
ドイルが気を利かせて扉を開け、リュシアがこちらをちらりと一瞥したが、彼女の瞳に敵意や警戒はなかった。ただ、面白そうに目を細めただけだ。
「中に入れ。怪我をしている」
「は、はい……!」
恐る恐る馬車に乗り込んだエリナは、床に敷き詰められた高級な絨毯に目を見張り、豪奢な内装に戸惑いの色を浮かべていた。
「わ……すごい。お姫様になった気分……」
無邪気な声に、僕は目を細める。
腰を下ろして、回復薬を使ってやればケガはすぐに治すことができた。
エリナが未来で、僕が処刑される際に涙を流していた。それを知っている身としては、この笑顔にどう反応すればいいのか分からなかった。
リュシアが興味深そうにエリナをじっと見つめる。だが、何も言わず、ただ視線を送るだけ。
エリナもまた、リュシアの姿を一度は見つめたが、不思議そうに小首を傾げただけだった。
リュシアからアクションはない。魔族の気配はないということか? ということは、少なくともエリナには、魔族と関わりがある兆しはない。
あるいは、これから関わるということか?
「助けてくださって、本当にありがとうございました。あのままじゃ……きっと、私……」
エリナは座席の端に座り、小さく礼をしてから顔を上げた。
その瞳には、心からの感謝が宿っていた。
「……感謝されるようなことじゃない。運がよかっただけだ」
「それでも……っ!」
頬を染めながら、彼女はきゅっと拳を握った。
「私、魔法使いになりたくて……王都の学園に行こうって決めたんです。でも……やっぱり、怖くて」
彼女は立派な魔法使いになって、僕に並び立つ存在になる。
彼女の存在がなければ、王国を討ち果たすことは無理だったと思っている。
「なぜ、魔法使いに?」
僕の問いに、エリナは少しだけ視線を落とし、静かに語り始めた。
この質問をするのは二度目だ。
彼女から聞いた話と齟齬はないか?
「……私は、辺境の村で生まれました。とても静かで、みんな優しい人たちでした。でも……ある日、魔物の群れが村を襲って……」
その声は、どこか震えていた。
リュシアが少し表情を動かす。僕もまた、その言葉に耳を傾けながら、彼女の過去を思い描く。
「両親は、私をかばって……。気づいたときには、私は一人になっていて。でも、そのとき……初めて、自分の中から力があふれてくるのを感じました」
震える手を見つめながら、エリナは微笑んだ。
「助けたくて……誰かを救いたくて、力が欲しいと思ったんです。でも、私、特別じゃないから……だから、王都で学ばなくちゃって」
それは未来のエリナに聞いた話と全く同じで、彼女は今も未来でも変わらないのだと思えた。
その純粋な願いは、あまりにも真っ直ぐで、綺麗で、愚かしいまでに信じることしか知らない彼女の在り方が変わらない。
「君は……何を信じて、誰のためにその力を使うつもりだ?」
「まだわかりませんが、誰かのために使いたいです。助けたいって思った誰かの、手を取れるように。私は魔法使いなので、共に戦ってくれる人は必要ですが、肩を並べる方が誇りに思う魔法使いになりたいと思っています」
過去の僕も、同じように願っていたのかもしれない。
けれど、その願いは裏切られ、踏みにじられ、最後には処刑台に立たされた。
エリナが、未来で何を選んだのかは分からない。
あの時、彼女が涙を流した理由も、そして、裏切っていたのかも。
だが今は、ただの無垢な少女でしかない。
魔族が関わっていないなら、今の彼女にはようはない。
優先するのは、レオか、マーベになるかもしれないな。
「……そうか」
僕はそれ以上、何も言わなかった。
リュシアが黙って目を伏せる。彼女もまた、何かを感じ取っていたようだった。
エリナは、不安そうに僕の隣を見上げながら、それでも笑顔を浮かべて囁いた。
「もし、よかったら……お名前、教えてくれませんか?」
「ヴィクター・アースレイン」
その名を口にした瞬間、エリナの目が少しだけ見開かれた。
「えっ……アースレインって、侯爵家の……!?」
「うん。その通りだ」
「わ、私、なんてこと……! 申し訳ありません!」
どうやら孤児である彼女は、馬車の紋章の意味もわかっていなかったようだ。
顔を真っ赤にして慌てる様子は、まさに年相応の少女らしく、微笑ましいほどだった。
未来を知る僕は、まだ彼女が“敵”になるのか“味方”なのか判断できない。
だが、それを見極めることができるのは、この人生しかない。
「気にしなくていい。このまま王都までは後少しだから同行しよう」
「よろしいのですか?」
「ああ」
アリシアとは違って、エリナから直接裏切られたという気がしていない。だからだろうか、普通に接することができた。
「ありがとうございます!」
彼女は俺を裏切ったのか? それとも裏切っていないのか、どうすれば見極められるのか? 僕はエリナの未来の姿に想いを馳せながら、馬車はゆっくりと、王都へ向かって進み続けていた。
王都での生活が始まろうとしている。